デッドエンドの前にひっくり返してみたらどうなのでしょう?

もう散々書いていますが
「やらされるやり方」
では限界があります。

その裏には
「できればやりたくない」
が常にあるから。

そういうマインドで
アイデアを出したり
価値の高いものを作ったり
というのは無理があります。

せいぜいうまくいって
アベレージに乗っかる
みたいな最低限な事は
何とかなるかもしれませんが。

これからの日本
労働人口の減少
労働時間の短縮
などで

少人数で
短い時間で
より高い価値を生み出す必要が増大してきます。

というわけで
ますます若い世代への
期待とか負担とかが
高まってくるのは確実なのですが
肝心な育成の現場や普段の環境はどうなっているでしょう?

学校であったり
周囲から入ってくる情報は
それはもう様々なのでしょうけど
いずれにせよ「やらなきゃいけない」と
外部から入力されるでしょう。

そんなケースばかりでは無いのかもしれませんが
ただでさえ「やらされる」感じで
多くのものごとに向き合っている彼らに
さらに「やらなきゃいけない」が上乗せされていくのでしょう。

ますますやる気が無くなりますね。

それに対して
「そんなんじゃ~になっちゃうぞ!」
見たいな脅しをかけて
恐怖心を原動力にする
というのも増えるのかもしれません。

そういうケースもあって良いのかもしれません。
でも、それだけで良いとも思えません。

もっと難しいハイレベルな知識を
彼らの頭に突っ込もう!
そういうのもあって良いのかもしれません。
でも、それだけで良いとも思えません。

外発的な動機には限界がありますし
それを受け止められるのは少数でしょう。

彼らは大きな価値を生み出さなければならない宿命を背負っています。
大変なので、面倒で嫌かもしれませんが
それをやらないと将来大変なことになります。
我が国が。国民全員が。

そんな四面楚歌みたいな状況で
どうしたら流れを変えられるのか?

というか、これ
人の心を軽視しすぎてきたツケじゃないでしょうか。
学生のやる気なんかはもちろんですが
労働にまつわる様々な問題とか
人口に関する問題なんかも
恐らく多くのことの根源は
この、心の軽視だと思っています。

権利の主張とか
そういうのは色々やってる方がいて
そういうのも大事なのでしょうけど
もっと根源の部分に目が向いていないのではないかと思っています。

嫌なことに文句を言うのは盛んになっていますが
楽しそうなことや大好きなことを
一所懸命、とことんやる
という方は、全く軽視されていませんか?

そういうところに若い連中の自発性の萌芽があるのだと思うのですが
もの凄く軽視されている気がします。

なので
「やらせるやり方」
をひっくり返して
やりたいことをとことんやる!
みたいなやり方があっても良いと思うのです。

「そのやり方とか内容で、君達の将来を決められるぞ」
と言ったら、そりゃ真剣にやるでしょう。

とまぁ、その辺までは夢工房の活動を見てきて分かりました。
もちろん、全員に適用できるわけではないですけどね。

デッドエンドに到達する前に
もっと色々多様性に掛けてみてもいいのではないか
と思う今日この頃。

コロナ開けの難しさ

コロナ禍は今後どうなっちゃうのでしょうね。

恐らく多くの人類が免疫を手に入れて
風邪のように普通の病気になっちゃうのかな。
そもそも風邪だってコロナウイルスなんでしょう?

その辺は特に詳しくないので
あまり深入りしないでおきましょう。

いずれにせよ
いつかは平常化するのでしょう。
今現在は感染者が増えたり減ったりしていますが
ひと頃に比べればずっと平常な雰囲気です。

大学もほぼ平常と言っていいような授業内容になっていますし
街中も皆マスクをしていて
店舗はアルコール消毒やシールドがありますが
一時期のような緊張感はありません。

私が気にしているのは
学生達の活動なのですが
これはなかなか難しいところがあります。

もちろん、コロナ禍前の状態そのままに戻ることは無いでしょう。

やり方は時の流れに合わせて変えていく必要があります。
当然、学生達が経験する内容も変わります。

問題はその熱量なのです。

ひとたび「やらない」という選択肢を手に入れてしまうと
「やる」と「やらない」の基準が動きます。

2年間の自粛期間を経て
私も学生も
動いてしまった基準に対応して動いています。

ひと頃「不夜城」と言われた夢工房も
日付が変わる前には撤退しているのは以前書いたとおりです。
これはもう仕方ない。
短縮された時間内に何をどこまでどのようにやるか
そのへんが勝負所なのも分かっています。

夢工房に集まっているのは
比較的モチベーションが高い学生なのですが
やはり以前のようにはいきません。

やる気はあるのでしょうけど
以前のような突き抜けた動きは見られません。
日曜なんかは以前と比べると明らかに「休日」です。
ということは
彼らは「やらされるやり方」でやっているのですね。

