自分のコアがあるか?

まあ、大したものではありません。

「自分はこうやる」
「自分はこう考える」

そういうことです。

明確ではなくても
自信がなくても
そういうのがあると結構うまくいきます。

どうせそういうものは完璧な形なんて無いのです。
そして、何かしら「基準」を持っていないと、この先どうするべきかが決められませんから。

ポイントは、そういうの、は探して見つけるものではないということ。

親や先生をはじめ、他人には
「こうして欲しい」
「こう考えて欲しい」
というのがあるでしょう。

そういう人達に対して、敬意とか気遣いは必要で、それは大事なことだとは思います。
でも、なんでもかんでもその通りにすると

「自分はこうやる」
「自分はこう考える」

にはなりませんよね。
だって「自分は…」じゃないのだから。

そして、そういうものを見つけようとしてはいけません。
探して見付かるのは
「古いもの」
「そもそも誰かのもの」
だったりしますから。

言われたことしかやらなけりゃ

言われたことしかやらなければ
言われたことしかできなくなる

でも
言われたことをやると褒められるのだから仕方ない。

それに
言われたことをやる
それ自体は良いと思う。

しかし
言われてもいないことをやる者がもっと評価されるべき
というか

言われてもいないことをやりたいと思う気持ちを大事にして欲しいし
言われてもいないことをやる機会がもっと欲しい。

そもそも、「言われたことやる」というのは…

他人である「言う人」がゴールを設定して、提示された指示に従う
ということ。

なので、本人はゴールを設定する必要が無いわけです。

指示する人が提示するゴールは、その本人にとっては正しいもので、もちろん良かれと思って指示しています。
それに従ってくれれば嬉しいわけです。

ゴールは他人が作るもので、それに従う、というのが極まれば、それは単なる消費マシーンとか奴隷なのではなかろうか?
それは言い過ぎか。

経験が十分に無い者がゴールを設定すると、間違えたり失敗したり、効率の悪いことが起きる。
それを叱責されたり、最悪の場合は吊し上げられたりする可能性もある。
そりゃ恐ろしいでしょう。

本当なら、精神的にも肉体的にも、パワーが小さい幼少の頃に、好き勝手やって、痛い目にあったり、うまくいったりという幅広い経験があると良いのかもしれませんね。

そうしたら、他人の気持ちが分かったり、何かをするにしても加減が分かったりり、自分でゴールが設定できたりするのではないかなぁ。

いやぁ、教育って難しいですね。

向き不向きを活せるといいですね

余計なことを考えてないで
余計なことをやっていないで
言われたことをやりなさい!

そんなことを言われた経験ありますか?
私は子供の頃、しょっちゅう言われていましたよ。

そんな風に言われる経験も必要なのかもしれませんけどね。

ただ、余計なことばかりやる経験も必要だと思うのですよ。
その結果、自分にはどういうやり方が向いているのかな?というのが構築できるのではないでしょうか。

何でも自分で決めてやってみたら良いと思うのです。
その結果、何が起きるのかを実感したらいいのです。
そして、「ではどうする?」を考えて、その後のやり方を決めたらいいですよね。

なんでもかんでも言われたとおりに、皆を一つの型にはめる必要は無いでしょう。

と、こんなことを書いていると
なんでもかんでも好き勝手にやったらいいよ!
と聞こえるかもしれませんが、さにあらず。

余計なことに気を取られずに
集中してコツコツやり遂げる人

色々なことに手を出して
色んなことができる人

オーダーに忠実に
キッチリやる人

自由な発想で
勇気を持ってチャレンジする人

色々いてくれないと困ります。
そして、できれば早いうちにそういう経験をして、自分の特性を伸ばす期間を長く取れると良いのですが…。
自分に向いたやり方が構築できれば、パフォーマンスを発揮できるのは当然でしょう。
もちろん、それを見極めてアドバイスするメンター的な存在は必須だと思います。

とか言いながら
何かを型通りにやってみる
という経験も重要だということは一応言っておきます。
そこから分かること、得られることは貴重です。