何かを一所懸命やるには何が必要?

人が何かを一所懸命やるには何が必要でしょうか

やらないと命に関わる状況なら
そりゃぁやるかもしれません。

平穏無事で食うに困らない状態では
一所懸命やる理由も無かったりして
何かに一所懸命取り組むためには
何かしら理由が必要なのかも知れません。

外発的な動機に取り囲まれて
日頃からやらされる経験ばかりだと
そこから解放されたくなるのは仕方ないことで
やらされればやらされるほどほどやりたくなくなる。

でも、そうではなくて
やらずにはいられなくなる楽しさとか
人の役に立てたときの満足感とか
そんなのが動機だといいですね。

あと、動機が何であれ
それを楽しめるようになれればいいでしょう。

そもそも「天職」なんてのは
最初からあるものではなくて
自分でそのようにしていく
ということでいいと思います。
むしろその方がいい気もします。

だって、初めてやることで
最初からうまくいくことなんて
そうそう無いでしょうし
そんなものを探し始めたら
人生いくら時間があっても足りないでしょう。
むしろ、うまくいかなかったことを何とかしていく
というところに価値があるのでしょうから。

やらされるのはなく
自分からやってみたい
自分の意思でチャレンジしてみたい
そんな思いが発動するためには何が必要なのでしょうか。

赤ん坊のころは色んなものに手を伸ばして
親に「ダメダメダメダメ」とやられますよね。
物心が付く前には自然とそういう行動をするものです。
それってまさにチャレンジだと思うのですが
でも、いつかやらなくなる。
これは一体何なのでしょう。

これは教育機関のみならず
あらゆる組織における課題になってくるのではないでしょうか。

もうすでになってる?
うん、そうかもしれません。

さぁ、どうしましょうか。

想像ができない そりゃそうかも でどうする?

最近は夢が無い若者が増えている
なんて話を何回か記事にしたと思います。

夢工房の活動をやっているような学生達に関しては
夢が無いというのは逆に珍しかったりするのですが
それとは違って
いや、違わないかな

未来が見えないというか
ちょっとした先のことが想像(想像)できない
という者は増えている気がします。

例えば
ある部品を設計しているのだけど
その部品をどのように作るか
どのように組み立てるか
どのように使うか
など

未来に起きることが想像できないというか
想像する他のが苦手だったり
そんなケースが増えている気がします。
もちろん全員ではないですが
確実に増えている気がします。

夢が無いというのは寂しいことですが
ちょっとした先のことが想像できないというのは
開発などを含め
仕事をする上では
ちょっとクリティカルかもしれません。

何でそうなるかという理由は分かっています。

何をするべきかとか
そのために何が必要かとか
それをやるとどうなっちゃう可能性があるかとか
その辺を考えて行動する経験が少なかったからでしょう。

言うまでもなく
親をはじめ、周囲がお膳立てしてくれたから
自分の代わりに考えて決めてくれたから
ということでしょうね。

もちろん
そういう環境で育てば
自発的に考えたり決めたりする能力が身に付いているはずはありません。

言われたことをやる
いわゆる「良い子」なら仕方ない気もします。
でも、仕方ないじゃ済まない。

うーむ、こりゃ困ったことだ。
まさに困難です。

でも恐らく
いや確実に
この困難に直面して解決するのが
学校でも社会でも課題となるののは間違いない気がします。

さぁ、でっかい宿題ができましたよ。

面倒なことに価値があったりするのだけど

面倒なことはやりたくないですね。
まぁ当然です。

面倒なことは「できない」ということにして
やらなくて済むようにしてます。
誰が?
自分がです。

今までやったことがないことをやるなんてのは
面倒なことに分類されやすいですよね。
今まで使ったことがないデバイスを使うなんてのが該当するかと思います。
例えばパソコンを使えるようになるとか
スマホを使えるようになるとか
さらに、そういうものを使って長文を入力するなんてことになると
実はとてつもなく面倒な作業なのですよ。

そういうのは高齢者には難しい作業だったりしますが
子供なんかはそういう面倒なことでも興味を持つと
たちまちできるようになったりしますよね。

そういうものに限らなくても
仕事で追い詰められればやるだろうし
結果としてできるようになったりします。

結局、嗜好とか興味とか
もしくは使命感とか
そういう感覚を持てれば色々できるようになるのでしょう。
結局は自発性とか主体性の問題だということになりますね。

今回のアメリカ遠征なんて
まさに好例です。

細かいメカで構成された
軽くて高強度のメカを作るなんて
ましてそれをコンピューター制御で動かすなんて
とてつもなく面倒なことです。

しかもそれを運用する環境は
遠いし言葉は通じないし
乾燥してるし暑いし寒いし不便だし
経験が無い者には過酷な環境でしょうね。
ちょっとした冒険ですもの。

でも、なんでそれができちゃうかというと
そういうのが好きとか、強い使命感を持っているとか
そんなマインドの問題だったりするわけです。

だからこそリスクを払ってチャレンジできる。

問題は、どうしたらそういうマインドになれるかということでしょうね。

でも、それは難しいです。

そんなマインドを持っていることについて
明確な理由なんてなかったり
定量化できる何かがあったりするわけではないので。

しかも、そういうマインドを持っている者、持っていない者は
双方が分かり合えません。

価値観が違っていて
向いている方向が違います。

なので「こうすればいいよ」とは言えないのですね。
どうせ言っても理解できないだろうし。

結局は
やりたきゃやればいいし
やりたくなければやらなきゃいいじゃん
ということになっちゃいますね。

チャレンジングなマインドの構築は
もちろん若いうちにやるべきなのですが
今の世の中、そういう機会はめっきり無くなっている気がします。

ま、そりゃそうです。
安心で安全な世の中を作ろうなんて思ったら
チャレンジさせられませんもの。

加えて、便利な世の中ならなおさらです。

色々言ってきましたが
これ、学生に対することだけでなく
彼らを取りまく年長者に対しても言えることです。

さて、ではどうしますかね?