自主性とか主体性とか

自主性とか主体性とかが無くても生きられる我が国は凄いよなぁ、と、ふと思ったりしました。
ちょっと皮肉っぽいですが。
でも、本当にそう思っています。

まぁ、先進国であれば、自主性とか主体性とかが無くても、すぐに生命の危機に陥るようなことは少ないとは思いますが、そうでは無い国は多いのではないかな。

それに、我が国の現状は、そこそこしっかりしているお陰で、自主性とか主体性とかが十分で無くても、組織やシステムがそれをケアしてくれるわけですが、この状態が崩れたらエライことになるのではないかな?

と、それを憂うこともできるのですが、そういったことをしたいわけではありませんし、誰かに文句を言いたいわけでもありません。

もしそういった心配があるのであれば、それをひっくり返して、全くそういった心配が要らなくなるような状態にできたら、それはそれで素晴らしいわけで、そのためには何ができるかなぁ、なんて考えるのが面白かったりするのです。

文明の発達、特に科学技術は、労力の低減や効率の向上のために発達してきた部分が大きいわけで、そのために「できればやりたくない」という気持ちが増大してくるのはある意味当然と思うのです。

その揺り返しとして
自分がやる
自分発でやる
そういったことを試したり、関われるチャンスに対するニーズが高まるのは必然のような気もするのです。
自然への回帰などもそういうことでしょう。

どう思います?

違ってることが前提だ

皆と同じことがしたい?
皆と同じことに本当に価値を感じる?

まぁ、何に対して?というのもあるでしょうけどね。

皆と同じように…

親も先生も、子供を皆と同じようにしたがりますよね。
同じじゃないと、心配したり怒ったりしますよね。

そんな環境で成長すると、周囲と同じなないと不安を感じたりするようになるでしょう。

でも、実は皆知っています。
同じってことは価値が無いってことだと。

なので違いが欲しい。

でも、同じじゃないと不安だったりするし、今さら違いをつくるためにはどうしたら良いか分からない。
しかも、その得たい「違い」は「間違い」であってはならず、「正解」である必要があるとか、そうなるともう訳が分からない。

このジレンマの中でバランスを取ろうともがくわけです。

で、もうどうしたら良いか分からないから、できるだけ労力を要さない、かつ無難な道を探す。
そんなことになったりするケースが多いのではないかな?

けど、そこには面白さは無いわけで、そんな状態に満足がいかなくて、耐えられない者もいる。
そんな連中の背中を押すのが夢工房なのですよ。

どこにいるかが重要

以下のテキストから画像を生成して下さい。ただし、画像中には文字を含まないようにしてください。 具体的に、どういった「場所」にいるかは大事です。 チャレンジャーが沢山いるとかね。 これは具体的な場所という環境。 ではなく、心の位置というか、そういうのも大事なのですよ。 いわゆるコンフォートゾーンってあるでしょう。 心の快適な領域です。 辛さや苦しさが無い状態ですね。 これ、欲しいでしょう? 自分の意識も、本能的な無意識も、それを求めますよね。 心理的にも身体的にもコンフォートが欲しいですね。 なので、何も考えていなければそこに行きます。 実際には「行こうとする」ですかね。 望んだところで、本当にコンフォートな状態になれるかどうかは分かりませんから。 このコンフォートゾーンですが、この状態にいるとどうなるでしょう? 成長できないのですよ。 だって、快適な状態に留まりたいから。 成長は、そこそこの困難がある領域でチャレンジするなかで得られるわけで、そういった失敗が必要なリスキーな環境は、純粋なコンフォートではありません。 なので、いかにそのチャレンジングな領域に踏み込むかが重要なのですね。 ただ、チャレンジングな環境でも、慣れちゃうとコンフォートになっちゃいますから、成長に伴って先の領域に進んで行くようにする必要があります。 ということは、いかに自発的に先へ先へと動きたくなるような目標を持つか、ゴールの設定が重要です。 そうそう、チャレンジングな領域に大きく踏み込みすぎると、それなりにボリュームとかインパクトとかがあるので、それらを受け止められるメンタルやフィジカルの容量が必要になります。 なので、誰でも同じようにってのは無理な話なのはもちろん、この「容量」をいかに大きくしていくかってのも大事です。これは覚悟とか経験とか、あとは先天的なもの…才能とかって話になっちゃうのかなぁ。ある程度は努力で伸ばせますけどね。

環境の話です。

具体的に、どういった「場所」にいるかは大事です。
チャレンジャーが沢山いるとかね。

これは具体的な場所という環境。
ではなく、心の位置というか、そういうのも大事なのですよ。

いわゆるコンフォートゾーンってあるでしょう。
心の快適な領域です。
辛さや苦しさが無い状態ですね。

これ、欲しいでしょう?
自分の意識も、本能的な無意識も、それを求めますよね。
心理的にも身体的にもコンフォートが欲しいですね。

なので、何も考えていなければそこに行きます。
実際には「行こうとする」ですかね。
望んだところで、本当にコンフォートな状態になれるかどうかは分かりませんから。

このコンフォートゾーンですが、この状態にいるとどうなるでしょう?

成長できないのですよ。
だって、快適な状態に留まりたいから。

成長は、そこそこの困難がある領域でチャレンジするなかで得られるわけで、そういった失敗が必要なリスキーな環境は、純粋なコンフォートではありません。

なので、いかにそのチャレンジングな領域に踏み込むかが重要なのですね。

ただ、チャレンジングな環境でも、慣れちゃうとコンフォートになっちゃいますから、成長に伴って先の領域に進んで行くようにする必要があります。

ということは、いかに自発的に先へ先へと動きたくなるような目標を持つか、ゴールの設定が重要です。

そうそう、チャレンジングな領域に大きく踏み込みすぎると、それなりにボリュームとかインパクトとかがあるので、それらを受け止められるメンタルやフィジカルの容量が必要になります。
なので、誰でも同じようにってのは無理な話なのはもちろん、この「容量」をいかに大きくしていくかってのも大事です。これは覚悟とか経験とか、あとは先天的なもの…才能とかって話になっちゃうのかなぁ。ある程度は努力で伸ばせますけどね。