「理想」の反対は「現実」なのか

理想を、夢を実現するために努力していると
「現実から逃げるな」
とか言われることありませんか?
余計なお世話ですよね。

現状が納得できないので
理想を立てて実現するために努力する。
これは「逃げ」ではないでしょう。

では仮に
言われたとおりに現実を見るとして
一体何をすれば良いのだろうか。
身の丈に合ったことをすれば良いの?
今できることをやれば良いのか?
それをやり続ければ良いの?
それでは成長が無いのではなかろうか?

そもそも、「現実から逃げるな」とは
何のためのアドバイスなのでしょうね?
誰をどうしたくてそんなことを言うのでしょう?

そもそも
「現実から逃げるな」
などと言う人間と関係を持って
その影響を受ける環境にいること自体
当人にとっては良い事ではないのではないかと思ってしまう。

「現実から逃げるな」
の前に
「夢みたいなこと言ってないで」
と付く場合もありませんか?
「夢みたいなこと」を言っていてはいけないの?

まぁ、行動が伴ってないならそうも言いたくなるのは分かりますが。

「自助論」という100年以上前に書かれた偉人伝のような本があります。
昔の成功者達が
みんなが無理だと言うことをやって
ヘマこいて
ヒーヒー言って
諦めずに頑張って成功したという内容です。
この本の本質の部分は今も何ら変わらないでしょう。

身の丈に合わない理想を実現しようとするからヒーヒー言うのですよね。
で、諦めずに頑張ると成功するって前例があるわけですよ。

じゃぁ、夢を見て、実現するために頑張るって正解じゃないですか。

過去に「好きなことを仕事にすると辛いぞ」
とアドバイスをくれる人がいました。
実際にクルマの開発を仕事にしてみたら最高に楽しかったですね。
まぁ、大変な仕事なのは間違いないですけど。

今や世界最大の大会”Formula Student Germany”には2008年に出場しました。

夢見て良いんじゃない?

今年は久々にエントリーしましたが、コロナ禍で中止となってしまいました。
きっとそのうち再度チャレンジ!

自由な発想を妨げているのは誰だ

レーシングカーは、勝つためなら何でもありです。
レギュレーションを破らない限りは。
何でもありというのは、目的を達するためには
どんな「手段」を使っても良いと言うことですね。
当たり前ですが。

さて
学生がレーシングカーのある部分を設計しているとします。

ある部分の設定を決めようとしているときに…
具体的に、ある部品の固定方法を検討しているときに…
としましょうか。

その際、あまり考えずに
「こうなってしまう」
と決めてしまっていることがあります。

「この部品を固定するには…ここにボルトを…」

いや、ちょっと待って!

そもそも
ボルトを使う方法しかないの?
そこにボルトを配置するしかないの?
それ、「良い方法」なの?
どんな手段を使っても良いんだよ!

本当はこうして欲しい

この部品を固定するには、これとこれと…こんな方法があるね。
それぞれこんなふうに配置できる可能性があるね。
で、比べてみると、それぞれこんなメリットとデメリットがあるから…
マシンコンセプトを考えると、これがベストだな!

という感じに、まずはアイデアを色々出して広げていく。
次にそれらを比べて、優れたものが「良い」でしょ。

経験を積んだエンジニアなら
直感的にベストな方法を「引き出し」から引っ張り出しますけど
まずは引き出しを増やして欲しいのです。

たくさん出してみたアイデアの中には
その時には適さないものとか
劣ったものとかがあるでしょうけど
まずは広げましょう。
ベストな答えを一個だけ出そうと思って悩んじゃダメです。

次に先入観の枠を外して、いっぱいアイデアを出してから選択。
その時に、色々出たアイデアを組み替えることもできるし
改めて気付くこともあります。

最後に集中。
選んだものを磨きましょう。

急ぐ気持ちも分かるけど
色々出したら視野を広げて選択して集中して
ベストなやり方をしたほうが最終的には早いものです。

選択もせずに思い込みで事を進めてしまう陰には
無意識のうちに発動してしまう何かがあります。

一番多いケースは「めんどくさい」かな。どうでしょう?
最低限の手間で楽したい。

あと、「広げる」段階では
ダメっぽいアイデアが出る可能性はあるわけで
「ダメなものを出したくない」かな。

ダメなものが明確になるから
良いものがどれくらい良いか分かるのですけどね。
なので、アイデアを出す段階で
間違えたら、失敗したらネガティブなことが起きる。
だから間違えたり失敗したりしちゃダメだ。
なんて考えちゃイカンのです。

まぁいずれにせよ
そうなってしまうのはある程度は理解できます。
でも、その結果はどうなるでしょうね。

「ここはこうしなければいけない」と
誰に言われたわけでもないのに
先入観で制限をかけていることが意外と多いものです。
まさか自分自身が自身の自由な発想を妨げているなんて!

自由な発想で作った軽量コンパクトな初号機はFormula SAEの歴史を変える力を持っていました
2002年の話です

教えたら分かるのか

Formula SAEの指導教員は、ファカルティ・アドバイザーと呼ばれます。
単なる指導教員と違うところは…

教えないことです。

意外ですか?
Formula SAEは学生主体で進めるべきイベントですから、教員は具体的な指示は出せないのです。

学生に、ああしろこうしろという教え方はしない。
でも、責任はかかってきますよ。これで1円ももらってないのにね(笑)

私の場合は確認作業が中心ですね。
学生がやろうとしたこと、やったことに対する評価です。
安全面とかお金の面とか、あとは技術的なことに対する評価が中心かな。
戦略面とかマインドの面でもアドバイスをすることもあります。
前職が自動車開発だったし、レースもやってたもんで、その経験を活かしたアドバイスもできます。

当チームの場合は、評価が大事だと思っています。
成果の評価によって現状を把握するわけですが、それによって越えるべきハードルが明確化されます。
人の成長って、このハードルを越えること、つまり困難を打破するチャレンジによってなされるわけです。

で、チャレンジすると当然失敗します。失敗してナンボです。
考え無しにチャレンジして失敗するのは論外ですが。

失敗の中には大事なことがたくさん隠されています。
でも、多くの人は幼少の頃からそこを見ないように、失敗そのものが起きないように育ってきますよね。
ああ、もったいない。

なんでそれが起きたの?それはなんで??って失敗を掘り返しましょうよ。
シンプルな本質が見えてきたらゴールは間近です。
クヨクヨ悩んじゃダメですよ。

アドバイザーの立ち位置はチームによってだいぶ違うでしょうね。
中にはアドバイザーがほとんど関与しないチームもあるのではないかと思います。
その場合、学生は自由気ままにやることができる反面、成長が制限されることもあると思います。

なぜかというと、手を抜いてやらないのも自由だから。
特に安全面などで手を抜くとクリティカルな結果が待っています。
あと金銭面も同様でしょうね。

反面、ああしろこうしろという教え方をすると何が起きるかというと
学生は、それを覚えようとしますし、学生は「指示待ち」に入りますよね。

こうなると学びと言うより
覚えただけでしょ。言われたことをやっただけでしょ。
ってなっちゃいますよね。
何もしないよりは遙かにマシですが。

基本的にはファカルティ・アドバイザーは、必要とされたら教えます。そこが大事。
欲してもいないことを教えたところで、大して役には立ちませんよ。

「求めよ さらば与えられん」

です。

カーボンファイバーの積層実験中

カーボンファイバーもずいぶん長い付き合いになりますが、まだまだ奥が深いですね