「できるならやりたい」
ではなく
「できるだけ休みたい」
です。
恐らく意識はしていないはずですが。

これ、ある程度は仕方ないと思います。
コロナ禍で色々自粛とか中止とか
そういうのは全て外力で
彼らにはその外力に従わない
という選択肢はありませんでした。

恐らくこれ、慣性力みたいに効いてきている
というか
習慣になっていますね。

チャレンジしなければいけない立場なのに
考え方はフォロワーで消費者です。

もちろん、学年が上の連中はかなり頑張ってますが
彼らも動きに「強さ」が感じられません。
もちろんそれは後輩達にも伝わって
新たな風土ができあがりつつあったり
それに抗ってみたり
そんな毎日です。

時々卒業生が来てくれるのは
大変心強くて
大変助かっています。
これは夢工房の財産の一つだと思います。

こんなことを長々と書いてきて
なにも泣きが入っているわけではないのです。

この状態は避けようのない事実で
恐らくどこも似たような状況
もしくはもっとひどい状況なのかもしれません。

であれば、これが見えている我々にはチャンスだよね
という話なのです。

恐らく時間と労力はかかるでしょう。
どれくらいかというと
こういう形に変わってしまうのに要した倍くらい。
まぁ普通に考えればそんなもんでしょう。

それをいかにスピーディーにやっつけるか
そこがポイントです。

危機が与えてくれるもの

人生に無駄なものは無い
と言いますが

これは
一般的にネガティブに思えるような困難なことでも
それは決して無駄な経験ではないよ
という意味です。

まぁ、誰しも進んで困難な経験なんて
しようとは思わないでしょうけどね。

でも、人とというのは
そういった経験をくぐり抜けて成長していくことは確かで
むしろそういった経験による成長こそが大事なのだと思います。

全ての人が困難を通り抜けて成長できるかというと
そうは言い切れないとは思いますけど

何と言ったらいいのか
単に能力が高いというのとは別な次元で
デキル人っていますね
デカイ人というか

そういう人は
多くが場数を踏んで困難を克服してきた人だったりします。
これは間違いない。

じゃぁ単に困難に遭遇すればいいのかというと

まぁ、できるもんならやってみな
ってなもんなのですが

大事なのは困難に遭遇して
それを乗り越えることです。

どんな困難でもいいのか
というと…
いいのかもしれません。

たとえそれが悲劇的な
どうしようもないことでも。

凄く極端で分かりやすい例で言うと
戦争でしょうか。

もちろん戦争なんて望んで起こすべきものでは無いでしょうし
できることなら関わりたくないことの一つです。

私は戦後の世代で
本当に悲惨な部分は話を聞いたところで
決して本当の部分まで理解できなくて
こんなことを言う資格は無いのかもしれませんが
あえて書いてみます。

我々は、戦争を経験した人達のお陰で
今の日本国で安穏な生活ができていることは事実です。

これをどういったところから感じるかというと

先の大戦は6年間も続いて
我が国はめちゃくちゃになっちゃったわけですが
戦後21年経って私が生まれたときには
とうに復興していました。

物心ついたときには
都市部をはじめとする日本中のどこでも
よもやここが爆撃で焼け野が原となった
なんて気配は感じられませんでした。

日本中のほとんどの都市は
20年も経たずに何も無いところから復興したのです。
他の先進各国に比べても遜色のないレベルまで。
それは都市に限ったことではなく
経済など生活を取りまくあらゆることも同様です。

それらを成し遂げたのは
間違いなく戦争という悲惨な経験を乗り越えた先人達なわけで
私はそれを思うと驚愕すると同時に感動してしまいます。

戦後20年を待たずしてF1もマン島TTも優勝しています

私が生きてきた時間のうち
どの部分を取っても
20年でこんなに劇的な変化は経験していません。

もちろん、その超絶な復興の時代の負の側面もあったでしょう。
ものごとに多面性があるのは当然のことですので
そのへんは揚げ足取りみたいになってキリがなくなるので触れません。
そんなことをしても何も良いこと無いし。

恐らく平和な時代を生きてきた世代の多くは
戦争を経験した世代のようなパワーは持ち合わせていません。
そういうことです。

なので戦争しましょう
なんて馬鹿げたことは決して思ったりしませんよ。
これは最も極端な例として考えてみたまでです。

現に、夢工房で頑張る学生達
世代によってレベルは様々ですが
総じて彼らなりの困難にぶつかって
それを乗り越えて卒業するわけです。

やはり成長していますよね。
乗り越えた困難が大きければ大きいほど。

もっとも、本当の成長は
それらの経験を活かした仕事の中なのでしょうけど。