日本は思いのほか大きい

住んでいる埼玉から
北海道最北端の宗谷岬までの1500kmを22時間で
九州最南端の佐多岬までの1500kmを17時間で
その両方にバイクで行けました。
やればできるもんだね!
キツイですけど。

さて
皆さん日本は小さい国だと思っているでしょう?

埼玉から本土最北端と最南端のどちらへも1500kmってことは
最北端から最南端までは3000kmですよね。(埼玉経由で)

これ、オーストラリアの南極側のアデレードから
赤道側のダーウインまでの距離と同じなんですよ。

オーストラリアの中央を南北に貫く
スチュワート・フリーウェイ
これがアデレードとダーウインを
3000kmで結んでいるのです。

ほら、日本って結構大きいでしょう。

日本を真っ直ぐに立てて
オーストラリアの地図にはめ込むと
縦方向がピッタリはまる感じです。

え?じゃぁ、オーストラリア縦断は二日で行けるの!?

そりゃ無理でしょうね。

24時間くらいなら徹夜で走れますけど
二日目は無理でしょうから。
ちょっと休まないと(笑)

冗談はさておき
日中に走って一週間
というのが現実的なところでしょう。
夜は走れません。

カンガルーとかの夜行性の野生生物がいる土地を
夜中に走るのは危険です。

ヤツら、ライトめがけて飛び込んできますからね。
100km/h程度で巡航してるバイクで正面衝突したら
かなりマズイことになるでしょう。

カンガルーは車が来ると道路際に立っていて
もう避けられない
というタイミングで、目の前にピョン!
と来るそうです。
ゾッとしますね。

北海道の夜の走行だって危なかった。
鹿がそこら中にいて、こっち見てますから。
飛び出て来たら最悪です。
これも衝突したらかなりヤバイことになります。

鹿も目の前に飛び出してきて
車の前でピタッと止まったりします
つぶらな瞳で見つめながら。

そうそう、オーストラリアにはラクダがいるんですよ。
昔、内陸部の開拓をする際に中東から連れてきて
大層役に立ったそうです。

その一部が脱走して野生化しているそうです。
季候が悪くて食物が不足しているときに
群れで民家を襲撃することもあるとか。
凄いですねー。

ちなみに
アメリカのロサンゼルスからニューヨークまでが約4500km
一週間じゃ無理そうですね。

オーストラリアのお隣のニュージーランドは
一見小さいようですが
南北の端から端まで走ると
ちょうど2000kmくらいのようです。
意外と大きいです。

オーストラリアもニュージーランドも
モータースポーツ界に大きな足跡を残した人物がいる
魅力的な国なのです。

教育って難しい

「教育」って何だろうな
どうしたらうまくいくのかな
とよく考えるんですが
それは仕事だから当然。
別に嫌々やっているわけではなくて
大事なことだと思ってるんですよ。

さて、一口に「教育」と言っても色々あって
一概には言えないとは思うのですが。

義務教育から大学などの
いわゆる高等教育に向かっていくのですが
多くの場合、教育は
「教えること」
ですよね。
まぁ、読んで字のごとしというか。

小学校から始まって大学卒業までは
だいたい16年間ってところでしょうか。

大抵の場合
その間ずーっと
指示されて やる
ということを繰り返してるんですよね。

もちろん、そういうのはあっても良いとは思うんですけど
とくに義務教育の過程では必要かとも思いますが
16年間も
言われて やる
ってのを繰り返していると
言われないとやらない
言われたことしかやらない
言われてもやりたくない
言われたことなんかやりたくない

のいずれかに落ち着いても
それは仕方ない気もします。
極端な考え方かもしれませんが。

しかも学校では
言われたことができると優秀
とされるわけですから
言われたら できる
が最高なわけです。

言われなくても できる
ってのが本当は最高なのでしょうけど
それは点数にはなりにくいですよね。
そんなの評価する方法もないのではないかな。

で、多くの場合は
どうやって言われたことをやるようにしているかというと

できないと
留年するぞ
とか
就職できないぞ
とか
恐怖でコントロールしているわけですよ。

すると何が起きるかというと
学生は恐怖から逃れたいので

仕方なく最低限やるわけです。

最低限やった成果に対して
評価者が満足いかない場合
もっとやれ!もっとやれ!
となる。

すると言われた方は
ますます嫌になる。

そんなことないですか?

