良い子のパラドックス 行き詰まった時に

いわゆる良い子が、うまいことやろうとして逆にうまくいかなくなることがあります。
今回はそんなお話し。

良い子を吊し上げるネタが多いのは、私が持つコンプレックスのせいです。
というのはあながち冗談で無いかもしれないのですが、やはり学校では、良い子は評価されがちな反面、そのやり方じゃうまくいかんだろうなぁ、と感じることも多々あるわけで。
そういったもったいない状況を何とか改善できないだろうか、と日々思うのです。

さてさて、では本題に入ります。

何かを開発するようなミッションを遂行するようなときに良い子の特徴が現れます。
まず考えるプロセスから始まりますよね。
そんな時、いわゆる良い子は失敗したくないと考えることが多いようです。
「体面を保つ」みたいなことなのでしょうかね。

度合いは人それぞれですが、失敗したくないという感情は、言ってみれば恐怖が動機になって行動することになります。
なので、視野は狭まり体はこわばり…というのは言い過ぎですが、あまりポジティブな状態ではなくなります。
そういう状態で良いアイデアを出すというのは無理ですね。

そもそも、失敗しないことがゴールになっているので、うまくいくためのことを考えていなかったりもします。皮肉です。

それに「失敗しない」というワードの「しない」=「やらない」が深層心理の駆動力にもなりそうですね。

失敗しなければそれは成功だ!みたいな訳の分からないことになっていたりもします。
もちろん、その状態で自分のミッションと照らし合わせるとズレが生じているわけで、「いや、そうじゃないよな」と軌道修正を試みるも、どうにもしっくりこない。
そういった状態がループになって、延々と考え続けることになったりします。

そのループから出られないのは、やらないと分からない事をやらずに分かろうとするからとか、何事も正解を得てから、というのが原因であることが多いです。
もちろん「失敗しないために」ですね。
そういう環境で育ってきたら仕方ないとは思います。
私も身に覚えがありますし。

でも、その価値観でいくとチャレンジはできません。
チャレンジするということは、失敗も含むことをやることです。
何が起きるか試すのなら、うまくいく保証はありません。
そこにうまくいく保証みたいなものを求めちゃうと前に進めなくなります。

新しいものをつくるとか、新しいことをやるのだから、何が起きるかはやってみないと分からないのです。
というわけで、行き詰まった時に大事なのは「何をやってみるか」です。

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