愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ その2

このビスマルクの言葉ですが…

そもそも経験が無かったら
歴史から学んだものは使えないのでは?
なんて思っちゃいました。

だって、いくら知っていたって
それができるわけじゃないものね。

なので
ある程度の経験があって
未経験のことでも類似の経験から
それをやるとどうなるか
というある程度の予測ができるなら
そういう想像力を持ち合わせているなら
という前提になりますよね。

例えば、教える方にはる程度の経験があって
未経験者に対して
「そんなの考えりゃ分かるだろ」
と言うのは通用しないわけですよ。

不便な世の中で
色々工夫して
作ったり壊したり
そんな経験がある人と

リスクを排除された環境で
言われたことばかりやってきた人

そんな風に経験が異なる人に
同じ知識を与えたところで
同じことは起きないのは当然です。

じゃ、どうしましょう?

経験の有無によってギャップがあるのは致し方ないとしても
やはり何かしらやってみると
感覚的に理解できる範囲が広がったりするわけで

やるとやらないとでは
想像力にかなりの差が出るはずで

やはりいつの世も
ものを言うのは実践の数だろう
なんて思うのでした。

自由の話

以前に何度か記事にしましたが
「自由」とは、「自分に由る(よる)」ということ。

つまり
「自分で決める」ということ。
そういう状態であるということですね。

なのですが
どうもこれ、人によってかなり差があるのですね。

自分で「決める」に当たっての基本的なスタンスというか、考え方というか。
ちょっと思い付くところを並べてみましょう。

1.衝動というか、感情というか、生理的で本能的なレベル
楽したい
イヤだ
面白そう
といったもの。

2.他人の目を気にするレベル
評価されたい
普通は…
といった他人の価値観に準じたもの。

3.信念的、内的なもの
自分はこうしたい
これは大事
という意思によるものなど。

4.客観的な、いわゆるメタ認知的なもの
自分は流されているな
これは本当に自分の意思なのか?
といった高い視座によるもの。

ざっとこんなものでしょうか。

人は結構、無意識で色々選択していたりするのですが
意外と「何のために?」が自分でも分かっていなかったりするのですよね。

こんなことを考えてみると
日頃自分はどういう価値観に沿って動いているか
が分かるのではないかと思います。

まぁ、どれが良いとか悪いとかは無いのかもしれませんが
どういうレベルでものごとを判断しているかによって
行動の内容や、得られる結果は変わってくるわけで…

たまには、こういったことを考えて
確認やら点検してみるのも良いのではないかな
と思ったりするのです。

投資だって「保証」は無い

投資の話で思ったのだけど…

これは、そういうセンスが無い私だから思うことなのかもしれませんけどね。

投資の対象は、自らコントロールできませんよね。
予測の付かない未来においては
予想外の事態が起きる可能性があるわけで
それはもう仕方ないことなので
それを恐れても仕方ない気もします。

そうなったら、その時はその時だ!

なのですが
それに賭けるのはどうかな?

というのも
投資に賭けることによって
それ関連の知識や経験は積めると思うのですけど
それで勝負していけるのか?

余裕があって、投資”も”というならそれもアリだとは思うけど
そもそも若いうちにそんなに余裕があるわけ無いでしょうし。

さて、ここまでは前振りみたいなもので
本題はここから。
投資の話ではありません。

世間でよく言われるのは
リスク回避のために分散するとか
色々とあった方が選択肢が広がるとか
ってこと。

確かにそういう考え方もあるでしょうけど
それ、本当か?
と、思っちゃうのです。

色々心配だからと言って
持てるリソースを分散すると
投入先それぞれのパフォーマンスは低下するでしょう。

選択したくない選択肢が増えたところで
それはどうなのでしょうね。

それに、そのやり方が他の多くと一緒ならば
競争力や差別化にはならないよね
ということです。

結局のところ
分散しようが
色々手を出そうが
保証なんて無いのです。

当然
一点集中でやっても同様です。

なのですが
分散すると、対象をコントロールしにくくなる

対して
一点集中なら、対象をコントロールしやすい

そういうのもリスクコントロールであって
その辺を考えるのも大事ではないでしょうか。

まぁ、自分にとってのリスクは何なのだ?
という話でもあるのでしょうけど。

何をどうするかは個人の自由なのですが
限られた自分のリソースをどう使うか
ということ自体を考えるのは大事です
というお話しでした。