昔々の鉄のお話

鉄器について思い付くとちょこちょこ調べてます。
とは言っても、本やネットで趣味的にですけどね。

昔々の鉄器と言えば
武器なんですよね。
刀剣や盾や鉄兜です。
古墳時代の出土品に
リベットで接合した鉄の盾とか
ヘルメットがあるんですよ。
凄いなぁ。
その頃にすでにリベットですよ。

鍛造で接合する鍛接は結構難しいし
もちろん溶接なんてできなかったわけだから
大きい製品とか複雑な形状の物はリベットが良いのでしょうけど
良く思い付いたもんだ。

世界最古の鉄器の遺物は
トルコのアラジャホユック遺跡から出土した短剣なんだそうです。
これは紀元前2300年頃のものです。

これ、材料は隕鉄(いんてつ)ですよ。
鉄の隕石です。

何で隕鉄かどうかが分かるかというと
含有しているニッケル分が多いことで判断できるそうです。

隕鉄を加熱して叩いて成型したのでしょうが
そもそも、何で叩くの?
鉄のハンマーありませんよ。
石のハンマー?
熱した素材はどうやって保持したの?

隕鉄製の短剣は確かエジプトからも出土していたはず。

日本で出土した最古の鉄剣は
埼玉(さきたま)古墳群の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣ですね。
これ、見に行きましたよ。

金象眼の文字が刻まれていたことで有名です。
象眼というのは、物の表面に凹みを作っておいて
そこに別の材料をはめ込む技法です。
この剣の場合は、文字を彫刻しておいて
その凹みに金を埋め込んでいます。
なんとこれ、日本で確認できる最古の漢字だそうです。
つまり日本最古の文字ですね。

この剣は、西暦471年のものとされていて
日本最古の書籍である古事記が編纂されたのが712年ですから
それより200年以上古いんですね。

古墳に埋葬されていた副葬品ですから
実用的な武器というより
権威を象徴する物なのでしょう。

個人的には
この最古の鉄剣に
文字が彫刻されていて
さらに金象眼だった
というのが驚きです。

天皇の名が刻まれていたので
細工は国内でやったのでしょうね。
で、金象眼?

技術的には
製鉄技術にはじまり
鍛造などの成形技術
熱処理とその後の研ぎ
そして彫刻
さらに金象眼!

もちろん
それらの作業のための道具も必要です。

金槌、ヤットコ、ヤスリ、砥石、タガネ
素人が考えてもこれくらい思い付きます。

いったいどうしたんでしょうね。
国内で製作したのか
はたまた刀剣自体は輸入して
象眼の金は国内で採れていたのでしょうか。

こういう疑問に対しては
大陸から伝わった
で済んでしまいそうなものですが
材料も道具も人も、そんなに沢山入ってきたのでしょうか?
埼玉にも?

まぁそれはそれとして
実は最も興味があるのは
鉄器の製法だったりするのです。

どういうことかというと
そもそも融点が高い鉄を使おうなんて
どうやったら思い付くんだ!?
とか疑問だらけ。

そもそも
紀元前3500年頃に
隕鉄や
地表に露出した鉄鉱石が山火事によって変化した鉄を発見した
とされているそうですが…
そもそもそれを見て製鉄をやろうなんて思うところが凄いですよ。
(引用元はこちら 鉄が好きな人?はぜひ見てみてください
この文献のおかげで色々分かりました)

鉄鉱石は酸化鉄が含まれていて
加熱しただけでは利用価値がある鉄は得られないでしょうから
かなりレアな条件が整っていたのでしょうか。

ヒッタイト帝国で製鉄が始まったのは
紀元前1500年頃と言われているそうです。

で、日本に鉄器が伝わったのは紀元前200年頃の弥生時代で
青銅器と同時だったそうです。

出雲では大量の銅剣が出土しています。
出雲大社隣接の博物館に展示されていますが
それはそれは壮観です。

これ、鉄剣の威力を知った時の権力者が
あまりに銅剣の性能が低いのを知って
「こんな使えない剣は埋めてしまえ!」
とかやったんですかね?

