続けること

あなたは、ずーっと続けている何かはありますか?

私はバイクです。
その話をしましょう。
前もしたかもしれませんが
ちょっと違う話です。

16歳の誕生日に免許を取ってから
かれこれ40年
ずっと乗り続けてきました。

初めてバイクに乗ったときの楽しさといったら

楽しすぎて笑いが止まらなかったですね。

こんな面白い乗り物があるのか!
って感じです。

それ以来、レースしたりツーリングしたり
時として、ただの「足」だったり。

「趣味は?」
と聞かれれば
「バイク」
と答えるでしょうけど

正直なところ
あまり趣味として乗ってる気はしないのです。
気軽なホビーという意味ですけど。

でも、そんなに精神的に重いものではなくて
乗り続けるロンチックな理由があるわけでもありません。
何にせよ、今のところはやめる理由は無いです。

ずっと乗ってきて
ずっと同じ感情か
というと
決してそんなことはありません。

最初は単に面白い
から始まって

そのうち、自分の自由な空間を所有する感覚
自由に移動できる開放感
そんなのを味わって

その後はレースです。

レースは何だったのだろう?
デキの悪い自分の存在証明?
単に面白かったってのはあったかな。
スポーツですしね。

でも、レースは深い世界です。
技術や体力、センスだけではどうにもならない。

まあレースに限らず
何でもそんなものなんでしょうけど。

その後はツーリングにボチボチ行くようになって

最近ではすっかりレースはやっていません。
完全にやめたつもりは無いけど。

今は1日で1500km走るとか
変なチャレンジのための道具になってますけど
まだまだこれで終わるような気はしない。

それはそうと
なぜバイクに乗り続けてきたのか
理由の一つは
危険だから
でしょうね。

タイヤが2コしかないのだから
基本的に不安定で
身を守るものがないのだから危険です。

それが自由な感覚とのトレードオフでもあるのでしょうけど。

私は
危険な乗り物をちゃんと乗れば
むしろ安全なのだ
という一見無茶な持論を持っています。

危険な乗り物で
危険を回避するための努力をし続けて
自分のコントロール下に置けていれば
安全なクルマで
危険に対して無頓着で乗っているよりも安全だろう
という考えです。

そんなの屁理屈だ
というのは百も承知なのですけどね。

レースだって一緒なのです。

誰もクラッシュしたくてレースなんてしません。
転倒したら一等賞は取れませんから。

なので、自分のパフォーマンスを向上させつつ
ちゃんとコントロール下に置く
という成長をし続けないと
街乗りだってレースだって危険なのです。

そういう努力が必要で
うまくいったら気持ちいい
そういう満足感が欲しいのだろうな
なんて思ってます。

もちろん
景色を見たり
美味しいものを食べたり
大好きな船に乗ったり
単に遠いところに行けたという満足感があったり
そんなのもありますね。

でも、どれか単品では物足りない。
それらは、バイクというベースに乗って
はじめて楽しめる
といった感じなのかな。
そんな気がしてます。

色々考えたり
理屈を並べたりしましたが

結局のところ
良く分からないのですよ。

好きなことに理由が要るのか?

私は無くていいと思います。
理由が無ければ崩しようがないから。


夏休みは勝負です

もうすぐ学生は夏休みです。

この期間の夢工房はどうなっているか

夏休みといえば
夢工房では学生のパフォーマンスを伸ばす最大の機会なわけですが
コロナウイルスの感染が再度拡大しているので
果たしてどこまでいけることやら。

もう三年も前になりますが
平常時であれば
朝から晩までフルパワーで作業ができました。
それを泊まりがけで毎日やるのだから
そりゃぁパフォーマンス向上しますよ。もの凄く。

かつては
年末は大晦日までやっていたことがあるし
年始も1日から動いていた記憶もあります。

これ、別に私が「やれ!」と言っているわけではありません。

学生達は「世界一だ!」とやっているわけで
そのためにはそれが必要だと思っていたのでしょうね。

もちろん、そりゃまぁ大変ですよ。

でもね、果たして人生の中で
「世界一を獲るぞ!」
なんて自主的に頑張れる機会がどれだけあるでしょうか。

人によってはそういう仕事をする場合もあるし
現に卒業生もそんな仕事をしているケースもあります。
けど、稀ですよね。

とすると
ひょっとすると在学期間の4年間が唯一の機会かもしれないわけで
世界一を獲るために夏休みや年末年始を棒に振る
そこまで執念を燃やす経験も4回しかないわけです。

