チャンスを掴むということ

「バスに乗り遅れるな」
とか言うけど、ちょっと違う。

何というか…

目の前に「チャンス」という名のクルマが停まる。

死神が乗った軽トラか
幸運の女神が乗ったリムジンか
それは分からない。

音もなく停まるかもしれないけど
けたたましいスキール音とともに停まるかもしれない。

それに乗り込むと
死神がリスクと引き換えに
ハンドルを預けてくれるかもしれないし
幸運の女神の隣に黙って座っているだけかもしれない。

そもそも
停まったことすら気付かないかもしれない。

気付こうが気付くまいが
ドアを開けなければ
それは、あっという間に去ってしまうし

ドアを開けても乗り込むのを躊躇しているうちに
やはり去ってしまう。

去ってしまうのを見送るたびに
黙っての過ごすのが習慣になって
いずれ気にも留めなくなる。

チャンスに気付くためには
視野の広さと嗅覚が必要で
掴むためにはスピードと勇気が必要。

最初はうまく運転できないかもしれないけど
初心者なんてそんなもの。

なんでも、何度も乗らないと
うまく運転できるようになんてならない。

「自分にはまだ早い」
「リスクが大きい」
なんて思っていると

そのクルマは
もう現れることはない。

そんな感じです。

4年生 任務完了の巻

本日は当研究室恒例のの「追出し会」と称する
現4年生の送別会でした。

現役生は1年生から3年生まで
色々な顔触れが揃って
恒例のゴーカートの耐久レースから始まり
その後は、このご時世ですので
宴会ではなく食事会で済ませましたが
それなりに盛り上がりました。

そんな中で卒業生の挨拶などを通して
彼らの4年間を垣間見ることができるわけですが

4年なんてあっという間で
やりたいことを我慢してたら
あっという間に終わっちゃうんだよなぁ
なんて思っていました。
まぁ、そう感じるのは
いつものことでもありますが。

一般的な研究室であれば
そんな経験をしてきた4年生の話を聞けるのは
3年生だけなのですが
夢工房では1年生から同席出来るので
下級生達は早くから
自分のあるべき姿を
組み立てて行きやすいと思います。
その辺は、この態勢の良いところですね。

私は年がら年中学生達と顔を付き合わせているので
あまり変化を感じられなかったりするのですが
やはりこういう機会に
彼らが確実に成長していることを実感します。

特に今年の4年生は
在学期間の半分がコロナ禍だったわけで
そんな環境でよくやってきました。
おかげで後輩達も一般の学生に比べて
大きく成長できたと思います。

が、彼らのここまでの本当の成果が分かるのは
仕事が始まってからですね。

ここからは
本番のフィールドでの修行の始まりです。

現場で壁にぶつかった時に
果たして彼らが何を考えてどうするか
今から楽しみです。

東日本大震災から11年

今日の投稿内容はどうしようか
と思いましたが
やはり震災には触れずにはいられません。

もう11年も経ったのですね。
命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。

あの時、私は大学の会議室にいました。
尋常ではない、今まで経験したことが無い揺れでしたが
埼玉は、まだ大したことはないのだとすぐ後に分かりました。

当時、東北に勤務する卒業生もいて
なかなか連絡が取れませんでしたが
やっと連絡が付いて
現地の惨状を聞いた時の驚きは今も忘れられません。

その後は、ちょっとしたボランティアなどをさせて頂いたりもしましたが
逆にこちらが勇気をもらって、大変勉強になりました。

震災の翌年からは、毎年必ず東北にバイクツーリングに行っていました。
残念ながら、昨年の夏は東北には行けませんでしたが
代わりに度々地震の被害に遭っている九州には行けました。
私ごときが落とすお金なんて、たかがしれていますが
それでも100%脳天気に遊ぶというのも
なにか心に引っかかるものがあって
行くなら東北か九州は外せない
と思って今に至ります。

昔から災害の多い我が国日本。
多くを失うと同時に
きっと何かを得てきたはずです。

近年の大災害は大変悲惨なものではあったものの
きっと得られた何かがあったはずです。
ひょっとしたら、それが明らかになるのは
ずっと後になってからなのかもしれません。

常に大災害の中心にいなかった者が
こんな偉そうなこと言うのは憚られるのですが
何も言わないというのも無責任すぎる気もしますので
あえて今回の記事を投稿しました。

私は、阪神淡路、東日本、熊本と
いずれも十分なことができたとは言い難いです。
しかし、使い古された臭い表現かもしれませんが
「心はともにある」
という気持ちは忘れたくないと思います。