セーフティネットについてもう一回考えた

何を考えたかって、自身が学生の頃はどうだったのか?ってことです。
セーフティネットと呼べるような仕掛けが果たして存在していたのだろうか?と。

まぁ、そんなものは無かったような気がします。
どうなっていたかというと、そもそも周囲が若者に対してチャレンジさせようなんて思っていなかったような気がします。

むしろ「余計なことすんな」みたいな感じかなぁ。
いや、そうでもないな。
どうだったのだろう?良く覚えてないんですよね。

チャレンジの入り口は開いていたかな。
今と違って、情報が限られていて紙ベースなので、足を使わないと入り口には到達すらできなかったのは確かでしょう。

多くがチャレンジしていたか?というと、決してそんなことは無かったと思います。
なので、あまり偉そうなことを言える気もしません。
ただ、やるヤツはやる。
単なるええカッコしいだった場合も多かったでしょう。自分も含めてですが。

セーフティネットみたいな保険的なものは無かったので、チャレンジするときのリスクは大きかったと思います。

だからこそチャレンジしていた気もします。
単にええカッコしたがるバカな子供だったのでしょう。

でも、今となって思えば、リスクを取るということは、相応に得られるものが大きかったのだと思います。

今、セーフティネットとか言っているということは、昔に比べてチャレンジしたがらない傾向にあるということですよね。
このままではマズイということでしょう。

チャレンジに対するリスクを低減してあげるのは有効な場合もあるでしょう。
特にビギナーには有効で、重要な機会になるかもしれません。
でも、「リスクが無いよ」ってのは、「価値も無いよ」って言っているようなものです。

「リスクを取ってでもチャレンジしたい」という気持ちにさせるにはどうしたものか?
そのために勇気を発動したくなるためには何が必要か?

やはり「心」か。
そこに行っちゃうのでしょうね。