なんでそれするの?

まぁ言いたいことは

将来どうありたいか

なんてことなのですが

基本的なところとして

あなたは何をやる人ですか?

これを決めておくべきでしょう。

つまり、価値の生み出し方の基本方針なのですけどね。

人と同じことをやりたいのか

人がやらないことやりたいのか

どちらに重きを置いていますか?
と、そういうことです。

さらに言うなら

それ、自分で選んだものですか?自分で決めたのですか?

ってとこかな。

まぁつまり

好きなこと、面白いことを一所懸命やったらいいよ

ってことなんですけどね。

その時に選ぶもの、選ぶことは何か?
それで自身の価値観が分かりますよ。

今を一所懸命

「今できることを一所懸命やる」
というのと
「できることだけやる」
というのは違います。
大きく違います。

今、自分がやるべきだと思っていることを一所懸命頑張るってのは、実に大事なことです。

それはそれとして

就活の時なんかに良くある話だと思うのですが、今、自分ができることを探す。それを仕事にする…みたいなことを考えがちですよね。

でも、そんなもの無いから学校にいるんじゃん!?ってことなんですよ。

なので当然、「できる」ようにならなければならないわけで、
じゃぁ、一体何ができるようになりたいの?
これが最初に考えるべきこと。

そのために、まずゴールを定める必要があります。
当然ながら、それは「今できないこと」です。

なのですが、これが結構難しかったりする場合があります。

「今できないことはゴールに設定できない」と思っている場合が意外と多いのです。
これ、よく考えるとおかしいんですけどね。
よく考えなくてもおかしいですが。

だからこそ、就活で「今できること」をベースに考えてしまったりするのでしょうね。

今できていないことを「やる!」って言うのがためらわれるような何かがあるのでしょうね。

「できもしないことをやるとか言って、バカみたい。」
みたいな反応が怖かったりするような感じでしょうか。

バカで結構ですけどね。

まぁ、それはそれとして、「ゴールを設定して頑張る」ってのはとても重要です。
もちろん、理想のゴールに到達するべく頑張るべきです。

で、理想のゴールに到達できないと意味が無いかというと…「それじゃ意味が無い!」というつもりでやるべきなのですが、結果がどうあれ、頑張れるってのが最も重要です。
そこに待ち受ける困難をいかに乗り越えるかとか、そんな経験ももちろん重要です。
で、それらは自分の内的なことです。

そんな当人を外から見ると、そういうチャレンジを継続できている者には期待ができるよね、となるのです。

はい、そういうことです。
その期待値が価値の源泉なんですよ。

参考までに書いておきますが、学校での研究などが、そのまま仕事として通用するかというと、多くの場合は無理でしょう。とても話にならないと思います。
内容もスピードも。

学校でやってる研究内容は、企業内でやったら三分の一くらいの時間でできちゃいますから。
中には凄い研究しているとこともあるのですが、そういうのは一握りでしょう。

なので、学校で何を学んだかというのは無意味とは言いませんが、内容がそのまま期待されているということは無いってのが現実だと思います。
それに、授業での学習内容などは、誰でも知ることができる内容です。
当然ながら、独自性とかアドバンテージにはなりにくい。

その証拠に、就職試験の面接でも、授業のこととか研究内容なんてあまり深くは聞かないでしょう。
「ふ~ん」ってな感じです。
ヘタすりゃ、研究始める前に面接しちゃってる訳だし。

なので最も重要なのは、ゴールの設定と、到達すべくどうしたか?ということです。

というわけで、そのために「今を一所懸命」ってのが大事ですよね、となるわけです。

思考停止…ってこと?

コロナ禍の環境下では、考えていなかったのではないか?
「反応」はしていただろうけど
それは思考停止だな。

なんてことを考えていました。

これ、学生に対して思うことでもあり、もちろん「果たして自分はどうだったのだろう」なんて省みたりもしているわけですが。

この思考停止状態は、全く頭を使っていない状態を指しているわけではありません。

自分発で、何のために、何を、どうする?
みたいなことを考えていたか?そうじゃなかっただろう?
ということです。

これ、比較対象があると分かりやすくなります。

何かを言われたり、何かが起きたりすることに対して反応する
なんてことです。
「言われたから、やった」
「そういう立ち位置にいたから、やった」
みたいなこと。今回、これを思考停止と考えています。

もちろんその時に、全く頭を使わないなんてことは無いでしょう。
でも、対応はかなり「反射」的になる可能性があります。

「言われたから、やる」
そんな時、あまり頭は使いませんよね。

恐らくそうなった場合の行動の内容は、最低限で最小限だったりすると思いますが、恐らくそれは本人の意識に昇ってこないのではないかなぁ。
要は、思考停止に陥っていることすら気付かない。

でも、ある程度は仕方ない気もするのです。

だって毎日、TVやらPCやら、画面を見て情報を受け止めるばかりの日々を過ごしていたわけですから。しかも年単位ですよ。
そりゃぁ、出された問題を解いたり、そういうリアクションはしていたとは思いますが、それってやはり単なる反応的な処理ですよね。

それが習慣になって、ちょっと大げさですが、それが生き方みたいになっちゃうのではないかな。

で、これは本人も気付いていなかったりして。
だって、それが今や普通だったりするわけですから。
だとしたら、指摘したところで入っていかない。響かない。
そんなことにもなるでしょう。

じゃぁ、どうする?

と、これ、クヨクヨ心配して悩んでいるわけじゃなくて、シミュレーションの一環のようなものなのです。
「…こんな可能性がある。だとしたら、どんな戦略を展開するべきだろうか?」
というミッションを検討するわけです。

そんな風に考えた戦略は、色んな対象に対して有効だろうな、なんて考えているのですよ。