結局「人」なんだな

人の悩みのほとんどは
人間関係
によるものです。

仕事だって

自分が
サービスや製品を作って
それを相手に提供する

というように
他人のためにやっているわけで
人間関係と言えるでしょう。

当然ながら
サービスや製品は
人間関係の「間」にあるので
人間関係の一部とも言えるでしょう。

サービスや製品をつくるプロセスにおいても
人間関係で作り上げていくのです。

そこで知識やらスキルを使うのも
何のためかというと
人間関係を構築するためで

知識やらスキルは
そのための「手段」の一つ
ということになります。

そして
どんな「手段」を手に入れるかは
「目的」によって決まる。

その「目的」は
どんな人が何を目指すのかによって決まる。

というわけで
結局は「人」なのですよ。

それ抜きで
手段を手に入れると
本末転倒というか
迷走するのも仕方ない。

ただ、そこには正解は無い。

我々人類は
何千年も考えたり試したり
探求してきましたが
いまだに正解は無いのです。

もっとも
正解が出てしまったら
生きてる意味あるのかな?
とも思うわけで
実に興味深いです。

さて
考えてばかりいても
どうせ正解なんて出ないので
チャレンジしましょうか。

土地と文化とチャレンジと

ロボットに始まり
自動運転のクルマやドローン
そういった技術にAIが加えられて
技術が加速する

我々は、そんな進化を日々目にしています。

それらは今後、どういった方向に
どれだけのスピードで進んで行くのでしょう。
大変興味深いところです。

最近では
自動運転のロボタクシーが試験運用されていますし
ドローンを使ったデリバリーなども始まっています。

さらにヒューマノイドロボットが量産され
市場に投入され始まっています。

しかし、それらの分野で先行しているのは
アメリカや中国ですね。

世界的に見ると我が国は
テクノロジーには強い
と分類されているのに
イマイチ分が悪い。

特に、自動運転とかドローン
あとは、空飛ぶタクシーなど
そういったダイナミックなものに関しては
どうも分が悪いような気がしませんか?

全くやっていないわけではありません。
でも、潜在的な実力に見合った発展を遂げているかというと
どうもそうは思えない。

なぜなのでしょう?

これは勘なのですが
恐らく間違えてはいません。

国土の問題です。
というか、国土に根ざした問題と言うべきか。

ダイナミックな技術が発展するには
環境が重要です。

地上を走るものも
空を飛ぶものも

チャレンジしている段階では
発生するリスクを許容できる環境が必要です。

分かりやすいところでは
広い土地です。


アマチュアのロケット愛好家が
ロケットを打ち上げられるような場所

自分で作ったクルマの最高速を試せる場所
果てはは音速を超えるまで

と、これらは極端な例ですが

クルマが好きなら
自分で作って乗ればいいじゃん

それでレースをしたけりゃ
やったらいいじゃん

そういった文化を許容する環境があると
アマチュアレベルの技術の底上げになるので強いです。

代表的なところでは
上の写真のアメリカや
オーストラリアです。

行ったことはありませんが
中国もそうなのかな。

対して
我が国は国土が狭く
とかく高密度な社会なので

ダイナミックなことを試す場合のリスクが大きい。
これはもう仕方ないこと。

衝突したり墜落したりを
そんなの自己責任だろ
ということにはしにくいです。

なので当然
ルールやらモラルも
勝手なことを許容しない方向になります。

基本的には
「ルールで許容・許可されていることをやりなさい」
という感じ。

かの国は
「ルールで禁止されてないんだから
やったらいいじゃん!」
です。

こりゃ分が悪いですね。

ですが!

一概に国土のせいにもできないかも
と思ったりもします。

分かりやすいところでは
イギリスやニュージーランドです。

いずれも広大な…とは言いにくいですが
かなりダイナミックなことをやる国です。

分かりやすいところでは
手作りのクルマで公道を走れる
キットカーの文化。

バイクのレースでは
マン島のTTなんかはダイナミックですね。

そんなことを考えていると
我が国も負けてられないぞ!

というか
もっと面白いことやりたいぞ!
と思うのでした。

追記:
イギリスとニュージーランドを引き合いに出しましたが、問題は国土面積では無く、人口密度ですね。きっと。


教育と効率と

「効率」とはムダが無いことで
コスパとかタイパとか
最小限のリソース消費で
最大限のゲインを求める
ということ。

とはいえ
そもそもリソースが最小限なら
得られるゲインの天井も知れている
とも言えますけどね。

あらかじめ何が起きるか分かっている環境であれば
想定内のことだけに対応できるように準備すればいい。

もちろん
想定外のことに対しては対応できないし
そもそもそんなことに対する準備をしたら
それは効率が悪いということになる。

なので、問題の答えを覚えるような
いわゆる「過去問」で対策を立てるような
そんなことになる。

かつてはそれでも良かったけど
そういうのももう通用しなくなりますね。

というのもりますが!!

例えば
工学系の
それも機械系の学びについて考えるなら
効率にこだわって
最小限の最適化みたいなことをやると
価値が縮小してしまう
というか
最終的なパフォーマンスは大したこと無くなる
というか
そういうことになりかねないですよ

というのが今回言いたいことです。
前置きが長くなりましたが。

例えば、クルマを開発するとしましょうか。
で、設計を担当するとしましょう。

その際
力学とか材料学とか
そういった学問の知識さえあれば良いのか?
図面を描くなら
作図の能力が高ければ良いのか?

とんでもないですよ。

学校では
あたかも
学問ができれば良いものが作れる
というようなことを語られたりしますが
それは順番が逆です。

良い物を作るなら
作り方
使われ方
果ては売り方や
再利用の仕方など

「何のため」
つまり
どのようなゴールを設定して
そこから逆算して
必要な要素を決めていく必要があります。

もっとも大事な「ゴール」の設定をする際には
いかに視野を広げて想像するかが大事で
そのためには
一見無駄に思える
多様な経験がものを言うのです。

さらにそのためには
想像力や
それを支え、駆動する
パッションとか
そういったものが土台になります。

もちろん、限定された領域の専門家は必要でしょう。
でも、そういう人ばかり集めたところで
良い製品にはならないでしょうね。

だって「何のため」
つまり
ゴールが明確にできないから。
役割が違うのです。

「知識」は「手段」で
「ゴール」は「目的」なので
そんなのは当たり前です。

あと
効率ばかりにこだわると
コスパは良くなるでしょうけど
面白くはならないでしょうね。

面白くないものは継続できませんよ。