夢工房の「恩送り」

やることなすことなんでもかんでも全力で
というのはさすがに無理ですが

自分が「やるべきことだ」
と思ったことに対しては全力でやって欲しいものです。

では、どこまでやるのか?

例えば
夢工房でレーシングカーを作っているような連中はどうすべきなのか

こういう活動をしている時に
真っ先に問題になってくるのは
資金面ではないでしょうか。
クルマを作ってレースをするのですから
お金がかかります。

夢工房の活動は
大学からの支援や研究室の研究費などを活用していますが
それだけでは海外遠征は不可能です。
ひょっとしたら
マシンを作ることすらままならないかもしれません。

現状の手持ちのリソースだけでは
海外大会に出たいという
彼らの夢は叶わないので
「じゃ、できる範囲で…」
ということにすると
この活動は、途端にチャレンジではなくなってきます。

できる範囲でやることを
チャレンジとは言いません。

未来をつくっていく人間は
チャレンジャーでなければいけません。

チャレンジしなければ
現状維持しているつもりでも
徐々に降下していきます。

そこで彼らはスポンサーを探して
協力をお願いしています。

自分の財布で何とかできないのに無責任?

そういう考え方もあるかもしれませんが
スポンサーから支援して頂くということは
相応の責任が伴うので
簡単に諦められないということです。

「やる」
と約束して支援してもらっているので
やらなければ約束を破ることになります。
だから、何が何でもやらなければならない。
(という状況で、このコロナ禍は正直キツいです)

これは、授業で「単位を落とすからやらなければ」
なんていう状況とは比べようがありません。
パーソナルな問題ではないので
責任の大きさも次元も違いすぎます。

授業やら何やらというのは
パーソナルな問題なので、最低限でもいいのです。
文句を言うのは親と先生くらいです。
(注:かといって、卒業できないなどは論外です。
早く世のお役に立つ必要があるのですから)

でも、こういったやりかたで活動をしていると
最低限では誰も力を貸してくれません。
最大限やるところに価値があって
そこに責任が伴うのですから
好きなことを全力でやることになるわけです。

では、スポンサーをはじめとした
支援者には何をお返しできるのか。

良い成績を上げて喜んでもらえたら最高です。
しかし、直接的にお返しできるものは何も無いかもしれません。

しかし、支援してもらった彼らの持つ責任が消えるわけではありません。
彼らは卒業後、その恩に報いるべく
良い仕事をして世の中を回していく使命を持っているのです。

というか、こんなことを毎日全力でやっていれば
そりゃぁ仕事ができるようにもなってしまいます。

受けた恩は返すのではなく
将来活躍することによって
世のために、次世代のためにと送っていく。
こういうのを「恩送り」というのですね。

感受性の話

センシング能力というか
人が色々感じる感度は
どのように違ったり変化したりしているのか
そんなことを考えることがあります。

若いから、経験が無いからこそ感じられることがありますね。
若い人は感受性が強いって言いますし
実際そう思います。
初めての経験は印象に残りやすいってことなのかな。

でも、年齢を重ねることによって
慣れが出てきたりすることもあるでしょうから
そうなると感じられなくなる
そういうことなのでしょう。

逆に、経験を積むからこそ
見えること、分かることがあるってのもありますね。
技術的なことなどは最たるものです。

これは経験を積んで
色々知っていくから分かってくる
ってことです。

こういうのは、人によっても違いますね。
経験を積んでも分からないものは分からない
そんな場合もあります。

環境や文化に起因するものもあるでしょうし
対象に興味があるとか無いとか
そんなことも要因としては大きいでしょうね。

そんなふうに色々なわけですが
結局は、他人が何をどのように感じて考えているか
そんなのはよく分からないわけです。

なので「教える」ってのは難しかったりするのですね。
だからこそ
そこに価値があったり面白かったりするのでしょうけど。

夢工房の学生達は
良いものを作ろうと日々頑張っているわけですが
そのためにはアイデアが必要です。

アイデアは
本人が本当に欲していなければ出てきません。

ゴールをどこに設定するか
それをどれくらい欲しているか
これは、何にどれくらい興味を持つか
ということになるのでしょうけど

それによって見えるもの、感じるものは違うわけで
見えない、感じられないものに対してアイデアは出せませんので
むやみに頑張れば何とかなるわけではありません。

結局は、心の問題なので本人次第
ということになっちゃうのですが

これは
本人次第でどうにでもなる
ということでもあります。

興味を持って頑張っていれば
いずれセンシング能力が向上する
ということもありますから。

過去に引っ張られるな

過ぎたことをクヨクヨ考えても何も変わらない

それは誰でも分かっている…よね?

でも考えてしまいますよね
失敗は印象が強いからどうしてもそこに引き込まれてしまう。

まぁ、その程度は人にもよるのだろうけど。

けれど、それは良いことを何ももたらさない。

クヨクヨ考えても考えても乗り越えることはできないし
次回に良い結果になることもない

だけでなく
むしろ同じ結果になる

なぜ?

それは人は強い印象に引っ張られるからです。
これ、深層心理の効果ですね。

多くは過去に
「お前、反省してるのか?!」
とか言われて
過ぎてしまったことに注視する経験があったりします。
で、姿勢が下向き、後ろ向きになっていく。

「反省」って
過去を振り返ってクヨクヨすることじゃないのにね。
タイムマシン持っているわけじゃないんだから
どんなに考えても過去は変えられない。

言う方は、どうしてそんなことをするかというと
これやると
ビビってチャレンジできなくなるからです。

いわゆる「良い子」になります。

その結果、失敗したり面倒なことを起こしたり
というのが減るので
管理する側としては面倒がなくなるんですね。

「良い子」は
突拍子もないチャレンジをしたりしませんから
面倒が減るってことです。

言う方は、それほど意識していないのかもしれないけど
結果としてはそうなっていると思います。

言われた方は、それをやらない理由にしがち。
ヘマをすると怒られるから。

そんな経験を繰り返すと
自分でもチャレンジできない理由が分からなくなります。
条件反射でチャレンジできなくなっているから。

構造としてはこんなことになっているのだろうけど
実は、それを知ったところでどうなるわけでもありません。

過ぎたことは仕方ないのです。

自分の過去の経験も
自分を取りまく人達も。

大事なのは

「じゃ、どうするの?」

ってところで
それは自分で勝手に決めていいのです。

「あー、あれはダメだったなぁ
じゃ、次はこうしよう!」

反省は、それだけでいいと思います。
実にシンプル。
何を考えてどうやったかを省みて
次の行動を決めればいい。

それでやってみてダメなら
また考えて決めればいいのです。

次も同じ結果になったらどうしようなんて
悩むのは馬鹿げています。

脳の失敗回路が活性化するし
悩む時間がチャレンジする機会を奪うことになるのですから。

夢工房では
失敗しないことを望んでいません。

失敗しないことが成功ではないからです。
マイナスが無くなってゼロになっても
プラスではありませんし
ゼロはどんなに足しても掛けてもゼロです。
そんなの全然面白くないですよ。