主体性と価値の話

主体性は「価値を生み出すための前提条件」です。

  • 指示されたからやる
  • 評価されるからやる
  • みんながやっているからやる

このように行動の主語が自分以外に向いているのは主体的ではありません。
これらが無価値とは言えないかもしれないけど、少なくとも付加価値は無いでしょう。

そう、主体性がある状態とは、行動の理由が自分の内側にある状態なのですね。
まさに内発的動機です。

価値とは何かを端的に言うと

誰かの課題を解決すること
とか
誰かの不便・不安・不足を減らすこと
です。

一見ネガティブな「問題」(problem)にフォーカスしているようにも見えますが、例えば
「格好いいスポーツカーを作る」
「レースで1位になる」
なんてのも課題ですから、必ずしもネガティブなことを指すわけではありません。
「誰か」が、自分、チーム、スポンサーなどの組み合わせだったりしますが。

ここで重要な点があります。

価値は「問題設定」から始まるということです。
ポジティブな表現をするなら、「夢」とか「ゴール」の設定から始まるということ。
もちろん、その設定は誰かに与えられるものではなく、自身でやることが核心的に重要。

つまり

  • 問題を「自分ごと」として認識できるか
  • 「これは放っておけない」「やらずにはいられない」と感じられるか

ここに主体性が不可欠になります。

主体性がないと

  • 問題は常に「他人のもの」
  • 解決は単なる「作業」となる
  • 結果は単なる「消化」となり経験が活かされない

になってしまいます。

この状態では、新しい価値はほとんど生まれません

主体性の話の前に

むかしむかし、ある人に
「建築は建築士の資格が必要なのに、なんでクルマの設計者は資格が要らないんでしょうね?」
と聞いたところ
「クルマの開発はアイデアでやるものだからだ」
とのご返事。

実際に仕事をしてみて、その通りだな、と思いました。
そりゃもちろん、知識やら技術は必要ですが、それらを組み合わせるだけで何とかなるものでは無いですから。

当然、建築だってアイデアは必要でしょうけど、恐らく知識や技術とアイデアの比率が違うのででょうね。
建築の場合は、法的にクリアしないといけないことが多いのかな。
そもそも、こういう構造でなければならん!とか。
具体的な手段による制約が多いのでしょうね。

方やクルマの場合、法的な要件とか社内要件はあるのだけど、達成方法・手段は自由です。
例えば、ある部分において、ある強度が必要だとして、どうやってその強度を確保するかは自由なのです。なので、アイデア勝負。

さてさて、ではアイデアはどうやって出すの?
という話なのですが、これこそ主体性が無いと無理なのです。

前向きなマインドによる主体性もあるし
時には追い詰められた末に主体性を発揮することもあるでしょう。

いずれにせよ、アイデアを出したい・出さなきゃ、という環境に身を置かないと無理でしょうね。

というわけで、主体性についての話を展開する前振りはここまでにしておきましょう。

現状の教育システムはどこから来たか?

なぜ現状はこうなっているのか?というのは、制定された当時に何のためにそうしたのか?が大事で、それは今後を考えるうえで大変役に立ちます。
というわけで、色々調べてみた結果を元に紐解いてみましょう。

現状の日本の教育システムの原型は、約150年から200年前のプロイセン(旧ドイツ・オーストリア圏)にあります。
それを約150年前に明治政府が参照して制度の設計をしました。

ただ、気を付けなければいけないのは、時代背景が現代とは違うので、単純に良いとか悪いとかは言えません。
というか、その当時から近年までは時流に合った方法だったのは間違いないでしょう。

ゴールはこれです。

近代国家を支える「規律ある大量の人材」を育成する

19世紀のヨーロッパでは

  • 常備軍の拡大
  • 官僚制国家の成立
  • 産業化による大量労働力の必要

が同時に進みました。
このとき国家が必要としたのは

命令を正確に理解し
同じ基準で訓練され
決められた役割を果たせる人間

です。
そこで導入された要素は

  • 学年制
  • 教科制
  • 時間割
  • 一斉授業
  • 成績評価
  • 教員による統制的指導

これらの基本形態は今も変わっていません。
150年以上も同じシステムが通用するなんて凄いことです。
もちろんそれにはメリットがあったからです。
それは

  • 大人数を
  • 少人数の教員で
  • 同一の基準と速度で
  • 可視化された評価で

効率よく管理できる。
そのためのツールというか手段がこれ。

  • 入試
  • 単位
  • 成績
  • 卒業判定

これらはすべて

  • 点数
  • 時間
  • 出欠
  • 規定量の履修

という誰にでも説明できる定量化された指標で可視化できて、説明責任に応えられます。

というわけで、プロイセン型の教育モデルは、高い次元で効率を最適化した完成度の高いものだったのです。

ただし、それがいつの世にも適用できる絶対的なものかというと、決してそんなことは無いはずです。
だって、世の中は変化するのですから。