チャレンジを楽しもう

やったこと全てがうまくいくのが理想かもしれませんが
そんなことはそうそうありません。

チャレンジすれば
最初はうまくいかないほうが多いもの。

なので、たいていの人は
失敗したリアルな記憶をたくさん持っているものです。

結果として
チャレンジはうまくいかないもの
というロジックを持っていたりもします。

となると、次のチャレンジに
二の足を踏むのは当然だったりしますね。

失敗によるダメージを回避するために
チャレンジの成功のための努力より
最低限をクリアする方向に進むケースも多いでしょう。

本人も、そして周囲も
失敗しないことを最優先して物事に取り組んでいたりして
意外とそれが常識になっていたりしませんか?

もちろん、それによって成長が妨げられてしまうわけですが
心の成長には物差しがなくて定量的な評価ができないものだから
何の足しにもならないように思われがちで

知識が増えたり資格を持ったりすることが
成長だなんて思われがちかもしれませんが
本当にそうでしょうか。

「何もチャレンジなんてしなくても
最低限でも安定していれば…」

本当にそうですか?
成長なくして安定なんてあるのでしょうか?

今の我が国の状態などは参考になるかもしれません。

「失われた20年」
とか言われますが
その間の経済成長率はプラスマイナス2%弱で推移してきたわけで
そういうのって安定しているということではないでしょうか。

ところがグローバルな視点で見ると
経済的に日本のライバルに当たる国々は
プラス数%で成長し続けていたわけで
相対的にみると我が国は下降し続けていたということですよね。

もちろん私は経済は専門ではないので
あまり詳しいことは言えませんが
こういうことになっていたのではないかと思っています。

レースなんかやってても良く分かりますよ。

他を見ずに自分なりに満足いく状況だったとしましょう。
マシンの状態とか走行タイムとかが。
だからといって、同じことを同じように続けて
状態を保ったとしてもレースでは勝てないので
まったく面白くないわけです。

実際は、同じことを続けていれば同じことが起きるわけではなく
かなり頑張らないと「現状維持」すらできないのですけどね。

というわけで
いろいろとチャレンジしていくというのは
大事なんだけどなぁ
と、常日頃思っているのです。

もちろん、何でもかんでもチャレンジするのは無理なので
リスクマネージメントなんかも必要な場合もあるでしょうけど
せめて自分が好きなことやこだわりたいことには一所懸命になって
それを楽しめるような日常を作っていけるといいですね。

チャレンジチャレンジ言ってきましたが
一番の強敵は自分自身ですよね。

「真面目」の話

真面目な人ってどんな人?

言われたことをちゃんとやる人
ですか?

学校ならそう言われることが多いですね。
管理する側からしたら都合が良いから。

「リアクションの人」ですね。

リアクションの人を動かすには
一人以上の「アクションの人」が必要です。

さらに、リアクションによって何かをやって
うまくいったように見えても
アクション側の想像通り
…になることは稀で
大抵は期待以下になりますね。

まぁ、仮に想像通りになったとしても
「要求を満たした」
というだけのことです。

それによって生まれる感情は
「安心」ですかね。

それが別に悪いことではないと思いますし
そういう人がいても
もちろんいいのですけど
面白くはないですね。

この「真面目な人」の定義は
ステレオタイプ化しちゃってるというか
まぁそんなことより
これからどうすべきかが問題です。

生産人口が減少していくわけですから
単純に生産性を上げようとかいう話になるのは理解できます。
でもこれ、発展途上国の大量生産
みたいにはいきませんよね。
人件費を考えたら
そういうやり方じゃどうにもならないことは明白。

残る手段はなんだろう?

付加価値を大きくして利益率の向上かな。

細かいところは専門家ではないので良く分かりませんが
何かしらの工夫が必要で
その工夫の大きさとか量を向上する必要はありそうです。

それを少ない人数でやる必要がある
ってことになるのでしょうね。

これ、外力でなんとか
というわけにはいきませんよ。
奴隷労働じゃ工夫なんて難しいでしょう。
内的な動機で動かないと
アイデアなんて出ませんしね。

というわけで
これからのご時世に求められる
真面目さ
というのは変わっていかないと
どん詰まりになりますね。

社会も本人も。

なので、まだ多少の余裕がある今のうちに
心が発動してデッカイ事をやるような経験を
若い連中にさせておくのが重要なのではないかな
と思う今日この頃。

ものづくりはひとづくりなのですよ 本当に

授業で製図を教えたりしているのですが
常々思うことがあります。

描き方だけ教えたって片手落ちだよなぁ
と。

授業では描き方だけでなく
強度の計算などもやりますが
それでも片手落ちと言わざるを得ません。

なぜかというと

図面はものを作るためにあります。
なので、ものを作ってみないことには
どんな図面が良いのか
なんてことは分からないからです。

「良い図面」の定義を並べてみようなんて思ったら
色々出てきちゃって大変なので省略しますが

図面はなぜあるかというと
自分以外の誰かに
それを作ってもらうためです。
(そうでない場合もありますが
大抵はそのためです)

多くの場合
設計者は設計だけ
図面を描く人は描くだけ
作る人は作るだけ
となったりします。
設計と作図の両方をやる場合も多いですが。

でも、設計者、作図者がものを作ったことがあれば
それはもう間違いなく
良い設計ができて図面を描けます。

だって作ってもらうために
設計したり作図したりするのですから
どう作るかを知らなければ
良い設計、良い図面にはなりません。

製作者は
どういうふうに図面を見るか
どの寸法、形状を重視するか
どういう手順で作るか

指定した材料を
どのように加工するのか
加工すると何が起きるのか

そういうのは知識面だけでカバーすることが多いと思いますが
実際に手を動かして作った経験があれば
格段に良い情報(設計情報や図面)が作れるのです。

ものを作る経験が十分でない人が描いた図面は
ひどいものもありますからね。

「どうやって作るんだよ、それ」
そんなことが往々にして起こります。

結局、図面は他人のために描くものですが
授業では、その視点が手に入らないのです。

ついでに言えば
作ってもらう相手
使ってもらう相手
に対する気持ちや心の問題でもあって
そういうのが図面に現れるべきです。

だから、ものづくりって大事なのです。

そういう大事な経験を存続するために
夢工房は頑張っている
というのもあるのです。

技術者が良心を捨てたら終わりです。

技術は人なり