日本の製鉄法の「たたら製鉄」の語源はタタール族ですって。
新疆ウイグルのあたりですね。
日本発の製法ではなかったのは残念ですが
いまだにやっているのは日本だけでしょう。

たたら製鉄では
砂鉄と木炭を使うのですが
砂状の熱容量の小さい形状の材料と
木材がふんだんな国土を利用した賢い方法ですよね。

ちなみに、先の参考文献によると
ヒッタイトは森林枯渇が原因で滅びてしまったそうです。

我が国は森林資源が豊富なので
刀剣とか火縄銃を大量に生産しても滅びなかったのではないかな
と思ったりしてます。

たたら製鉄をはじめ、日本刀もいまだに作っていますし
今上天皇陛下は126代で皇室は2000年の歴史があるし
日本って訳が分かりませんね。
新しもの好きの反面
継続とか継承にめっぽう強いのでしょうか。
自分たちのことって、良く分からないものですね。
いやぁ、面白い。

まず変な人になりましょう

今日は学生と「武器の持ち方」について話をしていました。
と言っても、銃や刃物ではなく
自分の強み「売り」になることです。

学生が学校で勉強していって得意な科目ができたりしますよね。
まぁ、そういうのでも良いのですが
なにも特定の科目のようなものでなくても良いよね
という話です。

例えば
仕事の早さとか、精度とか
諦めないとかでも良いでしょうね。

近年では個性を認めて多様化を…
という世の中になっているはずですが
本当にそうなっているのかな?

意外と
皆が同じようなことをやろうとしているように
見えなくもない。
そんな気がしています。

もちろん、むやみに人と異なることをやれば良い
というわけではないのですが
もうちょっと色々あっても良い気がするんです。

人と異なる意見を持っていることを知られたくないとか
人と異なる行動を取りたくないとか
そういうのは私が子供の頃に比べて強くなっている気がします。

今や授業の最後に質問なんてする学生はいませんからね。
皆の前で自分だけけが理解できないことが公開されているような気がするのかな。

と思ったので
早速学生に聞いてみたところ
「興味がないから」
だそうです。
身も蓋もないですね。
まぁ、そんなもんでしょうね(笑)
これは先生が反省すべきです。
もちろん私もです。

とまぁ、色々と気になることはあるのですが
ここで愚痴を言いたいわけではないのです。

みんな同じようなことをやってるなら
人と違ったことをやったら目立って良いじゃん!

これですよ。

自己顕示欲も満たされるし…いや、それは別にいいかな。

人と違ったことをやるのは勇気が要るかもしれません。
でも、それをやるとしたら
逆に得することが多いでしょう。
独自性は価値に繋がる可能性が高いし
場合によってはチャンスを独り占め。

中途半端ではなく突き抜けてしまえば
それが武器になります。

仮にやるだけやって
うまくいかなかったとしても
長期的に見れば損はしません。
やったからこそ色々分かることはあるし
継続したことによる自信が付きますしね。

夢工房にいる学生達は
いずれもコンペティションをやっています。

なので、そもそも人と同じことをやっていたら価値が無いのです。
同じことやって勝てるはずないですから。

特に技術的なコンペティションの場合は
先行者と同じやり方をするのは極めて不利です。
相手は多くのノウハウを持っているのに加え
パイオニアならではの
外からは見えない本質を持っています。

何でそうなってんの?
何でそれを始めたの?