でも、言われたことをやらないと面倒なことが起きるからやるけど
それをやったところで
恐怖の源が発生しなくなって
ホッと安心するのが関の山で
実はハッピーになるわけではないですよね。

もちろん中には
学問の面白さに目覚めたり
できる喜びを感じたり
そうやって伸びていく者もいますが
そういうケースはこの際問題にしません。
問題ないもんね(笑)

と、ここまでずいぶん引っ張りましたが
今日言いたいのは
教育が
「教える」ことが目的になっちゃっていて
「自らが学ぶ」というか
学生自身の成長が軽視されてるんじゃないか
と思ったのです。

「教える」って
そもそも学生を成長させるための手段だと思うんだけど
そっちが主役になってないか
と。

学生が成長するなら
本来は何でもアリでではないか
と。

自ら能動的に成長するようなことをするなら
それが最高じゃないか
と。

なので、そんなふうに自ら学べていれば
外部から無理に突っ込む必要は無いと思うんですよ。

でもなんかこのご時世
もっと突っ込め!もっともっと!
ってなってませんか?

そういうのが嫌で
やる気が無くなるとしても
むしろそれは正常じゃないのか
と思うこともあります。

じゃぁどうしたら良いと思うんだよ?

ですよね。
まぁ、それが重要で難しいところですよね。

例えば
もっと彼らにチャンスをあげるのはどうでしょう?


「それを面白く転がしてみろ」
と。

そういう結果を評価するのは難しいかもしれません。
たぶん数値化しにくいでしょうし。

教育の効率も悪いかもしれません。
みな均一に均質に
ってわけにはいきませんから。
そもそも教育の効率って何なのだ?
誰のためなのだ?
と思いますが。

でも、大事なのは彼らの成長です。
評価することではないでしょう。

もちろん、評価があれば
その後にどうしたら良いか
という道筋は立てやすかったりするでしょうけど
それが本質ではない。

彼らが
もっとやりたい!もっともっと!
となるようにせねばいかんのだろうなぁ
どうしたらいいのかなぁ

夢工房はボチボチ良い感じですが
もっとイケるはずだぞ。

と、今日はこんなことを考えていました。

マキシマムで行こう

どうもビビってると最小限になりますね。
何事も。

夢工房の学生達
色々なタイプがいて
それぞれのタイプが浮いたり沈んだりするわけですよ。
うまくいったりいかなかったりってことですけどね。

まぁ、色々と
能力やら性格やら
あとは今回みたいに
世の中の状況とかもありますよね。

で、チャレンジしている学生達は
ぶっちゃけ成功したいわけですよ。

教員の私が
仮に在学中に成功しなくても
卒業後に世の中の役に立てば…
なんて言っても
成功したいものは成功したい。

そりゃそうでしょうね。

面白いのは
「成功したい!」
というのは自分の欲でしょう?
自我みたいなものですよね。
いや、まさに自我なのかな。

その気持ちが強いと
自分の枠をぶち破るんですよ。

どういうことかというと

いくら一所懸命やったところで
自分にできることには限度があって
それ以上のものを得たいなら
周囲に喜んでもらわないとダメだ
って気付いちゃうんですよね。

自分の力だけじゃ足りない
って。

気付いて覚悟が決まった学生は
まぁ、気持ちいいですよ。

挨拶はちゃんとできるし
周囲の手助けはするし。

もちろん
裏表を使い分けてたりすると
そういうのって分かっちゃいますからダメなんですけどね。

そんなのできるの当然だろう
とか言わないで下さいね。

今どきちゃんと挨拶ができるとか
自発的に他を助けるとか
そんな学生は、そうそういませんから。
言われればやるコはいますけどね。

そういうわけで
腹が決まってる連中は
とにかくやることがマキシマムなんですよ。
もちろん失敗したり
他に色々言われたりもすることもあるでしょうけど
思いもしないところからチャンスが舞い込んできたりします。
そうしてれば普通じゃ得られないものが手に入る。

普通じゃないことをしていると
普通じゃない結果が得られる

こういうのって当たり前なことで
誰でも分かってるとは思うんですが
それができるかというと別問題ですからね。

何でもかんでもマキシマムでやってると
端から見るとバカみたいに見えることもあるし
損しているように見えることもあるでしょうね。

なので、自分のことばかり考えていると
そういうアクションは取れないわけで
頑張っているつもりが
結局は普通のことをやって
普通の成果を出せるかどうかってところで
時間切れになります。
4年なんてあっという間ですから。

あ、何で
挨拶できたり、手助けしたりする学生が成功するかって?

そんなの当然ですよ。

周りがそいつを助けたいって思うから
自分以外のリソースが集まってくるのです。

なので、本来自分が持っている力を超えられるんですね。
みんなの力を集めて。

それに、そういうことを元気にやってると
単純に気持ちいいでしょう?
これ、凄く大事なことです。

まぁ当然のことなんですけど
これをやって失敗したときの恐怖を想像しちゃったら
実践はできません。

なので、そういう人は
こういうことを信じないし認めない。

これね、学生に言ったところで
なかなかできないのです。
難しいことではないのだけど
勇気が要るのかもしれませんね。