考えてあげると考えられなくなる というお話し その2

負荷が減るように
失敗しないように
リスクを回避できるようにと
周囲が
考えてあげれば考えてあげるほど
やってあげればあげるほど
守れば守るほど
本人はできなくなる。

そりゃそうです。
他人がやってくれるなら、自分はやる必要が無くなる。

で、その背景には、指示する側が望むようにしたいという思いがある。
そして、その望みに従わなければならないという義務感というか、圧力というか、時としてはルールだったり、そんなものがあるわけで…

そこから外れると、不正解で、ダメで…
となるでしょう。

そういう環境にいると、自分のゴールは自分でセットできなくなって
他人に言われたことをやるしかなくなる。

指示通りにちゃんとやる

ということです。
そうしないと点数もらえませんから。

しかし、社会に出た途端に
「指示待ち人間はダメだ」
のようなことを言われるのですよ。

本人にしたらビックリですよね。
というか、ワケ分からんでしょう。

今までは、指示通りにちゃんとできたら最高点だったのが
急に「言われないとやらんのか!?」とかなっちゃうのですから。

まぁ、「指示通りに…」というのは、時と場合によるのですけどね。
それしかない環境に身を置いたら、基本姿勢がそうなるのは仕方ないでしょう。

はい、今回は
指示待ち人間のつくり方
のお話しでした。

つづく

リスクや問題は「悪」ではないって知ってた?

リスクや問題

それらが発生すること自体は悪いことではありません。
隠したり、無視したりする事が本当のネガティブな事態を引き起こすのです。

リスクや問題を解決したりコントロールしたりすれば、パフォーマンスは向上する

それは当然のことです。
そう考えるとリスクや問題は成長の材料となることが分かります。

というか、そういったことによってしか成長はしないと言っても良いし
そもそも価値の本質はそこにあるのです。

なのでリスクや問題の発生は、むしろチャンスと言っても良い。

人類がどうやって文明を発展させてきたかを考えれば、そんなのは当たり前。
例えば、技術の進化・発展なんてのは分かりやすいです。

もっと便利に、安全に、などといったことのために変化を遂げてきたということは
裏を返せば、元の状態は安全でも便利でも無かったということ。

しかし、その状態を「問題」や「リスク」として見ることができるか?
それを改善するのは自分だという立場に立てるのか?

どうも我々は、消費者マインドというか…提供されたものに乗っかる側である、のような思い込みというか、習慣がある。
なので、目の前に現れたものが気に入らなければ、簡単に文句を言うし、欲しいものが無ければ考えること無しに諦める。

本来、こういうことはギブ・アンド・テイクであって
自分の得意なリスクコントロールや問題解決を
他と相互に提供しあうことによって世の中は成り立っているのだけど…

リスクを取るのは他人
恩恵を得るのは自分

のようなことになっているというか
それが理想だ
というよりむしろ
それが普通だ
といったような価値観になっているとしたら、ちょっと危うい。

でも、それも文明の発展における一つの局面なのでしょうね。
恐らくそれによって、強烈な二極化が起きそうな気がしますが。

発展や成長を妨げるのは簡単で
リスクを回避・排除したり
問題を解決してあげて
自分で解決する機会を奪って
満足する環境を与えれば良いのです。
そうすれば、成長はピタッと止まります。
しかも当人は快適になるので、簡単にその環境から抜け出すことはできない。

常に問題は
ここからどうするか
です。

そう考えると、チャンスは足元に転がっていることに気付くでしょう。

考えてあげると考えられなくなる というお話し その1

目的は動機であり、行動する上では最も重要なことです。

大事なことだから
間違えてはいけない
失敗してはいけない
だから立派な人が代わりに目的を考えてあげて提供するのだ

という状態になっていたらどうでしょう?

立派な人が考えてくれた、ありがたい目的を授けてもらえるなんて
良かった良かった!
という見方があるでしょう。

一方
最も大事なことを他人に決められてしまったら
そういうことを自分で考えて決める機会が無いじゃないか!
という見方もあります。

まぁ、こういうのって一括りにはできないでしょうし
ものごとにもよるとは思いますけど
自分の志向はどちらか?
というのはありますよね。

目的は他人から与えられるもの
という習慣・環境になっているなら、当然ながら目的を考える必要は無い。
するともちろん、自らゴールをセットすることはできなくなります。
当然です。

これ、「何のためなのか?」が考えられないってことです。

それが考えられないのは致命的ですが
実はこれまた一長一短です。

何のためかが明確でなくてもやることができる
というのは
指示されたことをやる
には向いています。
反面、創造的な仕事には向いていません。

何のためなのかが明確でないとできない
とか
何のためかを自分で決めないと気が済まない
というのは
指示されたとおりにやらない場合があります。
反面、創造的な思考ができる場合が多い。

この二つを比べると
”優劣”で考えてしまうことが多いですが
良いとか悪いとかではなく、単なる資質の違いです。
世の中は、両方いないと回りません。

そして、これら二つの資質は
勉強ができるとかできないとか
そういうものでは決まりません。

自分がどうありたいか
という話であったりするのですが

そもそも、そういう風に考えるか否かは
環境によって決まると思います。

つづく