問題と解決について

学生を管理する側は、問題が発生することを嫌がります。
なので、できるだけ問題が起きないように努力します。
当然ながら、学生は問題に直面する機会は最低限になります。
そして、問題に対する印象は良くありません。
問題に対峙した経験が少ないと、いざ事が起きたときに思考停止したりします。

当然ですが、ここで言う「問題」とは、テストの問題ではありません。
まぁ、学生にとっては、そっちも重要でしょうけど。

でも、問題を解決するのは重要なことです。

ここで言いたい「問題」は、自分が為すべきこと、為したいことに対する障害や不足です。
チャレンジの結果として発生したりするものです。

チャレンジの結果、問題が起きると、心がネガティブ側に振れてしまう?
ビギナーならありがちかもしれませんね。

しかし、問題が見えたこと自体が収穫なのです。
問題を解決すると、間違いなく改善するのですから。

問題が見えたということは、チャレンジできたということでもあります。

さらに、問題に向き合っていると言うことは、解決する意思があるということですし、解決する度に成長できるのですから、得したとも言えます。

開発職に限らず、仕事をしていれば何かしら問題は起きます。
問題を解決した経験があれば、その時必ず役に立ちますし、自分の存在価値が確立されるのはそんな時です。

面倒だけど、面倒だからこそ価値があるのです。
なので、価値観が問題に対する向き合い方と結果を決めると言っても良いかもしれません。

というわけで、問題は決して悪いことではありませんよ。
というのが今回言いたかったことです。

でも
そもそも問題が起きない方法はないのか?
という考え方も大事ですけどね。かなり。

戦争から学ぶ 戦略的思考の構造の続き

前回は飛行機を例にとりました。
しかも、その機能とか装備に限定した話です。

機能や装備を含んだ飛行機そのものが、一つの具体的な「技術」とすれば、それをさらに大きな枠でとらえることができます。

「技術」の一つ上の階層が「戦術」です。
飛行機に搭載した兵器でドッグファイトするなんていうのは「戦術」でしょう。
飛行機や搭載する兵器は、その戦術に必要で、そのために開発されます。

「戦術」から上の階層は、「作戦」、「戦略」となっていきます。
その階層では、もう飛行機単体の話ではなく、もっと大きな組織的な話になります。

さらに上にあるのは、「政策」で、この階層では、そもそも戦争をすべきか否か、やるとしたら、どういった戦い方にするか、「情報」とか「経済」で蹴りを付けるか、実際に戦闘すべきかという判断を含みます。

さらに上位にあるのは…
自国をどうしたいとか、他国との関係をこうしたい、というビジョンでしょう。

昔々の原始時代は、それこそ腹が立てば殴るとか噛みつくとか、そういう直感的で短絡的な行動だったのでしょうけど、時代を経て、戦いも高度化していきます。

というか、戦争を例に挙げるとこのような、おどろおどろしい話になってしまうのですが、基本的なロジックは単純です。

願いを実現するための考え方
なのです。

戦争は、趣味とか道楽ではありません。
命がかかっているので、できればやりたくない。
正常な人なら誰だって死にたくはないし、殺したくもない。

しかし、どうしても回避できない場合
勝ちたいとか、負けたくないとか願うわけで、それを実現するための一般的な考え方が、今回お話しした階層状の思考です。

でも、今回の話、本来考えるべき方向と逆にお話ししたのがお分かりでしょうか。

具体的な兵器を作るから戦争になるのではありません。
戦争に必要だから兵器を作るのです。
…基本的には。

世の製品も同様です。
「こんなのがあったらいいな」と、製品が果たす役割を考えておき、そのために作るのです。

学校などでは、理解の都合上、基礎と称して具体的な細かいことからやっていきます。
しかし、実社会では逆です。

そもそも最初にあるのは、最終的なビジョンです。
結局どうしたいの?ということです。
最初なのに最終というのはややこしいですが。

想像力って大事なのです。
でも、想像力をどう使うかは自由です。

素晴らしいことにも使えるし
恐ろしいことにも使えます。

そもそも素晴らしいとか恐ろしいなんて、時代によっても違うでしょうし、価値観によって様々でしょうけど。

だからといって、想像しなければどうなるか?

それはそれで恐ろしいことなのかもしれません。

戦争から学ぶ 戦略的思考の構造の一例

私みたいに暗記が苦手というか嫌いな人は、ビジュアル的に考えると良いのです。
ものごとの順番とか強弱とか大小とかの関係を、です。

なぜ戦争を例に考えるかというと
考え方の「構造」が分かりやすいからです。

以下、素人の私がが分かりやすく解説してみます。

戦闘における攻撃手段は、鉄砲やらミサイルやらがあります。
ですが、あくまでこれらは「手段」です。
何も鉄砲やらミサイルやらをぶっ放すことが目的ではありません。

目の前の的を沈黙させるためなのか、相手の国力を低下させて戦闘できなくするのかなど、相対的に有利となるために、適切と思われる手段を選択して使用します。

実際にドンパチやるのは戦闘で、その他にも情報戦、経済戦などがあって、それらは戦争の一部です。
有利な状態で戦争を終結させることが目的であれば、なにも戦闘で有利にならなくても良いのです。

さて、戦闘における「手段」の話です。
飛行機による戦闘の歴史を簡単に紹介してみましょう。

昔々、飛行機が実用化されるようになった時の役割は、戦場における偵察です。
ライト兄弟などの飛行機野郎達が、ヨーロッパの軍隊に売り込みに行っていました。
飛行機は、見晴らしの良い高いところを飛べるし、鉄砲の弾にも当たりにくいので好都合です。

あるとき、偵察のついでに飛行機から攻撃することを考えた人がいました。
その時に取った手段は「敵兵めがけてレンガを落とす」です。

飛行機の利便性が各国に認められると、戦場の空には飛行機が増えてきます。
しかし、そう易々と偵察をされたくないので、敵国の飛行機を排除したくなります。
その時にパイロットが取った手段は「相手を拳銃で撃つ」です。

飛行機はどんどん増えてきますので、攻撃力を強化したくなります。
そこで、飛行機に機関銃を搭載します。
こうして空中でのドッグファイトが行われるようになります。

速いスピードで重いものを運べるようにして、爆弾を落としたり、ミサイルを発射ししたりできるようになって、能力を拡大していきます。
より遠くまで行くために、空中で給油すらできるようになります。

さて、このような進化の過程には何があったのでしょうか?

初期の頃の「レンガを落とす」とか「拳銃で撃つ」は、簡単に思い付きそうなものだし、ハードウェアには特段の工夫は必要ありません。

しかし、その後の発展は、たまたま既存のものを利用してみた…ではできません。
目的を思い付き、そのための手段であるハードウェアを開発する必要があります。

ゴールを設定し、そのための手段を考えたはずです。

例えば、飛行機に機関銃を搭載して、ドッグファイトの機動に耐える機体にする、なんてのも、たまたまではできません。

そもそも、飛行機には強度的な余裕を過剰に持たせるはずはないので、重い機関銃を搭載したり、激しい機動に耐える丈夫な機体であったはずはありません。

なので
「飛行機を作ったら、機関銃を搭載できちゃって、ドッグファイトもできちゃった」
なんてことはないはずです。

「こんなことできる飛行機があったらいいなぁ」
という「想像」をゴールとしているはずなのです。
そして
「そのためにはどうしたらいいのかなぁ」
と手段を考えて、チャレンジしたはずです。

手段ありきで考えていたら、既存の結果しか出ませんから。