ゴールとポテンシャルとパフォーマンスの関係

希望があったらゴールを設定します。

ゴールを設定すると達成に必要なものが決まる。
どれくらい頑張らなきゃいけないか、とかです。
これをポテンシャルと呼んでおきましょうか。

それに対して現状の自分の性能、つまりパフォーマンスがあるわけで、ゴール達成のためにはポテンシャルとパフォーマンスの差を埋める必要があるわけです。

理屈で言えば、その差を埋めれば良いだけの話なのですが、ここに手強い要素が絡んできます。
時間です。

学生の場合難しいのは、卒業して就職するまでの時間の制約があることです。
就職は、大学生であれば3年生の終わりとか4年生の初め頃には決まってしまうので、ざっと3年という時間軸上に、ポテンシャルとパフォーマンスの差を埋めるためのイベントを配置しなければなりません。

ところが往々にして
「まだ時間があるから大丈夫」
と思って先送りしたり
「ぜんぜん時間無いじゃん」
ということになって諦めたり
って事が起きます。

「まだ時間があるから大丈夫」なのか?

先送りは、「今はやらない」ということです。
そう思った本人は、「いずれやる」ということを前提にそう思うのでしょうけど、大抵はうまくいきません。

理由は簡単で、今やらないのは、「どうしても今やりたい」というほど思いが強くないのです。だから先送りできる。
そして、「今はやらない」は、「今は」+「やらない」です。
果たして潜在意識のヤローは、「今は」の部分を理解してくれるのでしょうか。
たぶんヤツは「やらない」を受け止めます。

さらに困ったことに、「今はやらない」を実行すると、失敗と向き合わなくて済むので、その時点ではリスクを回避できます。
楽ちんで気持ち良いその行動は習慣化されます。

「ぜんぜん時間無いじゃん」をどうするか

これはもう自分次第。
まず、ゴールの内容や達成のスケジュールを変える余地があるかを確認しましょう。

どうやってパフォーマンスを向上するか

経験が不十分な学生の場合、「じゃぁ、勉強を…」となりやすいですが、これ、暗記してテストで書く、みたいなことでしょう?
それでパフォーマンスは必要なだけ向上しますか?
するなら良いです。

でも、仕事をする前段階での学びとして、いわゆる勉学だけできれば良いのかというと、全くそんなことはありません。
学力は、業務遂行に必要な能力のごく一部に過ぎないからです。
何が本当に必要なのかは、リサーチとか経験によって見積もる必要があるでしょう。

リサーチはどうする?

大抵はこうするかな。

  • 友達に聞く(本当にあてになるのか?)
  • 先生に聞く・親に聞く(希望職種の実務経験のある人はいますか?)
  • ネットで調べる(後述)

まぁ、色々やりようはあるでしょうけど、恐らく一番良いのは、希望する職に就いている本人と直接話すことです。しかも複数。できるだけ早期に。
時間が無くなったら、リサーチしてもパフォーマンスを向上することはできませんから。

仕事ってのは、同じようなことをやっているように見えても、どう思ってどうやるかは、結構人によって異なります。
なので、色んな人から話を聞くと良いですね。

「仕事は、言われた嫌なことを我慢してやるもんだ」

ということを言う人もいるかもしれません。
それ、アルバイトでしょう。
でも、そういう意識で仕事をしている人もいます。

希望職種の実務に就いている人を探すのは大変?
所属している研究室の卒業生を当たれば何人かいるのではないかな。
先生に紹介してもらったら良いでしょう。

そんなことをして、人と話すのは面倒?勇気が無い?
恐らくそれで諦めてしまうのは、ゴール達成がトッププライオリティではないからです。
自身に聞いてみましょう。
「自分は本当にこのゴールが欲しいのか?どれくらい欲しいのか?」って。

それほど欲していないなら、ゴールを変えるか、出たとこ勝負で成り行き任せですかね。

ゴールは自分の意思でセットしたものではないこともあります。
他人からの同意できない指示とか、情報に流されているだけとか。
そういった場合は腹を決められないので実行は難しいですね。
逆を言ってしまうと、情報のソースが何であろうが腹を決めちゃえば何とかなったりもします。

ネットで…は、あまりお勧めしません。
なぜかというと、文字にできる情報しか得られないからです。
動画があるって?
それでも不十分です。無いよりはマシかもしれませんが。

仕事は「思い」から発するものです。
価値ある仕事は特に。
なので、本人と会って話をしないと本当に大事なところは伝わりません。

楽をすることがトッププライオリティなら

ゴールを変えましょう。
もしくはゴールを捨てましょう。

ゴール達成がトッププライオリティなら

腹を決める必要があります。
ゴールとポテンシャルを変えないのであれば、決められた時間でパフォーマンスを向上する必要があります。

ゴールを決めたら…
そのためには何を、そのためには何を…
と、やることをブレークダウンして具体化しましょう。
それをタイムライン上に乗せていく。

すると、タイムラインの締め切りに間に合わなかったりします。
まぁ、よくあることです。

そこでの選択肢は二つ。

一つはゴールを変える。

もう一つはチャレンジです。
そもそも、こういったことをやること自体がチャレンジなのかもしれませんが、ゴール達成のどこかでキツイ、しんどい、無理なことをやる必要があるってことです。

まぁ、そもそも経験が無い者が立てた見積もりなんて、期待値に基づいていて精度が低いので、何かしら無理が出るものですけどね。

ただ、この見積もりを立てている状態での「キツイ、しんどい、無理」なわけで、これをやっていくうちに自身が成長しますから、あながち無理じゃなくなったりもします。

いずれにせよ、チャレンジにはリスクは付きものです。
ゴールへの接近と何をトレードオフするか、って話です。
リスクが無いチャレンジは、チャレンジではありませんから。

でも大丈夫。
何が起きようと、チャレンジするプロセスにおける経験は、きっと未来に役立つし、世はチャレンジャーを求めているのです。

あなたが会社の就職担当者だったらどう思いますか?

