次はどこに行こうかな?2026

日曜日なのでバイクの話しにしましょう。

24時間以内に本土の端っこに行けるかという
1Dayチャレンジは、東西南北全て行ってしまいました。

この場合の「端っこ」は
本土の端という意味です。

住んでいる埼玉から
北端の宗谷岬
東端の納沙布岬
南端の佐多岬
それぞれまで、約1,500km
西端の佐世保までは、ちょっと短くて1,200kmちょっと。

で、何が言いたいかというと
24時間で端っこまで行くというのはネタ切れで
この先やるとしたら
24時間でどのくらいの距離を走れるか?
これはチャレンジの度を超している気がするわけで…
あまり面白味を感じません。

どこまでも行く
ってのはロマンを感じますが
何キロ走れるか
とかなると
なんかグルグル走り回っているみたいです。

となると、本土最南端をブチ抜けて
沖縄か!?
なんてことを考えるのですよ。

何もバイクで行かなくても良い気もするのですが
それでも行っちゃうのがバカバカしくて良いじゃないですか。

カーフェリーは鹿児島から出てます。
なので行けます。

と思い付いちゃったら
プランニングせずにはいられないわけで…

1週間で完結という前提で考えてみると
ザックリこうなります。

1日目:埼玉→ 鹿児島
22:00頃出発、夜通し走行。

2日目:鹿児島 → 那覇
14:00頃 鹿児島新港到着(約1,400km走行)
13:00〜17:30 乗船手続き
15:30 これまでに乗船手続き
18:00 鹿児島出港、船中泊

3日目:那覇到着
19:00 那覇港到着、沖縄1泊目

4日目:沖縄滞在
バイクで沖縄本島を走り、沖縄2泊目

5日目:那覇 → 鹿児島
05:45~06:30 乗船手続き
07:00 那覇出港、船中泊

6日目:鹿児島 → 新門司
08:30 鹿児島新港到着
バイクで新門司へ移動(約350km走行)
23:55 新門司出港、船中泊

7日目:横須賀 → 埼玉
20:45頃 横須賀到着
22:45頃 帰着(約135km走行)

本当は0時に出発としたいところだけど
鹿児島での乗船手続きの余裕を見て
前日の22時出発。
一気に1,400km走るのは大変だけど
その後は船で丸々1日寝ていられますしね。

沖縄に着くのは19時で
翌日の朝のフェリーで帰っても良いのだけど
それをやっちゃうと
なんでバイクで?
となってしまうので
到着翌日は沖縄ツーリングですね。
なんか後付け感が凄いけど。

で、鹿児島に上陸したら北上して
新門司から東京九州フェリーで横須賀へ。

これ、やるとしたらいつ頃が良いのだろうなぁ。
年越しなら、夢工房のチームのための初詣も兼ねて
由緒ある遠くの神社に寄れそうですね。

とか、こんなバカなことばかりやってるから
卒業生たちが一緒にツーリングに行ってくれなくなっちゃったのかな。


成長のチャンスは後悔の後に

何かをやった結果
「こんなことになるなら…」

と思うことがありますか?
まあ、誰でもあるでしょう。
これ、後悔ですね。
「失敗」という結果に対する。

チャレンジしていたら
よくある話です。

でもこれ、学びですよ。
「ああすると、こういうことが起きるのだな」
という。

で
その学びを継続しなければならないわけなのですが
メンタルタフネスだけでは
一時的に乗り越えられても
継続できません。

「こんなことになるなら…」
の後に何を繋げるか
それが問題で

恐らくそれが
失敗に打ちのめされて
チャレンジできなくなったり
同じ失敗を繰り返す人と
経験を糧にしてチャレンジできる人
の違いをつくるのではないかな
と思うのです。

「こんなことになるなら…」
の後に

「やらなきゃよかった」
はたまた
「こんなことになるなら…」
という過ぎてしまった過去の結果に執着して
思考停止して足を止めるのか

もしくは
「じゃ、次はこうする」
と決めて
改善のループを回すのか

何かをやれば
何かが起きる

それは当然。

そこから学ばず
結果にフォーカスして
後悔で終わるか

繰り返さないために
チャレンジを止めるか

でも経験から学んで
次を決めて行動できれば
次はきっと違うことが起きる。

ほら
チャンスは自分で作れるのですよ。

失った文化の話 その4

そもそも私は経済とか政治は素人なので
気にしているのは手元のことです。

それは「つくる文化」が消える
ということ。

一度作ることをやめてしまったら
再度始めるのは難しいのです。

問題なのは製造だけではありません。

修理しない
料理しない
考えなくてもサービスが提案してくれる
検索しなくてもAIが答える
店に行かなくても巨大プラットフォームから買える
教育ですら教材・正解・評価が与えられる

一つ一つは便利で合理的です。

以前やってたのだから
必要なら、またやればいいだろう?

と簡単に言えることでは無いのです。
環境を失ったところからの再起動は凄く難しい。

マニュアルやら動画やら
何かしらの媒体として残せる情報から
得られるものは限定的です。

本当に価値があるのは
目に見えないノウハウだったり
「勘」と呼ばれるものだったりします。

やった人にしか分からない
経験知やら暗黙知です。

さらに、ものを作るとなると
多くの人が関わったりするわけで
そうなってくると集合知も効いてきます。

ただ、そういうことがある反面
効率を向上させるツールなどによって
「その先」に進むことができるのも事実で
そこが判断が難しいところ。

そしてマインドの話。

受け取って消費する
言われたことをやる
というルーチンに慣れた者が
果たしてモノを生み出す側に行けるのか?

これはとても難しい。

創造性や自ら決める自由は
面倒なものなのです。

創造したり自分で決めたり
という価値を生むマインドは
とかく面倒で勇気や労力が必要。

そういったものを手放して
せっかく手に入れた楽チン状態から舵を切れるのか?

その状況から脱するために
今さら面倒なことをできるのか?

効率が悪くリスクが潜む可能性がある
チャレンジができるのか?

できなければ
システムに依存して
価値を消費し続け
何も変えられない
という巨大なリスクにさらされたまま。

これはマインドとか価値観の問題で
こっちの方が根深くて深刻だと思っています。

一度やめてしまったら
元通りにはならない

チャレンジできなくなってしまったら
変えたいと思っても変えられない

変えるべきもの
守るべきもの
または
関与しないもの

これらの判別・判断はとても難しく
さらに言うなら
それらに対して
どう行動するか
または、しないのか
それこそが最も重要なところ。

今回は主に製造を主題に話を進めましたが
世の中が大きく動き
AIをはじめとした新しいものが次々と出現している現在

文化という名の「古いもの」から何を学び
どのように折り合いを付けていくのかは
難しく、興味深いところです。

こんな話をすると
とかくテクノロジーとか
人の「外」のことにフォーカスしてしまいがちです。

小手先のこともやる必要はあるでしょうけど
本当に大事なのは
それらをハンドリングする
「人づくり」
なのでしょうね。