ウイルス考

*8月11日記 現時点でコロナウイルスが弱毒化しているとは断言できない状態のようですので、それを前提にお読みください。

コロナ禍が続いております。
重症化しにくいというのが救いですが。

さて、このコロナウイルス
今や変異による色々な種類がありますが

そもそも、この手のウイルスって
家畜や野生生物が持っていたものが
変異することによって
ヒトにも感感染するようになるとのこと。

コロナ禍と言われてもう少しで3年も経つのですが
その間に一体どれだけの変異株が確認されたのでしょう。
それぞれの変異株によって
感染力が異なったり
症状が異なったり
不謹慎かもしれませんが
なかなか興味深いものがあります。

ヤツらは、DNAとかRNAとか
自分の設計図は持っているけど
自分で増殖することすらできず
他の生物の細胞に入り込んで
寄生することによって増殖します。

そもそもウイルスは思考する脳を持たないどころか
細胞からなる構造は持っておらず
そもそも生物と呼んでもいいのか?
といったシロモノ。

にもかかわらず
変異を繰り返して特性を変えることによって
まるで生き残りを図っているようにも感じます。

最初は凶悪だけど
感染力を強化しながら弱毒化することによって
まるで排除の網をくぐり抜けて
一般化して生き残りを図っているようにも見えませんか?
素人目には何とも不思議です。

きっとそういうのを研究している学者さんはいるのだと思いますが
機会があれば一度お話を伺ってみたいものです。

視野を広げて色々見てみれば
自然の中には同じような例が
いくらでもあるのかもしれません。

生物をはじめ、無生物も含めて
地球の色々なものが関連して影響し合って
全体を新陳代謝しながら続いていく。

それぞれが何らかの使命を帯びているのか
そんなことは人間には計り知れないのでしょう。

何ともロマンチックな話ではないですか。

そんなことない?
まぁ、趣味や価値観は人それですからね。

早くコロナ禍収まるといいですね。

「調べる」の先に行こう

やはりというか当然というべきか

分からないことがあれば
すぐにネットで調べる

という世の中になってまいりました。
というか、結構前からそうなっていますね。

PCでもスマホでも
すぐ調べられるんだから
それを使わない手はないですね。

理想の未来がやってきましたよ!

でもこれ
ちょっと問題があります。

情報の出所の信憑性なんかは
問題といえば問題なのですが…

まず、あまり考えなくなっちゃうということ。
これは便利さとのトレードオフってことでしょうね。

考えなくても検索すれば
そこそこの情報が手に入っちゃうのですから
仕方ないといえば仕方ない
…と言いたいところですが
あまり仕方なくありません。

そうやって手に入れた情報は
信憑性が問題となることがありますが
これに慣れちゃうと
ネットで検索して出てきたもののレベルで満足しがちだったりして
そんなというところが問題だと思っています。

ヘタすれば
検索した時点で満足しちゃったりして。

検索した結果を参考にして
さらにその先へ先へ…
と行けばいいのでしょうけど

検索結果を鵜呑みにして
同じ事をやろうとするなら
それは新しくもないし
優位性も無いのです。

さて、この問題の核心にあるのは
「ネットで調べちゃう」ことでしょうか?

たぶんそうじゃなくて
目標や夢が無いこと・もしくは持てないこと
なのではないかと思うのです。

「夢を持っていない」と言う学生に対して
「なんで夢が無いの?」と聞くと
十中八九、「分からない」というような答えが返ってきます。

大抵のことは
強く望んで諦めずに頑張れば
なんとかなっちゃうと思うのですけどね。

そうは思えない環境なのが
現状だということなのかな。

これまた豊かさとか便利さとのトレードオフ
と言っちゃえばそれまでなのでしょうけど
ちょっとずつでも変えていきたいものですね。

その辺が夢工房の使命なのかもしれません。

宮本武蔵の五輪書より

剣豪、宮本武蔵が書いた五輪書(ごりんのしょ)
読んだことありますか?
武蔵の書いた書が読めるなんて凄いですよね。
現代語訳になったものが普通に入手できます。

色々と参考になることが書かれていますが
こんな記述が印象に残っています。

「唯一所に止めぬ工夫、是れ皆修行なり」

執着がなく、「道理を得ては、道理をはなれ」という状態
道理にとらわれず、形にはまって形にとらわれない状態
だそうです。
それが難しいのだ
ということですね。

何かを理解したり、できるようになったら
そこから離れて執着しない
ということででしょうけど
それが難しいのだ
というのは理解できます。

心を一所に置くのは自由でなくなるわけで

真剣勝負において
小さな事に執着することは致命的だということでしょう。

こういう考え方は
技術に関わる者にとっては
とても大事だと思います。

仕事をしていると
ついつい小さな事にこだわって、執着して
引き込まれてしまうことがあります。

そうすると全体が見えなくなって
一体何のためにそれをやっているのか分からない状態になりがちです。
手段と目的が入れ替わるのはこんな時です。

が!
問題なのは、それすら気付かずに没入してしまうことがある
これは致命的です。

なぜかというと時間を失ってしまうから。

こんなふうになってくると
「自分に由(よ)る」状態ではありません。
時間に主導権を渡さなければならなくなります。
自由を失っているということですね。

「執着しない」
というのは仏教に通じる
というのも面白いところです。

こういうのは
エンジニアに限らず
仕事をする上で大事だと思います。

やはり道を究めた人の言葉は大事ですね。