その根源の所は
始めた者にしか分からない何かがあったりして
それは追走している者からは見えないのです。
追走している者から見えるのは
外観だけ、うわべだけです。

最初にF1マシンにウイングが付いた時とか
ボディの下面を利用してダウンフォースを得たグランドエフェクトカーなんかは
まさにそういった感じだったのではないでしょうか。

効果が分かるとあっという間に広まったりしますが
それまでは圧倒的な強者でいられます。

ただ、パイオニアの宿命として
始めたら凄い勢いでやり切らないと
そのうち賢い追走者にやられちゃうんですけどね。

なので
勇気を持って頑張って
何かを掴んだら
ダッシュで逃げろ!
ってことですよ。

日頃から
皆と同じように目立たない行動を意識的に取りながら
人と違ったことをやって成果をあげる
なんてのは矛盾してますので
気を付けてくださいね。

戦略の階層

日本は「技術立国」だ
と言いますね。

確かにそうだと思います。
技術は凄く強いと思います。
世界的に見て
めっぽう強いです。

反面、戦略的な思考がめっぽう弱い。
恐らく技術に力が集約されているからだと思います。
偉そうにこんなこと言ってる私も
めっぽう弱いんですが(笑)
でも何とかしようと頑張ってます。

一体何言ってんだ?
と思った方は
「戦略の階層」
と検索してみてください。

この用語を使い始めたのは地政学をやられている
奥山真司氏ではないかと思います。
この方が書いた
「世界を変えたいなら一度”武器”を捨ててしまおう」
という本、ずいぶん前に読みましたが
面白かったですよ。

この戦略の階層の概念が
色々やる上で
とても分かりやすくて参考になります。
というか基本ですので
ちょっと紹介しておきましょう。

ピラミッドの頂点から下へ

世界観 Vision
政策 Policy
戦略 Strategy
作戦 Operation
戦術 Tactics
技術 Technology

と階層化して表されています。

もちろん上から考えていって
そのために下の階層のものが決まっていきます。

上の方が目的で
下の方が手段です。

上の方が長期的かつ抽象的で
下の方が短期的かつ具体的です。

要は、ビジョンを成立させるために色々考えていって
最終的に最下層のテクノロジーが決定されるわけです。
用いる技術は最後に決まるってことです。
その時点で、欲しい技術がなければ開発する必要がある
ってことですね。

こういう言い方もできます

ある日突然、新しい技術が生み出されると
過去の技術が一瞬で要無しになることもある。
ビジョンを達成できるなら
手段は何でも良いのです。

学校で教えるのは
最下層の技術に相当するもの
もしくは
技術を形作る要素の一部です。

そりゃまぁ仕方ないのですが
もうちょっと上の
いや
欲を言えば
最上位の階層からの考え方
から教えた方が良いのでは
と思います。

そうしないと
何かをやる時に
まず用いる「技術」を決めてしまったりして
これに手足を縛られて
どうにもならなくなる。

手段を最初に決めてしまったら
それによってできることが限定されてしまうのだから
ビジョンを達成できる可能性が制限されてしまいます。
ヘタしたら、最初に「無理」が決定されてしまう。

というか
多くがこうしてしまうでしょう?
無意識のうちに。
そんなことないですか?

だからこそ最近の学校では
PBL (Project Based Learning)
なんてのを頑張ってるんですよね。
課題解決型授業とか言って。

日本人は
技術に特化した優れた能力を持つが故に
戦略の上位階層の概念が掴めないのだと思います。
「何のために」
という考え方が無いのです。

裏を返せば
「何のために」
が無くてもやっていける。

もっと言うなら
「何のために」は
時間的に短くて
範囲的に小さいものに向いていることが多い。

たとえば
「今、自分のために」
とか。
価値が最小化されしまっています。
もったいない。

ただ
その技術レベルがぶち抜けてしまっているので
世界でも特異な立ち位置にいる気もします。

とはいえ、やはり上位概念を理解すべきです。
与えられたタスクを高いレベルでこなすだけなら
それでも良いのですが
今や「世界の工場」の地位は中国ですし。

それに
「何のために」が無いと
頑張っても
あまりハッピーにならないんじゃないかな。

というわけで
夢工房の活動は
こういう概念で進めているのですよ
という紹介でした。

もっと頑張らないとな!