道具の進化 鉄器編

その後に登場するのは
鉄器
なのですが
これまた不思議です。

まず
そもそも自然に存在する鉄は酸化鉄です。
言ってみればサビです。
この状態では、単に熱を加えてもどうにもならない.。
鉄製品を作るための材料とするには
この状態から酸素を奪う還元作用によって
素材として使える鉄にしなければなりません。

そもそも
そんなこと誰がどうやって思い付いたのでしょうね。

さらに
鉄の融点は1,538°Cです。
薪を燃やした焚き火なんかじゃ溶けてくれません。
最低でも
木炭や石炭などのエネルギー密度の高い燃料と
鞴(ふいご)を使って風を送り
高温を得る必要があります。
それでも
そんなに簡単に溶けたりしませんけどね。

鉄の起源はこのように
地球上にそもそも存在する資源で
作ったとされる説に加えて
もう一つあります。

5000年ほど前に隕鉄(いんてつ)を利用した
とされる説です。
隕鉄とは隕石ではなく
宇宙から降ってくる鉄の塊です。
それを素材として鉄製品を作ったということですね。

もちろん多くは小さいものだったのでしょうけど
ニューヨークの自然史博物館に行くと
直径1mを超えるような巨大な隕鉄を見られます。
写真を撮ったはずなのですが行方不明です。
すみません。

宇宙から降ってきた
鉄を見つけるといっても
そう簡単には見つからないでしょう。
見つかったとしても
それを材料にして製品を作る!?
たまたま真っ赤に焼けた状態の隕鉄を見つけて
叩いて整形して
冷めたらいけそうだった?
そんなことあるのかなぁ?

隕鉄で作られた製品は
ヒッタイト帝国の遺跡や
エジプトの遺跡で見つかっています。

何にせよ鉄製の道具は
それまでの青銅のものに比べて遙かに強力なのですね。
特に刃物などは切れ味も強度も。
なので、鉄を得た民族は強大な力を得た
ということです。

恐らく
当時の鉄製の武器は
現在の核兵器に相当するくらいの
インパクトを持っていたのではないでしょうか。

ちなみに
日本の古来の製鉄は独特で
たたら製鉄といって
木炭を燃料として砂鉄から作るのですが
石炭を蒸し焼きにした燃料であるコークスと
鉄鉱石を使った西洋風の製鉄方法に比べて
極めて純度の高い鉄が得られるそうです。

その理由は
鉄鉱石やコークスには
そもそもリンや硫黄が含まれていて
これが不純物として鉄に混ざってしまうから。

たたら製鉄の場合は
そもそも木炭と砂鉄なので
不純物が入りようがないそうなのです。

その鉄は
玉鋼(たまはがね)といって
日本刀の材料になります。

日本刀に限らず
ノミやカンナなどの大工道具や
和包丁などをはじめとする
日本古来の刃物の多くは
炭素分が多くて固い「刃金」(はがね)と
炭素分が少なく柔らかい「地金」(じがね)を
接合(鍛接)して作られるという
これまた大変な
世界的にも希な製法で作られています。

簡単に「鍛接」なんていっても
これがなかなか難しいのです。
真っ赤に熱した鉄に
硼砂(ほうしゃ)をまぶして
同じく熱したもう一方を載せて…
叩く!
でもなかなかくっつきません。

苦労してくっついた後は
熱して叩いて成型です。
とはいえこれも難しい。

常温なら硬いはずの
炭素分が多い刃金
熱するとなぜかこれが地金より柔らかくなっちゃう。
なので叩くと刃金ばかり瘦せてしまう。

あらかた形になったら
焼きなましてみたり
削ってみたり
焼き入れしたり
研いだり…
いやー、もう大変。
楽しいけど。

なんでそんなこと知ってるかって?

