自分は一体何者なのか

これはなかなか自分一人では分かりません。
もちろん一人で悶々とすることはできますが。

そもそもそういうのって
基本的に相対的なものでもあるから。

なので
自分から他人に向けてアウトプットして
そこから反射してくる情報を元に
他と比較して
自分は何者なのかを確認するしかない。

一人悶々とするなら
周囲を見回して比較して
確認するしかない。

実はこの
「自分は何者なのか」
というのは
長い事考え続けてきたテーマなのです。

自分自身がどういう人間なのかをもっと知りたい
ということも興味があったけど

今回言いたいのは
冒頭にあるように
自分が何者なのかというのは相対的なもの
だということ。

もし、この世に自分一人しかいなかったら
それは何者でも無いのです。
たぶん。

ちょっと分かりにくいですか?

例えば
「楽天的」
という物差しがあるとします。
まぁ、何でも良いのですが。

では、それがどの程度なのか?
と考えるとき
どうしますか?

必ず対象を思い浮かべます。
同僚だったり
友人だったり
想像上の一般的な人だったり

なので対象無しに
「自分はこうだ」
なんて言えないんですよ。

さてここからが本題

今の自分に満足がいっていないときに
一体どうしたら良いのか

まず
自分が意識できている部分と
自分が意識できていない部分がある
ということです。

最近とみに多いですね
この意識・無意識ネタ(笑)

自分で意識できている部分は
頑張って何かしらやっていれば良いのでしょうけど

無意識の部分は
自分では分からないのです。

なので「反射」を使うしかない。

誰かに向けてアウトプットして
コミュケーションを取るしかないでしょう。

相手からの反応で
自分は何者なのかを知る。

この場合
相手の選定が重要です。

仲の良い友達や
自分に対して批判的・否定的な意見を言わない者からは
十分な反射が得られないかもしれません。

あまりネガティブな部分にフォーカスしたくはないのですが
やはり誰しも意図せずに
しょうもないことをやっていたり
言っていたりするものです。

そういう点も
ためらわずに言う相手と
コミュニケーションを取らないと
自分は一体何者で
どうしたら良いかが十分に分からない。

誰しも自分の伸ばしたい部分と
変えるべき部分があるはずです。

伸ばしたい部分は比較的意識に昇ってきているから
やるだけ、頑張るだけなのですが

変えるべき部分は
そもそも、それに気付いてもいない場合がある。
それを掘り出してくれる人が必要です。
そういう出会いがあるなら
それはとても貴重なことです。

年齢を重ねると
そういうチャンスは
どんどん減っていくし
そもそも、そういう話しを受け入れにくくなります。
人にもよるでしょうけど、多くはそうなります。

なので
これは年長者にとっても問題なのかもしれません。

であれば
若いうちこそチャンスですね。

周囲に対して
自分は何者で
一体どうしたら良いのか
というのを考えないと

自分のやりたいことばかりをバリバリ伸ばして
周囲とうまく関係が作れない
なんてことになって
せっかく良いもの持ってるのに
それを使いようがない
(価値に変換できない)
なんてことになるのは目に見えてます。

また今回も偉そうなことを書いてしまいましたが
実はこういうネタって
学生を見て思ったことを
自身にも向けてみて

「自分も、まだまだだなんだよなぁ…」

なんて思いながら書いているのですよ。

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