考えてあげると考えられなくなる というお話し その1

目的は動機であり、行動する上では最も重要なことです。

大事なことだから
間違えてはいけない
失敗してはいけない
だから立派な人が代わりに目的を考えてあげて提供するのだ

という状態になっていたらどうでしょう?

立派な人が考えてくれた、ありがたい目的を授けてもらえるなんて
良かった良かった!
という見方があるでしょう。

一方
最も大事なことを他人に決められてしまったら
そういうことを自分で考えて決める機会が無いじゃないか!
という見方もあります。

まぁ、こういうのって一括りにはできないでしょうし
ものごとにもよるとは思いますけど
自分の志向はどちらか?
というのはありますよね。

目的は他人から与えられるもの
という習慣・環境になっているなら、当然ながら目的を考える必要は無い。
するともちろん、自らゴールをセットすることはできなくなります。
当然です。

これ、「何のためなのか?」が考えられないってことです。

それが考えられないのは致命的ですが
実はこれまた一長一短です。

何のためかが明確でなくてもやることができる
というのは
指示されたことをやる
には向いています。
反面、創造的な仕事には向いていません。

何のためなのかが明確でないとできない
とか
何のためかを自分で決めないと気が済まない
というのは
指示されたとおりにやらない場合があります。
反面、創造的な思考ができる場合が多い。

この二つを比べると
”優劣”で考えてしまうことが多いですが
良いとか悪いとかではなく、単なる資質の違いです。
世の中は、両方以内と回りません。

そして、これら二つの資質は
勉強ができるとかできないとか
そういうものでは決まりません。

自分がどうありたいか
という話であったりするのですが

そもそも、そういう風に考えるか否かは
環境によって決まると思います。

つづく

完璧主義だとできない理由

「正解主義」と言っても良いかもしれませんが。
そういう考え方をしていると、いつになってもできないのですよ、という話しです。

これは、ものを作るとよく分かります。

完璧にやるため(正解を導き出すため)に、「考える」プロセスの結果に対してハードルを上げてしまう。
その結果、実際に作る前に考えるプロセスが長期化する。

なので、実施に「やる」部分が先送りになり、その結果、できなくなる。
先送りしたものの多くは忘れ去られるか、心の奥底に沈殿して、動かないものになります。

勉学による知識の習得の経験しかないと正解を導き出すことがゴールとなるので、そうなりがちです。

完璧など求めずに、「やるべきだ」と思ったらすぐやる。
その結果は甘んじて受け入れ、その現状を評価して、次のアクションを決めれば良いのです。

なのですが…
「結果は甘んじて受け入れ」が難しいのです。
だって、これまでの経験上、不正解だと点数にならないことが身に染みついていますから。

失敗を避けて、経験の数を最少にする
一見、効率が良さそうですが、価値は最小化します。

やってみて得た結果と、その経験こそ価値があるのです。

「やるべきだ」と思って、思い通りの結果が得られるかは分からないけど、先送りにしてできなくなるよりはずっと良いはずです。
先送りにするということは、機会を、チャンスを逃がすということですから。
そうして、人生は「ツイていない」ものになるのです。

チャレンジしましょう。

ルールだけじゃ変えられない

なぜ、何のためにルールがあるか?

それは
何かをやらせるためだったり
何かを禁じたり
…のためです。

組織があれば、何かしらルールがあったりするものです。
その組織の目的を達するためだったりするわけです。

では、高い目標に到達するために、細かいルールで緻密に行動をコントロールしようとするとどうなるか?

結果として何が起きるかは分かりません。
ひょっとしたら、短期的にはうまくいくかもしれません。
それは、ルールを作った人の思惑に対して、ということですが。

しかし、そのルールに沿って動く人自体はどうなのか?

言われたことをやる人になります。

それは良いのかもしれませんが、同時にに失うことがあります。
それは

自分で考えること

それを失います。
なので、長期的に見ると、あまりハッピーなことにはなりません。

細かいことを言うと
ポジティブリスト
というものがありまして…

これは、やるべき事を明確化したリストです。
行動する者は、このリストに従って動く。
リストに無い余計なことをしてはいけません。

この反対もあります。
ネガティブリスト
これは、禁止事項を明確化したリストです。
行動する者は、このリストに背かなければ何をやっても良い。
もちろん、目的を達するために、です。

さて、我々がルールとか規則と聞いた時、どんなことを想像するか?
大抵はポジティブリストです。
要は、そういう機会が多いということです。

では、どういう場合にネガティブリストが利用されるのか?

夢工房の学生達にとっては
競技規則(レギュレーション)です。

これに反しなければ、どのような手段を取っても良い。
いわゆる「ルールの隙を突く」といったようなことですね。

言うまでも無く、日本人はそういうのは苦手です。

で、これは、レースのみならず、「良いもの」を作ろうとした時、とても大事になる考え方です。
だって、世に無い新しいものにはルールは無いから。

そう、そういう思考を伸ばすには、レース、しかも、ものを作るのが動機として最適なのです。
ルールでそれ(マインド)を変えようというのは、無理というか、本末転倒というか…。

根底にあるのは…主体性とかパッションですから。
そりゃ、ルールじゃどうにもなりません。