想像ができない そりゃそうかも でどうする?3

なんか当初の方向性からズレ始めている気もするけど
気にしないでいきましょう。

現状の方向性のままではダメだとして
じゃ、何をどう変えるのか?

必要なのは
想像力とか行動力とか主体性だったりするのですが

想像しろ!
行動しろ!
主体性持て!

なんて言って
その通りになったら苦労しないわけですね。

さて、どうしましょう?

当人が
そうしたい
と思うような環境が必要です。

こういうことについて
きっと多くの頭の良い偉い人達が
ずーっと考えてきてるのだと思います。

私ごときがちょっと考えても
そんなにグレートでパーフェクトなソリューションを提示できるとは思っていませんが
日々の思いつきを書いていくブログということで
思いつきを書きましょう。

教えなければイカン!
やらせなければイカン!

という外的な動機が根源にあって
現在の状況になっているとしたら

じゃ、教えなければいいじゃん
やらせなければいいじゃん

なわけですが
実はコレ
夢工房です。

どういうことかというと
今、夢工房で頑張っている連中は
大層なチャレンジをしていると思います。

でもコレ
大学が命じてやらせているわけでも
私が命じて手やらせているわけでもありません。
やらないと単位が取れないわけでもありません。

そういうのをやりたい学生が集まって
自主的にやっているのです。
内的な動機です。

それを大学がバックアップしている。
それだけの話です。

なのでもちろん
活動を継続するために
彼らは付随する面倒なことも自主的にやっています。

お金を集めたり
機器のメンテナンスや環境整備など
数え上げたらキリがありません。

おお!なーんだ。
やらせなければいいじゃん
って話ですね。

そうです。
ですので、以前からさんざん
好きなことをやろうよ
と言っているのです。

でもこれは結構怖いことかも知れません。

だって大抵は学校で

「好きなことやれ」

と言うとサボりますからね(笑)

サボりたいヤツにはサボらせておいて
その後に何が起きるのか
リアルワールドを経験させてあげるのがいいと思うのですが
そういうのはダメですかね。

ダメなんでしょうね。
だから近年の世の中は、こうなっているのでしょう。


「先生なのだから教えなきゃ!」
ということで
まだ本人達が必要と思っていないことを
ガンガン詰め込んでいくという

必要とも思わないことを受容できる人間が優秀なのだ
みたいな状況になっている気がするのですが
これ、どうなんでしょうね。

なんかプロフェッショナリズムが
変な方向に行っちゃってる気がするのですが。

想像ができない そりゃそうかも でどうする?2

想像力なんて必要が無ければ育まれないわけです。
で、想像だけしたって何も起きないわけなので
行動しないとイカンのですね。

というわけで
自分がどうすべきかを考えて
トライできることが重要なのだと思います。

記憶力を中心とする能力や
指示を忠実に実行する能力が高い人も必要でしょうけど
そういう人達だけいても何も起きません。

当然ながら、現在の学校という組織は
その特定の能力を伸ばしてその高さを評価しています。

世の中が今のままの方向性でOKで
そのまま強力にプッシュしていけば明るい未来が開けるか?というと
どうもそうではないことは多くの人が感じてるのではないかな。

恐らくこれは今後変えていかないとエライことになるでしょうけど
どうにもこうにも変えようがなくて
恐らくジレンマに陥るのではないかと思っています。

だって変えたくない人が圧倒的に多いだろうから。

でもこれは、変えたいとか変えたくないという話ではなくて
その先の「何のために」という所を見る必要がある。

それがいわゆるビジョンなのだろうけど
そこを明確化しようとすると
恐らくそこでも反対勢力が出現するのではないかな。

なので、このジレンマを
いまの大きなシステムで解決するのはたぶん無理。

では諦めるのか?

