正しいと信ずることを行いなさい

正しいと信ずることを行いなさい。
結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。

インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジーの言葉です。
名言です。

ガンジーが、どんなことをした人かは教科書で見たことがあるでしょう。
ただし、教科書の記述はあまり詳しくないでしょうし、私なんかは何が書いてあったかなんてさっぱり覚えていません。
そもそも内容なんて理解しようとせずに、ガンジーの顔写真に髪の毛を描いていたりしたでしょう?
したはずです。
そんな人にはWikipediaですね。

ガンジー、実に勇気のある人です。

人の持つ性質というか、特性というか、そういうので最も重要なものとして、「勇気」とか「優しさ」とかがあると思うのですが、そういうのってまるっきり独立したものではなくて、相互に関係しているものだと思っています。

どういうことかというと、やさしさを発揮するにも勇気が必要だったりするでしょう。
逆に、勇気を発揮するにも、他を思いやる心が必要だったりする。
そういうことです。

そんな風に、大事な特性って色々あるのだろうけど、何が一番表だって現れるのかというのもあるわけで、チャレンジで行くならやはり勇気ってことになるのでしょうね。

でも、何度も言っているように、コロナ禍の環境において、むやみに勇気を発揮することは非常にリスキーだったわけで、そんな環境を何年も生きてきた我々は、自分でも気付かないうちに勇気やらパッションやらを失っているわけです。
これはもう断言してしまって良いと思うのです。

気付けば腰の引けた世の中が、いつの間にやらやたらと面倒なシステムで構築されていたりして、おかげでやりたいことをやるのには、いちいち面倒なハードルを越えなければならなかったりもします。

厄介なことに、安心・安全で便利なシステムなんてのは、その中に収まっているなら勇気が要らない仕組みになっています。

システムに限らず、一度構築されてしまったものは、なかなか変えられなかったりします。
我々の心もそうです。

価値あるものって、だいたい勇気でできていると思うのです。
やる勇気、継続する勇気…

成長するというのは、現状の自分から変化することなので、そういうのも勇気が要りますね。

と、そんなことを思う一日でした。

結局は対人関係でしょう

何をするとか、何のためにとか、結局は「周囲の人との関係をどうしたいか」ということに落ち着くのではないか?
なんて思う今日この頃。

何でそこに今まで気付かなかったのだ?とも思うのだけど、結局、人の動機なんてのは、他との関係をどうしたいかによって大きく左右されるわけですよね。

例えば、周囲と衝突したくないとか、否定されたくないとかってことになれば、自分を出さない方が得策ってことになるでしょうし、むしろ「自分」が無い方が良い。

他のために何かをやる、ということになっても、それが受け入れられないとか、認められないなんてことも起こりえるわけで、そんなリスクを排除するなら、そもそも他のために何かをするなんてことはしない方が良い。

夢工房みたいに、チームで何かに取り組むような活動の場合、人間関係が深化できないのなら、各人それぞれがバラバラで各個人の力をまとめることなんてできないわけで。

そういう状態でチーム戦を戦うなんてことになると、「バラバラの個人対チーム」といった形になるわけで、これは敵うわけがないし、やっていても面白くないでしょう。

ただし、各人バラバラのメリットは確実に存在するわけで…リスクを取らない、とかそういうことですが。
それは決して集団の利益にはならなくて、ひいては属する本人の利益にも繋がらないわけで、でも、そこに価値を置く習慣ができていると、何も考えなくてもそうなっちゃうのでしょうね。
うん、まさに価値観の問題だ。
さぁ、どうしたらこれをひっくり返せるのだろう。

とまぁ、そんなことを考えていました。
これも引き続き考え続けていかなければならないネタです。

どっちがいいのだ?

  • 主体性がないフォロワー
  • 主体性があるチャレンジャー

この二つを並べると、多くの人が「後者が良いに決まってるじゃないか!」と言いそうです。

でも、果たして本当にそう思っているでしょうか?

主体性がないフォロワーは、余計なことを言ったりやったりしません。人の言うことをよく聞き従います。
ダメそうなこと、特に目立ちそうなことや、失敗したら怒られそうなことはやりません。
特に、できるかどうか分からないことはやりません。

一般的な評価は、「素直な良い子」でしょう。
「大人しい」とか「真面目」なんて思われることもあるかもしれません。
これは学校での評価ですが、社会に出ると一転します。
消極的とかいうことになるかもしれません。
管理はしやすそうに思いますが、そうでもありません。手間が掛かります。
与えるタスクを詳細に設計する必要があるので。
基本的に言われたことをやるでしょうけど、そういうのって100%の達成は難しいので、要求レベルを下回ることが多い。
でも、ルーチンワークには強いでしょう。

主体性があるチャレンジャーは、言いたいことを言うし、やりたいことをやります。基本的に他人の言うことに従うばかりの環境を嫌がります。
ダメかもしれないけど、やりたいことをやるし、基本的に目立つのが好きだったりもします。
できるようになりたいことは、やってみます。失敗したらどうこうというより、興味や好奇心が先行します。

一般的な評価は…なんでしょうね。
面倒なヤツ?悪い子?
これも社会に出ると一転する可能性があります。
ノってくると没頭しますので、成果は出しやすい。
言われてもいないことをやるので、新しい価値を生み出すとか、望外の成果を出すかもしれない。
失敗は多いだろうし、一般的なことは苦手だったりすることもあるだろうけど、独自性を持っていたり、ピンポイントの強みを発揮したりする。
ルーチンワークばかりでは耐えられなかったりします。

この二つの特性というか、道筋というか、生き方というか、これは自分で選んだものです。
環境などによって意識的ではなかったにせよ。

選んだ理由は様々でしょう。

そっちの方が評価者からのウケが良かったから
そっちの方が楽だったから
そっちの方が面白かったから

選んだものを押し進めていくとどうなるでしょう?
何となくでも良いので、自分の理想に繋がっていくイメージができるでしょうか?
そもそも理想なんて無いでしょうか?

結局のところ、どっちが良いとか悪いとかって話ではなくて、自分にとって譲れないものは何か?価値あるもの、欲しいものは何か?ということで、そのために何を取って、何を手放すのか、ということになるのでしょうね。
価値観ってヤツです。

さらに言うなら、それを変えたいと思うか、変えられないと思うか、それも人それぞれ。
自由ってヤツです。