知識と知性

現在の学校は、知識を伝授する場所になっています。
ですが、本来は知性を伝授すべきところではなかろうか?と思うのです。
それが今日のネタ。

知識と知性がどう違うか?
生成AIに、知性についての説明を求めたら、色々と解説してくれましたが、最後にこんなことを言ってきました。
これを見ると分かりやすいかもしれませんね。

知性 = 知識 × 思考プロセス × 動機・態度 × 感情制御 × 社会性 × 内省

どれか一つが欠けると

  • 知識だけ多くても「使えない」
  • 論理的でも「考えようとしない」
  • 熱意があっても「暴走する」

という状態になります。

ですって。
ああ、なるほど。確かにそうかもしれませんね。
単に問題に対する回答を出す能力では無いということは分かるでしょう。
より実践的な…社会に出ると当然のように必要とされるものです。

式に「態度」が入っていたりするのが興味深い。
まぁ確かに、他の諸々が優れていても、態度が最悪ならぶち壊しですね。
知性を感じなくなるどころか、知性を役に立てることができなくなります。

生成AIが提示したものなので、100%鵜呑みにするとか、そういった使い方はどうかな、ということを前提はあるのですが…。

この一見もっともらしい知性の式を構成する要素は掛け算ですね。
ということは、いずれかの要素が2倍になったら、結果として知性は2倍になる?
どうでしょうね。
まあ、それも置いておきましょうか。

構成要素は以下のようになっています。

  • 知識
  • 思考プロセス
  • 動機・態度
  • 感情制御
  • 社会性
  • 内省

「動機」と「態度」がひとまとめになっているのが気になったりしますが、一つづつ見てみると、結構納得するものばかりですね。

知識は、知性を構成する一部なのですよ。
その他を見ても、普通なら学校で手に入れることは難しそうですね。

でも、その点を何とかしないと教育は前進できない気がします。
そして、それらを内的動機で何とかできたら最高なのですが…。

と思っていたら、Formula SAEって良くできてるなぁ、と改めて思うのでした。
うえを目指すなら、これら全部が必要になりますもの。
寝二を目指して、どう取り組むかは自分次第ですけどね

学校でやるべきこと

端的に言うとこれだ
夢を実現するためのトレーニング

もっと簡単にいうならこうだ
好きなことをやれ

今の子供達は、塾に始まり、スポーツやら音楽やら、色々と習いごとをしていたりするでしょう。
そういったことは良いとは思うのですが、ボリュームが多すぎるということはないでしょうか?

そして大事なこと。
仮に好きな習いごとをしていたとしても、その内容は「習い事」であって…つまり、外的動機が働く環境ばかり、ということはないでしょうか?
ここが大変気になるところ。

つまり、スキル的には色々できるようになるかもしれないけど、それらを駆動するマインドの成長とバランスが取れず、内的動機が発動する状態になっていなかったりしないでしょうか。

どうも教育のフィールドでは、外的動機による行動が先行して、なおかつそのボリュームが大きくて、内的動機が発動する機会が少なすぎるように思います。

知識やスキルをふんだんに持ち合わせていても、気持ちがしぼんでいたら何もできないし、やることがうまく行くはずは無いのでは?
そして、外的動機によって獲得したものには、大抵「正解」があるので、不正解である「失敗」を回避するようになる。

チャレンジは、内的動機によって発動して、失敗を糧として前進する必要があります。
気持ちが前に進んでいれば、足りないものは自ら手に入れようとするし、意図しなかった結果も利用しようとする。

とはいえ、どうやって自らをそのように変えていきたいと思うような環境を作るか。
それが大問題。

ま、正解は無いわけで、色々試すしかないでしょう。
しかし、そのチャレンジこそがリスクだったりするわけで、それがジレンマ。

やはり、リスクを取りたくない人は、その方向性の中で可能性を見出す。
やりたいヤツがやりたいことをやって成果を出す。

最初はそういった極端な実験のようなフィールドが必要なのかもしれません。

夢工房は、それでそこそこうまく行っているのですけどね。
夢を実現するためのトレーニングとして。
これを「そこそこ」ではなく、もっと明確な成果を出すところまでプッシュする必要があるのです。
誰の目から見ても分かるように。

教育における「効率」の功罪

言われたらやる
言われなければやらない

これは大変問題です。
学校はもちろん、社会的にも。
もちろん、本人も。こんなやりかたでハッピーになれるわけはない。
だって存在価値が無くなってしまうから。

当然ながら、これは教育によるところが大きいと思います。
で、なんでこんなことになっちゃうの?というところですが、これは恐らく必然です。

人口が多くて発展する時期ってそういうものではないでしょうか。
高度経済成長とか。
そんな時に重宝されるのは、大量の「言われたことをやる人」でしょう。
そんな人材を効率よく量産するために生み出されたのが、現在まで続く教育システムです。

というわけで今日のネタ、いってみましょう。

この教育システムは、外的動機によって動きます。
本人(学生)の外部(先生)からの指示で、ということです。

そこでは、点数とか単位とかで評価されて、恐怖や報酬が与えられます。
しかし、「なぜ・何のために学ぶのか」は無い。

それ自体が悪いことであるとは思いません。
締切とか、要求レベルのクリアとか、そういったところに外的動機はある程度役に立ちますから。

問題は
外的動機一辺倒である
ということです。

だって、人は成長の度合いやスピードは同じではないし、各人が設定しているゴールも異なるのですから。

つまり、「個人最適」ではなく「集団平均」で設計されているのですね。
これがまさに教育の効率化ではないですかね。

この効率化を達成するためには

  • 同じ内容
  • 同じ時間
  • 同じ方法
  • 同じ評価

が必要です。

で、これをやると最大の敵が現れます。
それは
内的動機
です。

効率の良い教育システムは、内的動機を扱えません。
そんなものは、評価できないし、管理できないから。

外的動機が駆動する環境で、評価不能な内的動機を発動すると、先生を困らせてクラスで浮いてしまうでしょう。
なので、沈黙するのが得策です。
「これは言わない方が良い」と。
これは、学生側の「適応」であり「生存戦略」ですね。

結果として、外的動機一辺倒の環境に長く身を置いた学生は、内的動機を発動しない訓練を受けていると言っても良い状態になります。

そして、社会に出ると(もしくは出る寸前に)

  • 主体性が無い
  • 自分でゴールを設定できない
  • 評価が無いと動けない

などと批判されたりする状態になる。

これは個人の資質ではなく、構造が生んだ結果ですね。

現代教育の問題については、どうも外的動機に矛先を向けたくなってしまうのですが、どうもそのようなゼロヒャクでは無いですね。
動機付けの形式を一つしか持たないことでしょう。

ひょっとしたら、これから重要になってくるのは、自分で内的・外的動機の配分を調整できる仕組みでかもしれません。

夢工房では、メンバー各人の内的動機に依存している部分が大きいです。かなり。
しかし、活動の内容は、締切があったり、目標があったり、そういった外的動機がうまく組み入れられている状況です。
これは意図したものではなく、Formula SAEをやるというのは、そういうことになるのです。
うん、良くできていますね。

ところで、あなたの動機は何ですか?