大学でどんな経験を積んだところで、実務をバリバリこなしているプロから見たら、所詮は素人です。
なので、そんな素人に求めるのは「期待値」だと言っても良いかもしれません。

素人だって、プロに期待させるくらいのことはできますよ。
チャレンジしていればね。

価値の本質は人にあり

機械的なのはダメってことです。

例えばこういうことです。

リアクション(だけ)ではなく
アクションにこそ価値がある

とか
メモリーに(脳に知識を)突っ込んで、それを取り出すことではなくて
新たなものを創造することに価値がある

とか
言われたこと、決められたこと(だけ)ではなく
言われてもいないことに価値がある

とか
確定されたものでは無く
不確定なものの中に価値がある

のようなことです。

これらはすでに価値あることですが、これからますます価値が高まるでしょう。

AIの登場とロボットテクノロジーの高度化で、機械的なものがよりコモディティ化して価値が低下します。
となると、テクノロジーでは不可能なものの価値が上がってくるのは必然でしょう。

価値、価値言ってますが、お金に限ったことでは無いですからね。
お金は価値を数値化したものであって、本質ではありませんから。
この場合は、仕事の持つ価値、それを生み出す人の存在価値と言ってもいいかもしれません。

いずれにせよ確かなのは、AIにできることを自分の価値の中心に据えてはならない、ということです。シンプルですね。
もちろん、どうするかは自由ですが。

知識や学力そのものとか、技術そのものに価値があるとされてきたのがこれまでで、これからはその本質的な部分にフォーカスすべき時が来たのかもしれません。

「それ、何のために必要なの?」
ってな具合に。

そのために勇気を持ってチャレンジする。そんなことが手段として必要になるでしょう。
というか、これこそが最重要なのかな、とも思っています。
少なくとも我々夢工房にとっては。

家内制手工業の時代から、産業革命に移行したように
単にソロバンの世の中に電卓が登場したように
そんな状況とは異なりますか?
いや、一緒か?

実用的なAIの登場は、人の価値観について見直す契機になったと思います。
そういう意味ではとても良いことだと思っています。

そこに「思い」はあるかい?

「思い」について書いた記事、結構沢山あることに気付きました。
が、書きます。

なぜかというと、あまりにこの「思い」が軽視されている気がするからです。

大学や職業の選択でも良いし、もしくは仕事でも趣味でも良いのですが、何かを選んだりやったりする、その原点にどれだけ強い思いがあるのか?
それはとても重要なことです。

だって、それによってやり方も成果も大きく違ってくるからです。

でも、そういったことはあまり考慮されていないのではないかと懸念しています。

何かを成し遂げるには、まぁゴールに到達するには、と言っても良いと思うのですが、まずは「思い」が必要です。

「思い」によってゴールの設定がなされて、「思い」によって考え、「思い」が駆動力となって行動する。
「思い」は、熱意とかパッションとに読み替えても良いですが、うまくいくのはそういう構造になっているときです。

当たり前ですが、この「思い」が弱かったり、もしくは無かったりするとうまくいきません。

「いくらなんでも無かったりなんてことは無いだろう?」
と思いますか?

あり得ますよ。
言われた事に従うことによって生きてきたら、十分あり得ます。
もちろん、自分ではそうなっているなんて考えもしないでしょうけど。

例えば、親や先生に「この学校へ行け」とか「この会社がお勧めだ」みたいなことを言われて、従順に従うようなケースはあり得るのではないでしょうか。
そこまで極端で無いにしても、「これからの技術トレンドはコレ!」みたいな情報に踊らされて、自分の将来の方向性を決める場合も似たようなものでしょう。

そういった行動原理によって行動する場合、恐らく仕事をしてもクリエイティビティとかオリジナリティは発揮できません。

「そんなの勉強できれば問題無いだろ」
と思いますか?

そもそも、「思い」も無いのに勉強ができるようになる動機があるのかってのも疑問ですが、仮に、できるようになったとしても、創造性とか独自性を発揮する原動力にはなりません。
言われたことはしっかりやろうとするでしょうけど。

でも、言われたことをやったり覚えたりするのはAIの得意技で、奴らは凄い勢いで進歩しています。ロボットのテクノロジーもしかり。
もう悠長なことを言っている場合ではありません。

仕事が奪われる、などという恐怖を動機にせざるを得ない世の中になる前に、我々人間だからこそ、という部分を強化して、楽しく明るい未来を作らねばなりません。
そう考えれば、AIもロボットも便利な道具であり、ドンドン利用していくべきです。
特に、弱点の補強とか、面倒な単純作業とか、そういったものは特に。
AIが得意なこととか、AIには敵わないことをやったり覚えたりしている場合では無いのです。

じゃぁ、もっと難しいことをするのか?

しても良いです。
その先のことをやるってのも戦略の一つかもしれませんが、それが全てでは無いし、そういうのは凄く頭のいい人達に任せておけば良いと思います。

我々は、夢とか勇気とか、それらによるチャレンジとか、そういった路線で行きます。
そういったものは、いつの世でも貴く価値あるものですから。

興味のない人から見たらバカみたいなことかもしれませんが、そういうのって表裏一体ですからね。