効率追求のトレードオフ

自動車整備工場が減って
ディーラーが残る。

しかし
町の整備工場がなくなってしまうと
あそこに持っていけば何とかしてくれるよ
という商売が無くなってしまいます。

最近では
雑貨屋さんのような商売はほとんど見ませんね。
個人経営の商店は減っています。


コンビニとか
スーパーとか
ショッピングモールに置き換わる。

チェーン店のようなところは
あらかじめ決められたマニュアルに
従って仕事が進められるので
効率は良いでしょう。
ラクだし。

お客さんも無駄なく手早く欲求が満たせる。

もちろん
効率を重視しているので
収益は良いわけで
報酬はそこそこ良いわけです。

ラクで儲かる割りの良い仕事
ということになるのでしょうね。
で、多くがそれをやりたがる

でも、何事もトレードオフがあります。

効率を追求してマニュアル化すれば
工夫の余地は最小限で
マニュアルに無いことはできない。

効率を最優先にすれば
そういうことになるのでしょうが
これは大問題です。

最終的には
人件費の低いよその国で作られた
安価な製品を買えばいい
ということになっちゃう。
というか
すでになっている。

いざ、自らの力で何か新しいことを…
と思っても
リソースが無いのですよ。

例えば
与えられたことをやる能力があっても
それは
新しいことを生み出す能力とは違います。

そんな能力は授業では与えられないし
成績表に表せないのでムダです。

そんな社会環境の中で
効率を追求して物質的に満たされても
心が満たされるのとは違うな
ということが分かりつつある
そこが我々の現在の立ち位置です。

これは
理想と現実のギャップが見えてきた
ということでしょうか。

であれば、捨てたものではありませんね。

クルマ屋さんのお話し

近年では、カーディーラーにおいて
新卒(大卒)の営業マンより
専門学校卒のメカニックの方が
給料が高いそうです。

まあ、そうでしょうね。

我が国では
これだけクルマが普及しているにもかかわらず
メカニックのなり手が十分ではありませんから。

どんなに普及しても
ちゃんとした整備・修理ができなければ
正常に運行することは不可能です。

クルマの整備や修理を依頼する場合
大きく分けて二つの方法があります。

一つはカーディーラー。
恐らくこちらを選ぶ人が大半でしょう。

もう一つは
地域の整備工場です。

もちろん、どちらを選ぶもユーザーの自由ですが…

最近では、クルマの整備をする会社が減ってきているらしいです。
仕事は沢山あるのに
メカニックの人材不足で閉業してしまうとのこと。

なぜそうなってしまうのかとか
その辺の詳細はすっ飛ばして
結論から言うと…

そのうちメカニックの給料は上がる
と思っています。

上げざるを得ません。
そうしないと人材を確保できないから。
質を低下させるわけにはいきません。

さて
で、私はクルマの整備をどうしているかというと

町の整備工場にお願いしています。
今乗っているクルマは並行輸入車なので
正規のディーラーで整備をしてくれないという事情もありますし
アメリカ製の訳分からないトレーラーの整備もキッチリやってくれますし。

でも
その前に乗っていたクルマはディーラーで買ったのですが
今お世話になっている整備工場のお世話になっていました。

それはなぜか?

一つは
カーディーラーの仕事の仕方が性に合わないからです。

もちろん
ディーラーによって
人によって
違いはあるでしょう。

でも、基本的には
ディーラーでは
「言われたことをやる」
という姿勢がメインで
それこそが彼らの強みでしょう。

そしてこれは
まさにディーラーによるのですが
人の入れ替わりが激しく
整備士の顔が見えない。
そしてそのわりには割高だと思っています。

以前、ディーラーに修理を頼んで
不誠実な対応をされた経験があったり
自身がヘタに鈑金とか販売とか開発とか
クルマにまつわる諸々の仕事の経験があったりするので
私は「顔の見える」ビジネスが好きなのです。
特にクルマの場合は命を乗せていますしね。

基本的にディーラーは
「マニュアル通りにやる」
です。

これは
「良い仕事をする」
とは別です。

メーカーの看板を掲げていれば
信頼できるわけではありません。
整備・修理をするのは「人」です。

なので
車検整備は町の整備工場で
鈑金修理は地域の板金工場で
いずれも「任せられる方」のお世話になっています。

それに
そういう工場を含む地域の仕事って
その土地の文化だと思うのですよ。

もちろん
ビジネスとしての成立性は大事ですが…

効率やら何やら言って
一度失った文化は決して復活しない
これは前職でボスから言われた言葉です。
もっともだと思います。

得か? 徳か?

将来は安定した暮らしを…

と、将来を望むのはよくある話。
なのですが

これ、一体何を望んでいるのでしょうね?

収入に対しての支出の話であって
収入に対する労力で
インプットに対するアウトプットで

いわゆる
「インカム(income)」に対する
「アウトゴー(outgo)」ですね。

同じようなアウトゴーに対して
同じようなインカムが継続的に得られる
といったような感じで

さらに
あわよくば得したい
わけです。

言ってみれば
タイパとかコスパですかね。

違いますか?
昔々、学生の頃
私はそう思ったことがありましたよ。

皆がそんなことを言うので
そういうのもアリなのかな?
と思ったのでしょうね。

速攻で
そんなのくだらねぇ
と思って却下しましたが。

安定なんて
そんな面白くなさそうなことは
きっと自分には継続できない
と思ったのです。

さて、今回は何を言いたいのかというと

「得したい」
と思っているかぎり
「得しない」
ということです。

なぜって、それは簡単です。

そういう人の動機は
「自分が」「得をしたい」
です。

あなたは
「得したいなー、得したいな-」
と思っている人に
得させたいと思いますか?

恐らく多くの人は思いません。

でも、今やそれが「普通」になっていませんか?

相手に得をさせよう
とは思わずに
自分が得したい
と思う。

これは
相手には価値を手渡さないけど
自分は欲しい
ということです。

気持ちは分からなくはないけど
理にかなっていません。

得したい
という心には
徳が無いのですね。

なかなかうまくいかないのも当然でしょう。

ただ
得したい
と思っている状態から
徳のある行動をするには
かなり勇気が必要です。

しかし
勇気が必要な行動の多くには
価値があるのですよ。

対して
勇気の要らない行動の多くは
価値が無かったりします。

そんな事を考えていると
価値を創造するのは
シンプルだけど難しいのだよなあ
なんて思うのです。