「逆をいく」…学校の場合

学校で一般的にやっていることに対して無闇に逆らうということではないのだけど、その「逆」に大事なことがあったりもします。

例えば…

クリエイティビティなんかは分かりやすいところかな。
言われたことができるとか、知識ベースの作業ができるとか、そういったことも大事なのだけど、創造性も大事です。
そう、両方大事。

とはいえ、それらを身に付けるための時間も機会も限られているわけで、その環境でどうするか?
そこでトレードオフしましょう、という話です。

皆が持っているものを伸ばすか、それとも他の多くが持たないものを手に入れて伸ばすか。
どちらの戦略を取るか。

皆が持っているもの、つまり知識とか一般的な知的作業、つまり定型的な学習など、その能力を伸ばすのも一つの手かもしれません。
一見リスクが無いような気がします。テストで良い点をとって単位を得たり。
ですが、社会に出てからはどうでしょう?
きっと役には立つでしょうけど、何にどのように役立てるかは経験が無いまま社会に出ることになる。
それもまたリスクではないでしょうか。

一方、創造性を育むために新たなチャレンジをするなら、相応のリスクを取ることになる。
うまくいくとは限らないから。
でも、リスクをとって前に進むという経験自体が仕事をする上で役に立つし、そうして得た創造力自体が武器になるし、行動して得た結果がモチベーションにつながる。

どちらを選ぶも本人次第。

面白そうな方をお勧めしますがね。

「逆をいく」の真意…の一つ

他と同じものでは当然ながら独自性は無い。
なので競争力となりにくく、価値となりにくい。

当たり前のことなのだけど、そういったことは学校では教えません。

独自性を持たれたら面倒だからでしょう。
皆に同じことをさせたら効率上がりますから。
そりゃそうですよね。

なので授業も、その成果を測る試験も、皆で同じことをやって、結果を単一の尺度で評価する。

その効率の高さと引き換えに、独自性とか希少性を失う。
ついでに主体性とか自律性とか、大事なものも失う。
何事もトレードオフですから。

でも社会に出ると、急に独自性や優位性を価値として提供することになるわけで、そりゃ困っちゃいますよね。

学生のうちは皆と同じことを求められて、それを16年とか継続するわけでガッチリ習慣化されています。
が、社会に出ると競合と異なるもの、より優れたものを創造しなければならない。

これ、我が国の教育の現場において顕著ですが、多かれ少なかれ他国にも見受けられます。
ただやはり日本はその傾向が強いかな。

しかし、そういった素養を伸ばす機会は学校にはほとんどありません。

既存の学校の価値観で言うと

「みんなやってんの?
じゃぁオレはソレじゃなくてもいいじゃん
違うことで勝負しよう」

という発想は面倒でリスクでさえあります。
評価されないどころか、怒られちゃったりします。

皆がやってるなら別のことを
面倒ならなおさら

大事なことは逆方向にあったりする。
それは、価値を形づくる考え方の一つ。

夢工房はそうありたい。

チャレンジの中に学びがある

ショボいことをやる原因は分かっています。
ショボいことって、面白くもないことです。

堅実なことを積み上げた結果、そうなる。

まず目標を考える時に、達成方法とか、その際に生じそうな問題とか、労力を払う心配とか、余計なことを考えてしまうから。

そういったリスクを回避するためのものを考えた結果として、ショボいものを目標にするしかなくなる。

つまり、できることだったり、すでに分かっていることを組み合わせて「こうなっちゃった」みたいなことになるということ。

そんなのはエキサイティングじゃないし、面白くない。
なので、そういったものに気合いを入れて取り組むなんてのは無理だし、続かない。
そして結果が出ないので、ますます面白くなくなる。

堅実なやり方ってクレバーだと思われてるかもしれませんが、どうなんでしょうね?

やる前からどうなるか分かっているようなことであれば、少なくともチャレンジではありませんね。

やらないと分からないことがそこには無い。

チャレンジするなら失敗は不可避で、そして失敗からしか学べない。
失敗するって、実は得してるのですよ。

チャレンジし続ける限り学びがあるのです。