そりゃ、自分でやってみたからですよ(笑)
カッコいい刃物なんて
なかなか作れませんよ。

こんな愛すべき難しい材料を
自在に操る本物の鍛冶屋さんは
日本には数えるほどしか残っていません。

みなさん、この素晴らしい文化を残すために
本物の日本の刃物を使いましょう。
オーダーすれば、希望に応じていろいろ作ってくれます。
私は毎年お願いしてます。
出来上がってきたのを見ると
ほれぼれしちゃいますよ。
もちろん使えばその良さはすぐわかります。

日本の鉄に興味のある方は
日刀保たたら
というキーワード検索してみてください。
刃物については
後日改めて記事にしましょう。

刃物に限らず鉄砲も鉄製です。
鉄砲は種子島に伝来しましたが
実は種子島には良質な砂鉄が採れる場所があったので
鉄砲の量産が可能になったそうです。

実は火縄銃の時代には
日本は世界で最も多くの鉄砲を
保有する国だったそうですよ。
驚きですね。

種子島には
鉄砲館
という大量の鉄砲を含む
種子島全般についての展示がある博物館があります。
お好きな方は機会があったらぜひ行ってみてください。

鉄製品の話をしていくときりがないので
この辺で終わりにしておきましょう。

道具の進化 青銅器編

土器の後は金属器ですね。

まず最初に出てくるのは
青銅器
ブロンズとも呼ばれる
銅と錫(スズ)の合金です。

日本で出土するのは
弥生時代から古墳時代にかけての
銅鐸や銅鏡、銅剣、銅矛
がよく知られるところですね。

出雲大社の隣にある島根県立古代出雲歴史博物館にて すさまじい数の銅矛が展示されてます

日本の場合
当初は青銅器が大陸から入ってきたのですが
そのタイミングが遅かったので
実用的な道具は
その後に入ってきた
鉄器に早々に置き換わってしまったようです。
なので
青銅製の実用品は結構少ないんですね。

そもそもの青銅器の始まりは
故意に銅と錫を混ぜ合わせたわけではなく
銅と錫の鉱床が近いことが多いなどの理由で
たまたま青銅だったりするそうです。

道具の材料としては
固い銅の方が錫よりも
優れているわけなのですが
問題は製造にあります。

銅の融点は 1,085°C
錫の融点は 231.9°C
これらの合金である青銅の融点は
この2種類の間の温度になるわけで
純粋な銅よりも低い温度で溶ける方が
作りやすいわけです。

しかしですよ
何でまたこんな材料を使い始めたのか
ってのが不思議なところです。

日本の場合は
まず製品として
形になったものが入ってきたのですが
最初に青銅を
実用的な金属材料として
使い始めた人は何者なんでしょうね。

だって、鉱石の状態を見たって
とてもこれから金属の道具が
作れるなんて思いませんよね。

さらに
鉱石から金属を取り出す方法は
一体どうしたら思いつくんでしょうか。

焚き火の中に鉱石を投げ込んだところで
金属はそう簡単に抽出できませんよ。

当時の人は
鉱石を砕いて粉状にした顔料で
化粧やボディペインティングをしていたので
その顔料がたまたま焚き火に入ったときに金属を発見した
なんて説もありますが…
そんなことあるのでしょうか。

まぁそんな疑問は残るにせよ
金属器の登場はこれまた凄い変化を及ぼします。

まずなんと言っても
木や石の道具に比べて扱いやすく修理しやすい。
例えば
刃物はいずれ刃先が鈍って切れなくなりますが
金属製なら研げばすぐに切れるようになります。
石器ではこうはいかない。

用途としては
農具、武器としての利用が多かったのでしょう。
あとは神事などに使う祭器ですかね。
どんな時代でも神事には
道具にせよ、建物にせよ
レベルの高い技術が使われることが多いですから。
日本の場合は
前述のような理由で
圧倒的に祭器が多いようです。

製造上の最も大きな変化としては
鋳物として製造(鋳造)できるので
型を作って思い通りの形で大量生産ができる
ということではないでしょうか。

これは凄いことですよ。
高性能な道具が大量に作れるのですから。

土器も型を作って同じ形をしたものを量産できますが
果たして縄文や弥生時代にやってたんでしょうか。
あまり聞き覚えがありません。

銅鐸にしたって
けっこう薄肉で大きいものを作ってますからね。
しかも大量に。

武器の場合は
強力なものを大量に作れる
ということで
恐らく争いごとの頻度と規模が
大きくなったんじゃないでしょうか。

テクノロジーが
争いに使われるというのは
最近に始まったことではないわけではなく
世の常なんですね。

道具の進化 土器編

石器の後は土器でしょう。

日本で土器の時代と言えば
なんと言っても縄文ですね。

みなさん
縄文は好きですか?
私は大好きです。

学校の歴史の授業で
縄文時代とか土器とかはサラッと触れますが
土器がどのように人類の生活を一変させたか
は習った記憶がありません。
いや、習ったけど覚えてないのかもしれない。
皆さんはどうですか?

