「衝動」に支配される世界 読了

「衝動」に支配される世界
読了しました。
空き時間にチマチマ読んでたので
1ヶ月もかかっちゃいました。

この本、ポール・ロバーツという
ジャーナリストが書いたドキュメンタリー
なのですが

グローバリズムとか
インターネットを通じた便利な消費社会
それに関わるマスコミや政治
そしてそれらの環境で
衝動的に消費する消費者(ごく普通の人々の行動です)
という
難しい環境にハマっている
現代アメリカの困難を描いた作品です。

なぜアメリカが今のような
強烈な格差社会になっているのか
なぜそれが変えられないのか
というのがよく分かりました。

マスコミの報道やネット上の情報では
どうも原因がよく分からなかったので
どうしても知りたかったのです。

この複雑怪奇な状況
ちょっとした感想文などで
簡単には表現できませんのであしからず。

読んでいて、1、2年くらい前の著作なのかな?
と思っていたのですが
実は7年前。

現在のアメリカは、出版当時同様
今だ難しい状況にあるということですが
何とか脱してほしいものです。

実は日本も着実に同じ轍を歩んでいるというのも
嫌というほど感じます。

で、そのまま行くとどうなるのか
というのは
この本に明確に書かれています。

簡単に言うと
格差は開いて
「経済は回るけど社会は回らない」
という状態です。

「経済は回る」
というのは、みんながお金持ってる
ということではなくて

国内の産業は衰退して仕事は無くなって
みんな貧しくなって中間所得層はいなくなって
国民は精神的に分断されてコミュニティは消滅して
でも
デカイ企業は超儲かる!
みたいな感じです。

国民性の違いなどはあれど
同じようなシステムで
似たようなことをやって
似たようなことが起きているので
似たようなことになる可能性は高いと思います。

自分自身の行動を振り返っても
「ああ、このままじゃダメだなぁ」
と思います。

そんな状況を考えると
我が政府が
「新しい資本主義を…」
と言い出したのも理解できます。

本書には、解決策が提示されているのですが
そこを読んで思ったのが
「昔の日本人の価値観なら
こんな問題は起きないな」
ということです。

「昔の…」
ということは
「今の」価値観のまま行くとダメだ
ということなのですが…
まぁ、ダメでしょう。
でも、何とかしないと。

昨日の記事に教育勅語を引用したのは
実は、著者が示した解決策を見ていて
「教育勅語の内容みたいだな」
と思ったのもあるのです。

たぶん、その辺に脱出口がある。
ヒントは得たのでOK!
読んで良かった。

今回の記事
「何が問題なのかハッキリ言えよ」
ってな感じでしょうけど
それが簡単に言えたら苦労しないのです。
興味のある方は、ぜひご一読を。

ところで
古き良き日本の道徳観念というのは
実は凄く良くできていて
根底の大事な部分をしっかり抑えられているんだなぁ
なんて、この年になって感心したりしています。

ま、それだけ不勉強であった
ということなんですけどね。


個は大事 けど全体も大事

「個」を大事にしすぎると
全体としてはバラバラになって
組織としての力は発揮できず
弱体化していくわけで

「全体」ばかり考えていると
個を大事にできなくなったりするわけで
妥協とか我慢とかが必要になります。

そういうのって難しいんだなぁ
なんて思う今日この頃。

「個」と「全体」は相互に繋がっているので
結局のところ極端なのはダメなわけで
良い具合のさじ加減が大事なんですね。

だからこそ中道が大事だよ
ってことなのでしょう。

何か極端なところに答えがあるわけでは無いし
完璧なバランスポイントなんて無くて
パーフェクトワールドなんてのも無いわけで
だからこそ面白い。

人間の歴史も
そういう間をフラフラして
その時その時の「いい塩梅」を探してきたのでしょう。
それは今も変わらない。

結構、同じようなことを繰り返してたりしていて
フラフラ、グルグルしてるんですね。

とか何とか考えてると…

なぜか教育勅語を急に思い出したりして。

ああいうのを毛嫌いする人がいるかもしれないけど
よく読んでみて欲しい。

教育勅語 -明治神宮webサイトより

これ、凄いなぁ
と思いますよ。

これなら、どこの誰に適用しても問題無いし
みんなハッピーになっちゃうじゃないか
と。

今、我が国は
国是として掲げているものはあるんでしたっけ?
そんなことも知らないのは恥ずかしいけど
もし無かったとしら、ちょっと恐ろしい気もする。

社是もない会社だったら
俺たち一体どこに向かってんだ?
ってなもんですから。

売り上げ上げればいいんじゃん?
好きにやってればいいんじゃん?
では、いずれ破綻するのは明白。

天皇陛下の新年のお言葉が
国是みたいなものになるのかな。
だったらちょっと安心ですが。

正しいって何だ?

「何を測定するかが行動に影響する。
正しいものを測定しなければ、正しいことは行われない」

元世界銀行のエコノミスト
ジョゼフ・スティグリッツという人が
こんなことを言ったそうです。

ふむふむ、なるほど。

何かアレですね
「観測が結果に影響を与える」
ってヤツでしたっけ
量子力学の観測者効果ってのに似てますね。
いや、違うのか(笑)

量子力学、興味がある人は
調べてみると面白いかもしれません。
一見トンデモ理論のようですが
ちゃんとしたサイエンスです。

ま、それはそれとして

冒頭の言葉はもっともなのですが
正しさとは一体何だ
というのがそもそも難しいところかと。

正しいとか間違っているとか
科学的なことならともかく
多くは主観的な価値観によるもの
である場合が多いですよね。
というか、それがほとんど。

分かりやすいところで言うと
「テロリスト」
と呼ばれる人達がいますが

何も彼らは
「世界を地獄に叩き込んでやろう!」
なんてこれっぽっちも思っていなくて

むしろ自分達の価値観にのっとって
正しいと信じていることを
命がけでやっているわけですよ。

対立する価値観を持つ者からすれば
とんでもない悪党
ってことになるかもしれませんが
それは双方とも思っていること。

理屈はそういうことですね。

で、ですよ

「正しい」
を考える上で大事なのは
その対象の集団の範囲ってことなんでしょうね。

ビジネスとか
物質的な欲得ベースの
短期的な価値観では
必ず争いが起きるので

結局は
「多くにとって共通の価値があって、かつ持続可能なもの」
という感じになるのかな。

そういうのを共有して
うまいことやっていこうぜ
ということになるのでしょうけど…

いやぁ、こりゃ難しいですね。

聞くところによると
環境の厳しい国で争いが多いのは
少ないリソースを奪い合うことによって
生き残る必要が生じてしまうためだそうです。

水とか油とか鉱物とかですね。
それこそ住みやすい土地なんかも該当するでしょう。

日本の場合、自然災害が多いとはいうものの
自然が豊かなので
命をかけた奪い合いとかは
あまり発生しないわけですね。

で、そんなふうに
色んな基本的な条件が異なるところに住む者が
共通で持てる正しさって何だろうな。

なんてことを考えてました。

日本は日本で、持つべき正しさってあるわけで
それが道徳ってことなのでしょうね。
皆が気持ちよく生きられるように
って。