満たされることなくグルグルループするのが人生

我々は一体何のために頑張っているのでしょう?
勉強とか仕事とか。

生活水準や環境の向上ですかね。
何度も言っているように、個人的な欲望の追求のためにやっちゃうと、そんなのは他人から見れば価値が無いわけで、結果として行き詰まっちゃうと思います。
なので、やはり他に価値を提供しなければならないわけで、それが仕事の本質でしょう。

まぁ、その辺の細かいことは抜きにして、そんなふうに頑張って、色々良くなったとしましょう。生活環境が向上して、心配事が無くなったとしましょうか。

心配事が無いってことは、解決すべき問題も無いってことで、そういうものが無ければ、何も気に病むことはなくて、満たされて、頑張る必要が無い状態になる?

なるかなぁ。
まぁ、なったとしましょうか。

でも、満たされた状態が日常になると、それは「普通」になっちゃうわけで、「普通な状態」は満たされた状態とは言えなくなる気がしませんか?

だからその先が欲しくなるのかな?

そうなると、人の欲望は際限が無い、なんてのは分かる気がしますね。

仮に「普通な状態」が結構満たされているように感じられて、その現状を維持したいなんて思ったりしたら、ちょっと危険な気がします。

欲望云々は抜きにしても、何もしない状態になっちゃったら、自分は他の役に立っていないわけで、まさに役立たずというか、価値が無くなっちゃいますね。

そんな事を考えていると、お釈迦様は凄いなぁ、なんて思うんですよ。
だってお釈迦様、そもそも王子様ですからね。

何が言いたいのか自分でも良く分からなくなってきましたが、頑張らなくて役に立たない状態ってのはマズイよなぁ、と思うのです。
そんなんなっちゃったら、生きている気がしなくなるというか、為すべきことが無くなったら、人として生きている意味はあるのか?と思うし、そもそも、それで生きていけるのか?

満たされるためにや頑張るのに、満たされたらお終いだから、グルグル頑張り続ける必要があるってことか。

それに対して、「どこまで続くんだよ…」なんて後ろ向きな気持ちでいたら、面白くなくなって我慢比べみたいになっちゃうので、行けるとこまで行ってやろう!みたいな前向きな気持ちが大事なんでしょうね。

それをグルグルループさせて生きていくのだけど、永遠では無い。

と、全く落ちが無い記事でしたが、そのうち落ち着いてこういったことを考える時間を取らないとなぁ、と思っています。

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