どうやら停止している場合ではない

先月は久々に海外遠征に行ってきて
「今やアメリカでは何をするにもずいぶんお金が掛かるなぁ」
なんてクレジットカードの明細を見ながら実感している今日この頃

加えて、年末にはFormula SAEのオーストラリア遠征もあるわけで
色々と予約したり見積もったりしてみると
「あぁ、こりゃ参っちゃうなぁ」
というくらい以前に比べて色々お高くなっています。

これらは、現地の物価の変化もあるでしょうけど
相対的に日本円が弱くなっていることも大いに関係しています。
つまり日本の国力が低下しているということなのでしょう。

「自分は海外なんて行かないから関係ないし」
なんてことは言っていられませんよ。
国内だって色々値上げが進行中です。

とは言うものの
日本政府や企業は頑張っていると思いますよ。
諸外国に比べて物価上昇は相当抑えられていると思うのですが
どうでしょうか?
燃料価格2倍とかにはなってませんものね。
こういうの、報道してるんですかね?
私はテレビ見ないので分かりませんが。
たぶん、こういう頑張りは誰も褒めてくれないんじゃないかな。

やらかしたときは、すぐに吊し上げるのに
頑張ってもあまり喜んでくれないなんて
なんと寂しい世の中ではないですか。

そして、世界的にもあちらこちらで
かなりキナ臭い雰囲気になってきましたしね。
我が国周辺も含めて。

とまぁ、こんなことをネタにすると
なんかこう、暗くて残念なところに突入していきそうですが
こういうのを単に受け止めるだけではイカンと思っています。

というか、現状を変えるチャンスだと思うのです。
危機感が無いから行動する動機が無かったのであれば
色々起きたならやる理由ができるじゃないですか。
もちろん自分がですよ。

これを契機に皆が頑張るかというと
決してそんなことはないでしょうけど
頑張る人の数は多少なりとも増えるはず。

コロナ開けでの変革があるかと思っていましたが
どうやら想像以上に色々変わっていきそうですね。

やるならきっと今ですよ。
こういう変化が起きているとき
「そのうち」
は来ないと思った方がいいです。
今までと同じような
「そのうち」に適した時は来ませんから。

さて、あなたはどうしますか?
たぶん止まって考えている場合ではないです。
動きながら考えましょう。

日本刀から学ぶ

今日は刀匠の方のお話を伺ってきました。

刀匠とは刀鍛冶
日本刀を作る人です。

日本刀に関するある程度の知識は
本やネットで手に入りますし
博物館に行けば色々見られるのですが
実際につくっている人に聞かないと分からないこともあるし
作るための環境を見ないと分からないこともあります。

それに「技術は人なり」ですので
その人と話すことによって感じられること
それが重要だったりもします。

ここで日本刀に関する技術的なことを詳しく話してもどうかな
というところなのですが
異分野のエキスパートの話は大変参考になりました。

まぁ、異分野とはいっても
金属を使ってものを作るということでは
同業と言えなくもないと思っているのですが
あちらは技術レベルが非常に高いことに加えて
伝統的かつ芸術に近い世界なので
かなり次元が違いますけどね。

まぁ、そんなこんなで
色々強させてもらえました。

日本刀は鉄でできていますが
そのつくり方の説明は簡単ではありません。

でも、あえて簡単に言うと…
一口に鉄と言っても色々あるわけで
複数の性質の違う鉄の素材から
理想的な素材に調合するところから始まって
それらを重ねて接合して、成形して、熱処理(焼き入れ)して、研いで作ります。

あの大きさで、あの精度と品質、そして性能
難しいのは当然で、大変面倒な仕事です。

その各工程で、何のために、どんな道具を使って、どんなことをしているのか
そんなことを見たり聞いたりすると
文字にするのは難しいですが(文才が無いから)
何となく我々日本人の持つ強みというか基本特性というか
そんな感じのことが見えてきたりします。

「あぁ、こんな方向性に行けば…
こんな考え方、やり方をすればいいのかな」
という大筋です。

というのも
日本刀の文化は
つくり方の大筋決まってから
数百年間継続しています。
いや、日本刀の起源とも言われますので
ヘタしたら1500年くらいかもしれません。

