ダメなことをできるか?

「見える化」
は大事です。

やるべきこと
現状把握
問題解決
要因分析
アイデア
などなどを
書き出して
見えるようにすると解決することは多い。

だからプロは
「見える化」は大事だ
と言うのです。

のですが

学生によくありがちなこと
それは…

正解とか決定稿とかは書き出せるのだけど
ダメなことを見えるようにしない

これ、残念ですね。

ダメなものを見えるようにするから
何をどうしたらダメなのか
つまり
どうしたら良くなるのか
が分かるのですけどね。

まあ、学校でダメなものを書いたところで
1ミリも評価されませんからね。
そういうのが習慣になっちゃうのも分かるのですけど
もったいないなぁ、とおもっちゃうのです。

同様に
評価を受けて
「ダメ出しされる」
ってもの大事です。

何がダメなのか分かる
というのは
どうすると良くなるかが分かる
ということですから。

これも学生が嫌うことの一つですよね。

こういった成長しにくくなる価値観を
一体どこで身に付けちゃうのでしょうね。
実にもったいない。

我々にとってAIの存在は?

AIのチャットに続き
AIエージェントなるものが使われ始めています

チャットでも、ちょっとした資料を作ったり
プログラムのコード生成なんかはできますが
エージェントになると、ちょっとレベルが違いますね。

最近、今まで敬遠していたAIエージェントを使い始めたのですが
なるほど、こりゃ仕事に使えるな
と実感しました。
まだまだ浅い使い方ですが、違いは実感できました。

それらを一通り使って思うのは
AIに何をさせたいのかというビジョンを持てるか
というのはもちろん
やはりプロンプト(命令文)を書くにもスキルが要る
ということです。

何をさせたいのか不明確な指示で
思い通りのものを生成させる
というのは、いささか無理があります。

でも、不明確で不十分な指示でも
そこそこのものができてしまうのも事実なのですけどね。

で、思ったのは
バイクと同じだな
ということ。

よく言われるのは
高性能バイクに乗るのは良いけど
乗りこなせない状態を
「バイクに乗せられてる」
なんて言います。
それでも、そこそこ走れちゃうものです。

AIツールも一緒ですね。
使ってはいるけど
使いこなせない状態
それでも、そこそこ役に立ってしまう。

その状態を
「AIに使われてる」
と言うべきかは分かりませんが。

でも、生成AIに疑問・質問を投げて
回答に従う状態は
「使われてる」
のかもしれませんね。

というわけで
AIとのお付き合いも

使われる人
使う人

と、二極化しそうな気がします。

あとは
そんなの使わん!
と言う人もいるでしょうね。

さて、果たしてAIは
我々に何を与えてくれて
何を奪うのでしょうか?

我々にとって
どういう存在なのでしょうか?

それは
それなりの年月を付き合ってみないと分からないでしょうけどね。

先生がAIで問題を作って
学生がAIでそれを解く
なんて冗談みたいな時代がやってきそうな…

過渡期には、それに似たような事になりそうな気がしなくもありません。
というか、すでになってる??


教育どうなる?

改めて思うのは
AIの登場と実用化は凄いインパクトだぞ
ということです。

仕事の仕方が変わる
とはよく聞きますよね。

多くの学校関係者はどう思っているのでしょうね?
あまり職場でAIの話をしないのですが
恐らく現状では
宿題やらせたりレポート書かせたり
そんなのは困っちゃうよねぇ
くらいのことを考えている人が多いのかもしれませんね。
そうでもないのかな?

そのうち機会を見て
もうちょっと深掘りした話をしてみましょう。

私個人としては
学校の役割は大きく変わらざるを得ないと思っています。

学校は
単に知識を増やすため
単に良い点数を取るため
ではなくなりつつある
というか
すでになっている。

そもそも
単に知識を増やすため
単に良い点数を取るため
って、それじゃダメじゃん!
という話しなのですが
実際はそうなっていませんか?
ちょっと言い過ぎかもしれませんが。

なので
この先はどうすべきなのか?
これを早急に検討して
実行に移すべきなのですが…

我が国は恐らく
かなり遅れを取る気がします。

理由は色々ありますが分かりやすいところだと

基本的に変化を嫌う体質であり
正解じゃないと動けない
というところ。

新しい教育は
チャレンジになるはずです。

だって、かつてこういうことはありませんでしたから。
人間の代わりに考えてくれる機械が現れるなんて。

様々なものの価値が大きく変わるはずです。
今までと同じことをやっていて安穏とできる状態では無いはず。

でも、どうしたらいいかは分からない。
だって、経験が無いから。

だから、予想して、理想を考えて
うまくいくかどうか分からないけど
やってみるしかない。

でも
「うまくいくかどうかわからないもの」
をやれますか?
という壁にぶつかるでしょう。

その壁を破れるか?超えられるのか?
試されますね。

私は、まず最初に
「成長」の定義の見直しが必要になると思ってます。

今の学校における成長は
言われたことができる
沢山知っている、覚えている
ということでしょう?

人間性とか
人間力とか
そういった基本的なところは
アンタッチャブルになっています。

本当は
そういったものと
知識やら技術やらがセットにならないとイカンと思うのですけどね。

そう
人間性とか
人間力とか
それは一体何なのだ?
とか
そもそも成長って何だ?

そんな話になりそうな気がしています。