予想を超える 期待を上回る

そんなことができたら嬉しいですよね。

学校では基準に達したか?
しかもあらかじめ定められたものに対して
ということをやります。
全てがそうではないけど
そんなことが多いですね。

それも良いのかもしれないけど
何とか基準に達しても
安心はするでしょうが
そこには喜びは無かったりします。

そのやり方で行くと
基準を超えないと
喜びを得ることはできないし
そこまでは、ずいぶん遠い道のりに感じます。
そんなふうに感じるのは
私が出来の悪い学生だったからだからかもしれませんが。

そんな「決められた物差し」ばかりと向き合っていると
視野が狭まってくるのも当然なのかもしれません。

言われたことができる
というのは大事なことだと思います。

でも
言われてもいないことができる
これはもっと大事なことです。

言われたことができて
言われてもいないことができれば
それは最高なのかもしれませんが

「両方は無理だ」
と思ったら
それらを直列の、足し算の関係に
しなくても良いと思うのです。

言われたことをやるのはあまり得意じゃないけど
言われてもいないことがムチャクチャできる
というのもアリだと思います。

以前、サラリーマンをしていたときに
部下の給料の査定をしていました。

しっかり仕事をする部下がいたので
そいつの昇級についてボスに言いました。

私「あいつの査定、上げたいんですけど」

ボス「何で?」

私「だって言われたことはキッチリ仕上げてくるし…」

ボス「言われたことができたって当たり前じゃん
当たり前のことはプラス査定にならんよ」

そうです。
言われたことがちゃんとできて
学校なら100点の仕事でも
会社じゃ0点なんですね。
あらまぁ、ビックリ。

そもそも物差しの使い方が違ってました。

ちなみに
0点というのは
落第しちゃうわけではなくて
マイナスじゃないけどプラスじゃないよね
ってことです。

でも、会社では物差しが単一じゃないんですね。
営業職とかは分かりませんが
開発職であれば、色んな能力が求められますので
何かに特化してぶち抜けていれば
トータルとしてプラスにすることもできるのです。

私なんかは基本的に劣等生タイプで
他ができないこととか、変わったことにすぐに目が行ってしまって
変なことに情熱を注ぐタイプでしたので
言われたことがちゃんとできていたかは疑問で
ヘマしてばかりだったかもしれませんが
変なことも含めて
トータルで評価してもらっていたのだと思います。

こういうやり方を真似しろ
なんて皆に言うつもりはありませんが
言われたことがうまくいかなくても
他にやり方があるはずだよ
と言いたいのです。

それを磨いて
予想や期待を上回れば
それは喜びに繋がります。

「喜び」は
先へ先へと行く原動力ですから
その感覚を大事にしましょう。
「快」を求めて自動的に行動するのを
うまく利用しましょうってことです。

逆に
言われたことしかできない
そういうタイプもいると思います。

言われたことができても
それは予想通り
ってことになってしまって
安心はできるかもしれませんが
喜びには繋がりにくい。

では、言われたことを
予想を上回るスピードでやればどうか?
そういうチャレンジも面白いですよ。
きっと喜びに繋がるでしょうね。
継続していれば、そのうち何かに気付いて
オリジナルなものに変化するかもしれませんし。

予想を超える
期待を上回る

もちろんそれは
自分の予想でもなければ
自分の期待でもありません。

大事なのは
そこに相手がいることです。

自分だけが喜んでいても意味がないのです。

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