土器で鍋などの調理器具をつくると
生活はどう変わるのでしょう?
今まで食べられなかったものを
煮たり焼いたりして食べることができるんですね。
米や麦なんかの穀物はそういった類いですね。

そういうものって往々にして保存が利くので
通常時はもちろん
獲物を捕ったり植物から採取することが難しい
冬とか干ばつの時期のために
食糧を蓄えておくことができる。

これは凄いことです。
土器ができるまで
そういったものは
食料にカウントされていなかったはずです。

なので
土器ができた途端に
食料が一気に増えたようなものです。

もう一つ重要なことがあります。
食料が不十分なときは
みんなが食糧確保のために動く必要があります。
自分で食料確保して
自分で家を建てて
自分で衣類を作るとか。

でも食糧事情が良くなって余裕ができると
土器を作る人
家を作る人
服を作る人
食料を調達する人など
特定の事に専念できることになります。
他人のために特定の仕事をする専門家の登場です。

専門家たちが生きるために必要な生活必需品は
他人である
他の分野の専門家
がなんとかしてくれる。

「食料は調達してきてやるから
お前は土器をバンバン作ってくれよ」
とか
「家作ってやるから食料くれよ」
みたいな感じですかね。

すると
生産者は一つのことに専念できるので
スキルが向上して
製品のクオリティが向上して
生産性も向上する。
結果、人口も増えて
ますます生産性が向上する。

これがそもそもの
仕事らしい仕事の始まりではないでしょうか。

石器時代にも
手間の掛かる石器を作るのが
得意な人はいたでしょうけど
土器によって大幅に
食料の余裕ができることと関連して
専門家が生まれることによって
ますます生活の質が向上して
人口が増えたのでしょうね。

それにしても縄文土器。
凄い形してますよね。
代表的なのは火焔型土器でしょう。
社会科の教科書にも出てますよね。
実物を見たときは驚きました。
想像以上に大きくて
凄い迫力です。

一見肉厚に見えるところは
割れ防ぐためか
ちゃんと肉抜きされていたりするんです。
加えて実用性を全く感じさせないところも驚きです(笑)
煮炊きじゃないんかい!
一体何のために作ったのでしょうか。

あとは
印象的なところで行くと遮光器土偶ですかね。
これまた凄い。
一体何をモチーフにして
どう考えたらこんなものができるのか。
こういうのって
よく神事に使われたと考えられる
とか説明されていることがありますが
単に人を喜ばせるための
エンターテイメント的なもの
かもしれないなとも思ったりします。
宇宙人モチーフ説もありますね。

いずれにせよ
誰もが作れたわけではなく
専門家の仕業でしょう。

八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館にて ここには遮光器土偶がいっぱいあります

土器にしても土偶にしても
青森県は素晴らしい縄文の遺跡のメッカです。
三内丸山遺跡なんて素晴らしいですよ。

大型掘立柱建物跡と呼ばれる
巨大な櫓
直径1メートルで、長さ10数メートルの
柱を立てた構造なんですが
金属器が無い
つまりノコギリが無くて
せいぜい石斧程度で
どうやってあの木を切って
どうやって運んで
どうやって建てたのでしょうね。

体育館のような(というのは大げさかも)巨大な竪穴式住居の右にあるのが「大型掘立柱建物」 もちろん両方復元です 柱の根元部分は出土した現物を見ることができます

あと翡翠のネックレスとかも凄いです。
翡翠はダイヤモンドの8割くらいの硬さがあります。
それを丸く小さく整形して
直径1ミリちょっとの穴が空いてたりします。
ドリルなんて無いのに
一体どうやったらそんなことができるのでしょう。

そんなことを考えていると
あぁ、我々は縄文人に比べて
あらゆることが進化している
なんてとても言えないなぁ
とか思ってしまうのです。