その間、もちろん工夫したり改良したりはあるでしょう。
でも、大筋は変えずに守って
常により良いものをつくる努力を継続している。

これは凄いことです。

この中には、とても文字にできない
というか
文字になんてしたらキリがない膨大な情報が
しかも目に見えない情報
いわゆる暗黙知が大量に含まれています。

刀匠の世界には
当然ノウハウはありますが
教科書やマニュアルはありません。
日本刀に限らず
伝統工芸の世界はそんなもんですが。

恐らくこれ
現在の教育ではあり得ないやり方でしょう。

現在の教育方法は
せいぜい150年程度の実績しかありませんが
日本刀の技術継承は1500年です。

そこから学べないはずがないでしょう。

とはいえ、これを学校の中に適用しようと思っても
それをそのまま使えるわけではないので
どうしたもんかな
というところなんですけどね。

ま、色々トライアンドエラーしてみます。

分からなくてもやってみな

「筋」というか「芯」というか
自分がどこに向かっているか
という方向性は重要だよね
とか考えてました。

まぁつまり
「ゴール」が大事なんだよね
と。

向かっている方向性がダメならば
そこに何を足してもダメなわけで。

なのでゴールを定めるというのは大事なこと。

ただ、それが正解かどうかなんて分からないし
そもそも正解なんてあるのかな?
とも思います。

自分の正義や信じているものに照らしてどうか
ということになるのでしょうか。

それはそれとして
自分がどこに向かっているか
それすら分かっていない
というか意識していないことが
意外と多いのではないかと思うのです。

なぜって
我々は目的意識を持たずに行動する訓練を受けているからです。

学校なんてそうですよね。
何のためかは分からないまま
言われたことをやって覚えて…
それが当たり前の世界で
それを延々何年も続けます。
皆が同じことを同じようにできるように。

「余計なことを考えないで
文句言わずに皆と同じ方を向いとけ!」
みたいな。

そこに目的意識は必要ないですものね。
むしろ目的意識なんて持っていたら
「この科目は不要だ」
なんて思っちゃうかもしれないし。

そりゃぁ基礎的な
とか
常識的なところは
皆が知っていた方が良いことがあるでしょう。

でも
それだけがうまくできたら
人生がハッピーになるなんて
誰も保証してませんよ。

それにしても
あまりにも同じことをやり過ぎで
強みを作ったり伸ばしたり
そんな機会はなかなか無いですよね。

そもそも世の中なんて
色んな人が、それぞれ得意なことを持ち寄ってなんとかなってるのに
皆が同じで得意なことがなければ。
どれだけ恐ろしいことになるのか
どれだけつまらないことになるのか。

自分の向かう方向性を意識せずに
とにかく(言われたことを)やって
「出来なり」
みたいな生き方もできるでしょう。
「こんなんなっちゃいました」
みたいな。

でも大事なのは
「どうなっちゃうか」
ではなく
「どうしたいか」
それを意識することですよね。

でも、人の行動のほとんどは無意識に支配されているから
意識して行動して
意識して行動して
それを繰り返して習慣化していく必要があります。

そんなふうにやってると
結構色々できちゃうものなんですけどね。

何をしたらいいか分からないから行動できない

そんなの凄くもったいない話で
何でもいいからやってみればいいと思います。

分からないからできない
とか言うけど
やらないから分からない
のだと思いますよ。

何かしらやってみて
その結果を見て考えたら
何か気付きがあるでしょう。

一回やってみて気付きを得られなかったら
もう一回やってみたらいいんじゃないかな。

で、ダメだったら
「あ、これはダメだ」
って分かるじゃないですか。
それは大発見ですよ。
やらないと分からないことが分かったのだから。
で、次は違うことをやればいいでしょう。

やってみてダメでも
何かピンと来たら続けてみるも良し。
継続したらうまくいくこともありますしね。

失敗したくないので
正解の方向性が欲しい?

残念ながら、そんなレベルの高い難解なことは分かりません。
もし正解があるなら、きっと本屋さんにあるでしょう
「人生の正解」
みたいな本が。

仮に本当にそんなのがあっても面白くなさそうですけどね。
今この瞬間生きてる意味がなくなっちゃいますし。