何のために? 2

何をゴールとして設定するのかは大事です。
それによって、何をどうすべきかを決められるから。

それは何のためなのか?
そう考えたときに、最上流になるのは何でしょう?

独自性とか優位性とかが欲しい?
そういったものがあると良いことがあるでしょう。
では、それは何のため?

それが何にせよ、労力をはじめ、色々必要です。

なのですが

それらの色々を発動するための根源は「動機」ですね。
何のために?です。

それを明確にすることによって、何をどうするかが決まります。
これを逆にやっちゃうとうまくいきません。

細々とした何かをやることによってゴールが決まるわけではありませんから。

意外と逆になっちゃってることが多いものですよ。
気を付けましょう。

オーストラリアの自動車事情

オーストラリアの自動車事情とは言っても、我々からするとかなり偏ったジャンルだけど、オーストラリアではスタンダードなジャンルとして、ピックアップトラックを紹介してみましょう。
現地ではUte(ユート)と呼ばれてメジャーなカテゴリーだったりします。

最も見かけるのは、私も乗ってるトヨタのハイラックス。
実はこれ、オーストラリアで最も売れてるクルマなので、実によく見かけます。
トラックカテゴリーの中で、ではなく、全てのクルマで、です。
これは日本でも見られるので写真は無し。

フォードと言えばRangerなのですが、これはより大きいF-150 Plutinum。

一昔前は、フォードならFalcon utility、ライバルは地元オーストラリアのホールデンのUteでした。それらは、車高が低く、フロントマスクはスポーツカーで、エンジンはV8の5リッターだったりして、実にカッコよかったのだけど、今ではめっきり見なくなりました。

フォードもそうですが、トヨタも大型路線にシフト中?
これはハイラックスより大きいタンドラ。アメリカではこっちがスタンダードですね。

これはマツダのBT-50ってヤツかな?
ちょっと古い型です。

三菱のトライトン。日本でもたまに見かけますね。

イスズのD-MAX。カッコイイですね。
日本でも売れば良いのに。

後ろ姿しか無いけど、中国のShanghai Automotive Industry Corporation 上海汽车集团股份有限公司のMaxus T60。
韓国車は以前から多かったけど、今回は中国のクルマをよく見かけるようになりました。

写真は撮れなかったけど、他にも、フォルクスワーゲンとか、メルセデスのピックアップトラックが走っていたりします。

ホテルの駐車場に、こんなトラックがいました。イスズです。

我々が遠征に使ったトラックもイスズです。3トン車。
右隣にあるのはメンバー移動用のハイエースコミューター。

デカイです。
ドライバーの卒業生 新島氏と。

ホンダオーストラリアにあったトラック。
こういう実用的な荷台のバリエーションもあります。
1トン積みのワントナー。

カー用品店にて。
全車シュノーケルが付いてます。

おまけ

お!この左のは?

現地では正規販売していないので輸入したのでしょうね。
日本からの輸入車には高額な税金が課されるはずなので、よほど欲しかったのでしょう。

彼らはどう変わったか2

前回の記事では、遠征を契機に彼らに訪れた変化として「積極性」を挙げました。

こういうのって、口頭で伝えて理解はできると思うのです。誰でも。
しかし、その意図するところと言うか、実際のシーンのイメージまでは伝わらない。
つまり、こちらが期待するレベルについては、本人達には経験が無いのは当然で、そんなものは伝わらないのです。
まして、リスク回避のための判断と行動が習慣になっていた場合はなおさらです。

それに加えて、今回挙げたいのは「自分がやるのだ」という感覚です。

これ、一般的には「自主性」と言われることに相当します。
意味は、やるべき事、つまり「枠」のようなものがあらかじめ決められていて、それに対して、言われなくてもできる、ということです。

それに対して、そもそも何のために?何をやるべきか?というところから考えて動けるのを「主体性」と言います。
今回は、この領域に少し踏み込めたかな、と思います。

その程度は当たり前じゃん!

と思いますか?
しかし、教育システムがガッチリ定型化している昨今では、そんなの当たり前…ではありません。

考えてもみて下さい。
学校で学生がやることのほとんどは、あらかじめ正解が決まっていて、それを解くように指示されて動く。
それを自主的にやる者が評価されたりします。
そもそも、指示に対する意味を考える余地なんて無いのです。

なので、指示されたわけでも無いのに、準備が不十分な状態で、ジャッジに設計やコストに関する工夫について、自ら考えて説明する、なんてのは上出来なのです。

当人達にしてみれば、追い詰められた状況でベストを尽くしただけなのかもしれません。
しかし、追い詰められた状況で、果たして誰しもがベストを尽くせるかというと、そんなことは無いわけで。
今回、その点については確実に一歩前進できたということです。