道具の進化 石器編

突然ですが
石器についてのお話です。

技術についていろいろ考えていると
「そもそも何で?」
と思うことがよくあります。

そう思っちゃうと
どんどん過去にさかのぼって知りたくなってしまいます。
人の使う道具の歴史をです。

歴史の授業なんて
まったく興味がなかったくせに
技術が絡むと変わってくるなんて
自分でもビックリです。

こういうのって
ネットや本でいくらでも知識は手に入りますが
謎も多くて面白いです。

人の使う道具を
可能な限りさかのぼって
もっとも古いところだと
石器
に行き当たります。
(厳密には動物の骨を使った道具などもあるのでしょうけど)

食物をすりつぶすために使った石皿とか
石のナイフ、斧、鏃(やじり)とか

そもそも道具を使い始める
ということ自体すごいことだと思うんです。
でも、石皿なんかは
まぁ分からないでもない。

手にもって
ゴリゴリやることで
今まで食べられなかったものを
食物に変化させることができる。
硬い殻をもった実とか。

鏃は凄いですよ。
つまり弓矢を使うということですが
自ら手を触れずに獲物を倒すことができる。
獲物を獲得する効率が飛躍的に向上して
猛獣を倒す時のリスクも低減できた。
しかも
これが石器時代に世界中にあった。

人が手にした技術を用いた道具としては
弓矢が最古のような気がします。
斧もナイフも技術があるといえばあるのでしょうが
弓矢とはレベルが違うでしょう。

石をナイフにしたり
棒の先端に取り付けて槍にする
手に持って使う
時には投げる
この辺までは思いつきそうです。

でも、弓を使って飛ばす
というのを思いつくというのは
凄いことなのではないでしょうか。

しかも
どの国の弓矢も
ほとんど同じ部品構成です。

そんな昔に
世界中で同時多発的に
思いついたのでしょうか。
それとも
どこかを起点として
世界中に広まったのでしょうか。

現代に生きる我々から見れば
弓矢は原始的な道具の一つかもしれません
(いまだに使っているというもの凄いですが)

でも
弓矢が生まれたときは
超ハイテクな技術だったはずです。

当時は
どれほどのインパクトを持つ道具だったのでしょうね。

弓矢があれば
食料の獲得が容易になって
さらに身を守れる

おそらく弓矢によって
当時の人口はかなり増加したのではないかと思います。

ちなみに
日本で石器時代に続く縄文時代の遺骨からは
鏃の傷をもったものがほとんど見られないことから
こういった道具を使った戦いは
ほとんどなかったのではないか
と言われています。

雨のレースから学ぶ

以前、雨のレースが好きだというお話をさせてもらいました。
比較的、雨のレースでは成績を出せていたのです。
まぁ、得意ということですね。

それはなぜでしょう?

一つの理由として
オフロードレースのキャリアが長かったので
タイヤが滑ることに対する恐怖感が
そもそも少ないというのはあると思います。

とはいえ
タイヤが2個しかないバイクで
それなりのスピードでサーキットを走るのだから
滑りやすい雨のレースはリスクが高くなるわけです。
1回でもコケたらレースは終わりですしね。
濡れて寒くて不快だし。

レースは乗るマシンと
それをコントロールする人間のパフォーマンス
両方の結果が現れます。

雨のレースだと路面に伝達できるパワーの限界が低くなるので
乗る側のパフォーマンスがより重要になってきます。
肉体的なパフォーマンスとライディングスキル
この2つはいかんともしがたいのですが
精神的なパフォーマンスが結構効いてきます。

なぜかというと
人が発揮するパフォーマンスの根源に
精神的なパフォーマンスがあるからです。

式にすると
結果=マシンのパフォーマンス+(肉体的なパフォーマンス+ライディングスキル)×精神的なパフォーマンス
といった感じでしょうか。

精神的なパフォーマンスが低いと
肉体的なパフォーマンスも
ライディングスキルも発揮できなくなってしまう
というところがポイントです。

これをどうしたら良いか

簡単に言うと
別に雨を嫌う必要ないじゃん
ということです。

雨のレースは
雨が降っているのを見たときの
最初の印象で決まってしまう気がします。

「雨か、嫌だなぁ」
多くはそう思うでしょう。
当然のように。

でも
「嫌だなぁ」
という精神状態で
ベストなパフォーマンスが発揮できるでしょうか?

できないということは皆知っているでしょうけど
それも仕方ない
と思っていますよね。
いや、無意識だから
思ってもいないかもしれません。
「仕方ない」と自動的に受けれ入れてしまっている
と言ったほうがいいかもしれませんね。

そう
多くは「無意識」で「受け入れて」しまっているのです。

なので
雨によるパフォーマンスの低下をどうにもできない。
なんせ
すでに無意識で受け入れてしまっているのですから。
コントロールしたい対象が
自分の手の届かない
無意識の領域に行ってしまっているのです。

この解決方法はただ一つ
そもそも雨が嫌いではなくなることです。

雨の練習を増やすのはもちろん効果的ですが
勘違いでもいいので
「雨が好きだ」
と思い込むことです。

今まで無意識下にあって
自分でコントロールできなかったものを
意識的に変えてしまう。
これが結構効いてきます。

多くの場合
「嫌なものは嫌」
として
自分の意識から遠ざけてしまい
手の触れられない存在にしてしまいます。

でも、そこに重要な何かがあった場合
自分ではどうにもできなくなる
ということでもあります。

逆に
自分の無意識領域をコントロールできると
色々なことができたり分かったりする
ということですね。

こういうことが自由自在にできると良いのでしょうけど
なかなか難しいですね。

機会があったら続編を書いてみますね。

あけましておめでとうございます

いよいよ2021年がスタートしました。

皆さんは何か新年の志を立てましたか?

今年はコロナ禍が収束するでしょうから
その際に色々なことが一気に動き出し
様々な変化を迎えることでしょう。

とはいえ
何を準備したら良いものやら。

そんな時に取るべき姿勢は

考えすぎずにポジティブな思考ですぐやる

これに尽きるのではないでしょうか。
これをグルグルやっていれば
きっと何か見えてきますよ。

どうせ誰も
何をどうしたら良いかなんて
わからないですよ。

だったらタマ数を増やして撃ちまくる
感触を掴んだり
流れを作ってしまう
これで良いんじゃないでしょうか。

どうせ多くは
どうしたら良いか分からずに
足を止めてしまいます。
そこがチャンスです!

やるかやらないか
なら、やる

楽なもの大変なもの
なら、大変なもの

こういうのって
判断する時に迷ったら負けです。

さぁ、できるかな?

…自分がね。