そういうわけにはいかないので
小規模なチャレンジャーが
ヒーヒー言いながらやるしかない。
テストベッドとして。

そういう意味では
大学という大きなシステムの中に
夢工房という小さなテストベッドの内包を許容してくれている
現在の環境は大変ありがたいと思っているのです。

動いている本人達は
外から見ればモルモットのようなことになるのかもしれないけれど
ここでやったことは確実に彼らの未来に活かせるので
これは全く問題無いわけで。

あとは成果を出して
波及効果が出せるようになれば
夢工房の使命は果たせるのかな
なんて思うのです。

そのためのアイデアが必要ですね
ということで次回に続きます。

今回アメリカで思ったこと2

まずコストの話です。
アメリカの物価が上がっているのか
日本円が弱くなっているのか
恐らくその両方なのでしょうけど
何をするにも高いなぁと感じました。

ただこれは、数字としての価格が高い思ったという話しで
そこから得られた経験としては
決して無駄を感じていたわけではありません。

円と米ドルを単純に換算して
現地で色々経験するというのは
為替レートによって我々の生活がどうなるのか
ということを肌感覚として知る良い機会にはなったと思います。
日本国内にいて価格の変動を感じていても
それが国際的な関係によって影響を受けている
という実感はなかなか得られませんからね。
まぁつまり
「日本人、頑張らんといかんな」
と思うきっかけにはなったということです。

コミュニケーションや他人との関係ですが
これはやはり国が異なれば大きく変わる
というところです。

店舗内でのコミュニケーションなどは分かりやすいところです。
日本ではお店の人とコミュニケーションするどころか
挨拶することすらありませんよね。
むかしむかしはそんなことはありませんでしたが。

これは国際的に見たら異常なことです。
客と店員
という関係に限らず
人と人とが接する際に
挨拶もしないで無言でやるべき事をやる
というようなことをできるのは
ちょっとおかしいですね。

店舗内に限らず
宿でも街中でもそうですが
日本人のコミュニケーション能力は
国際的に見たら相当低いレベルになっちゃってる気がします。

人との距離感覚も興味深いところです。
店舗の中などが分かりやすいのですが
店内をウロウロしていると
他のお客さんとすれ違うとか
進路を遮ってしまう
なんてシーンがあるものです。

日本人の感覚では
欧米の感覚では「近すぎる」と思う距離まで接近しても
違和感を感じません。
これはアジア人の感覚なのかもしれませんが。

なので、店舗内で「おっと!」が多くなります。
もっとも本人は気付いてなかったりしますが。
この距離感覚は日本とは大違いです。
でもひょっとすると、アメリカとかオーストラリアとか
大きな国に住んでいる人固有のことなのかな?
イギリスはどうだっただろうか?

皆さんご存じの通り
アメリカは日本より先行してコロナ禍から立ち上がっている最中です。

日本にいてネットで得られる情報では
アメリカ人はコロナなんて全く気にしていなくて
なにも対応していない
なんて感じますがさにあらず。

どうやら結構、自粛や縮小していたようです。
または現状でもしています。

リノのエアショーのようなお祭りでは
顕著に感じられました。
見るからに規模が縮小されていましたし
実際に来ているお客さんも相応に減っていました。

また、空港などでは
定常に戻る過程での多少の混乱は見られました。

航空会社のカウンター業務などは特に問題を感じませんでしたが
空港にあるレンタカーのオフィスなどは
徐々に増えつつある旅行者に対して
明らかに仕事がうまく回っていないシーンが見られました。
都市部は相応に対応をしているのですが
地方空港などはうまく人が捌けていない印象を持ちました。

アメリカの現状の経済状態などは
あまり詳細まで分かりませんでしたが
今回リノで感じたのは
メキシコの人が多いということです。

もちろん以前から多かったのですが
今回リノで泊まったカジノでは
以前では見られなかったほど多くのメキシコからのお客さんで盛り上がっていた印象があります。
メキシコは景気が良いのでしょうか?
そういえば、ヒスパニックの店員さんも増えている気がしましたね。
いやいや、人種の多様化は全体的に進んでいた気がしますよ。
コロナ禍からの立ち上がりの過程とは思えない状態です。
興味深いですね。

と、今回はこの辺で。
思い付いたらまた書きます。