こんな経験は間違いなく将来の自信に繋がるでしょうね。
報酬が出る労働ではないので給料は出ませんが
得ているものが通貨じゃなくて目に見えないだけで
価値を生み出すエンジンを4年間で手に入れるようなものです。

春に入ってきた1年生なんかは
もう夏休みは休む気満々だったりする者もいますが
さて、どうなることやら。

もちろん、休みたければ休めばいいです。
特に1年生はエコランカーを作るクラブ活動なので
スポンサーもついていませんし
やる自由もやらない自由も持っています。

もっとも、この夏がその後を決めるのだ
ひょっとすると人生が丸々変わるのだ
ということも十分理解していないようですので
その辺は近々話してみることにしましょう。

フォーミュラSAEをやっているメンバーは
夏休みとか言ってる場合ではありません。
長期休暇の期間は勝負時ですから。

さて、今年はどんな夏になるか楽しみです。

フォーカスとプライオリティ

自分が今現在
何にフォーカスしているのか
プライオリティ(優先度)の高いものに注力できているのか

その辺をコントロールできているのか
というのはとても重要なことなのですが

往々にしてコントロール不能になったりしていませんか?

「自分で自分をコントロールできないなんてありえない」

そうですか?
私はたまにありますよ。

で、「おっと、いかんいかん」
と、軌道修正したりすることがあります。

仕事に関することはもちろん、その他のことでも
日頃の自分の考え方だったり、やり方だったり。

フォーカスする対象が適切ではなかったり
プライオリティがおかしなことになっていたりするのは
色々と原因があるでしょう。

まず一つ目。
現代社会は雑音が多いのです。

インターネットが高度化した現在
我々は凄まじい量の情報に囲まれて生活しています。

さらにその情報の出入り口が
あまりに手軽で身近であるので
その誘惑は凄い力を持っています。

これはあえて多くの例を挙げるまでも無いと思いますが
SNSやニュースサイト、ネットゲームなど
とにかく多種多様で強力です。

ちょっと気晴らしのつもりが
行動のプライオリティが逆転してしまったりします。

そんなことは多いでしょう。

あと、やり方の問題もあります。

自分が今、取り掛かっていることや
これからやることにおいて
全体が見えていて
それらの中でのプライオリティの設定ができているのか
その辺が見えていないことも多いかと思います。

どういうことかというと
クルマでも惑星探査機でも良いのですが
いっぺんに全部はできないので
恐らく今やるべきことは
どこかの行程における
何かの作業です。


今、これだけをやれば良い
それでおしまい

という状況では無かったりすることがほとんどです。
他にもやるべきことがあったり
次にやるべきことがあったり

時間軸上に色々と乗っかっているはず。

他にも
現時点で取り組んでいることにおいて
本当に今からやろうとしていることや
やり方がベストな選択なのか

そんなことが見えていなかったりすることもあるでしょう。

言われたことばかりやってきた学生は
その辺のコントロールがうまくできないことが多い気がします。

目の前に現れたものに対して一所懸命になるけど
実は全体が見えていなくて
頑張っても報われなくなっちゃうことが多いかな。

頑張るし真面目なんだけど
考える幅が狭くて
考える時間軸が短い

そうなると
最終的なゴールを見失っていて
今、この瞬間に取り組んでいる「手段」が
目的になっていたりします。
手段と目的の入れ替えですね。

自分が何にフォーカスするか
どのようにプライオリティを設定していくか
というのは
結局のところ
「自分がどうしたいか」
によって決まるわけで

結局は価値観によって決まる
ということになるのでしょうね。

それは他人にはいじれません。

さて、どうしましょうか。

やはり環境とか風土とか
そのへんを作り込んでいく必要がある気がします。

というのも
結局は皆、やりたいことを
やりたいようにやっているわけで
(「やらされるようにやりたい」というのもあります)

「こうやりたい」
というのを変えない限りは
変わりようがないからです。

それができるのは
環境とか風土じゃないかな
と思うのです。