今だからこそチームワーク

学校で
「チームで何かをする」
という経験をしておくのは大事です。

社会に出たら
自分だけで何かが完結する
なんていう仕事はありませんものね。

社会に出るための学校なのだから
必要なことの下地を作るのは当たり前です。

この
「チームで何かをする」
というのはどういうことか?

色々あるでしょうけど
一番大事なのは

自分のためでないことをする
ということでしょう。

組織で仕事をしているなら
会社のため
お客さんのため
ですね。

そりゃそうですよね。
自分以外の誰かのためだからこそ
報酬があるわけですから。
それで仕事が成立する。

では、学校ではどうするべきか?

収入を得るために学校に行っているわけではなく
むしろお金を払っているわけです。
必要なものを得るために。

では、何を得られたら良いのかというと
将来のメシのタネですよね。
そこには色んなものが含まれますが。

で、それらの土台となるのが
チームで何かをするという経験
ではないかと思っています。

工科系であれば
技術を使って
仲間で何かしらの目標を達する
そんなのが一番良いと思います。

そうすれば技術の大切さや
どのような技術が必要なのか
どのように技術をハンドリングすべきか
そんなことが分かりますから。

それらをチームでの目標達成のために
夢工房なら
スポンサーやサポーターに喜んでもらうために回していくと…
(喜んでもらえないと活動が継続できませんから)

社会人として必要なものが手に入っちゃうでしょうね。

でも恐らく多くの学校で
そういう機会は減っていているのではないかな?

コロナ禍で自粛しちゃったら
一度止めたものは
なかなか元には戻せませんし

オンライン環境でバラバラになった人間関係も
なかなか元には戻らないかもしれません。

だって面倒だもん。

はい、ここは
悲観するところかもしれませんが
チャンスでもあるということに気付いて下さいね。

本からも授業からも学べないこと

それがまさに実践知とか暗黙知
と呼ばれるヤツで

やった者にしか分からない世界で
本当に価値があるのはココです。

本や授業で知ることができる形式知は
乱暴な言い方をするなら
誰でも知ることができたりするので
それを知っている人は沢山いるのです。

もちろん形式知で勝負しても良いとは思います。

でも
自分はどちらで勝負するのか
というのを早々に決めると
何かと有利になったり良いことがあったりします。
もちろん学びの量が増えるから。

ここまでは、今まで何度も書いてきたネタですが
今回のエコランの散々な成績を経験したりして
気付いたのは

ノンバーバルなものって
実践知とか暗黙知に深く結びついていて
感覚とか感情とか
そういうのは経験しないと処理のしようがなくて
そういうのが実践の面にも効いてくるのだな

というところ。

エンジニアリングに限らず
仕事の成果を構成する直接的な要素って
ハードウェアとかソフトウェアなわけですが
そういうのを生み出す際には
必ず暗黙知の領域がものを言うわけで
そのためにはノンバーバルな要素が
どれだけしっかりしているか
というのが根底にある気がしています。

だって
売れる商品を作るのに
計算ずくでは不可能ですから。
アートの世界なんかは分かりやすいかもしれませんね。

こういうネタは
なかなか文章にしにくいですね。
ノンバーバルなだけに。

今思っているのは

良いエンジニアになるために
レベルが高い知識とか経験とか
そういうのは大事なのですが

そういうのを仕入れたり使ったりして
うまくいきっぱなしではダメなんだろうな

なんてことです。

やってみて
うまくいったりいかなかったり
嬉しかったり悔しかったり
成果と感情の起伏を
たくさん経験するのが大事なのでしょうね。

そういう経験を散々してきた
卒業生達はうまくいってるようだし。

どこから変わるのか?

夢や目標があって
それを達成したい
という思いがどれほど強いのか
それは果たして十分なのか
それを点検して確認することが
とても重要なのですね。

というのも
夢や目標は
まだ経験が無いわけで
達成するのに何がどのくらい必要か
なんてのは
全て想像に過ぎないわけです。

なので、振り返りや確認などの
自発的な点検作業が必要なのですが

これは実現への思いが強くないと
自らやろうとは思わないでしょうね。

その思いが弱いままだと
「まぁ、このままでも大丈夫だろう」
なんて考えちゃったり
何も考えなかったりするのでしょうけど
そういうのは大抵うまくいきませんし
本人にとっても良い経験にはなりません。

でも、そういう不十分な状態から
自発的に点検するか
というと
するはずはなくて…

そんなのそもそもダメじゃん
みたいなことを継続してたりすることも良くある話。

でも、チームで動いていて
相互に働きかけや確認をするような態勢になっているなら
なんとかなるかもしれませんね。

でも、「仲良しクラブ」になっちゃっていていると
ダメなものをダメと言えないので
ズルズル、ダラダラ行くかもしれません。

ダメなものがいつまでもダメなこともあるでしょうけど

ダメな状態から立ち上がることもあるわけで
だとしたら
それは、いつ、どういうときなのでしょうね。

大抵は、中途半端な状態で気付くことは無いでしょう。
中途半端な状態って
意外と快適だから。

そんな状態では
たとえ外部から言っても
理解できなかったり
動かなかったり
そんなもんです。

なので
落ちるところまで落ちちゃえばいいんじゃないの?
とも思います。

それで変化ができなければそれまでです。

ドン底まで落ちる前に
立ち直れることもありますが
それは当人の危機意識の閾値の問題ですね。

何をもって危機的状態とするか

現状に満足できなくて
このままでは耐えられない
そう思うレベルがどの辺にあるのか
そういうことでしょう。

そんな状態なら変化が必要ですね。

結局は
自分はどうありたいのか
ということなのでしょう。

それがあるだけでも
ものごとは大きく変わってくる
そういうことです。