同じじゃない方がいいのです

昨日の記事
別に自分をジャッジする人のために生きているわけではないでしょう?
と書きました。

でもこれ、結構難しいかもしれませんよね。

学校の成績や組織における評価など
自分に対する評価は外的なものです。

これを無視すると
学校を卒業できないとか
会社で昇給しないとか
そんなことになりかねません。

極端なことを言うとそんな感じですが
学校でも会社でも
最低限やるべき事はやる必要があるわけで
それはやりましょう。

ここで言いたいのは
評価のものさしを100%まで満たすことに全力を使い切っちゃうのではなく
何か尖ったものや振り切ったものを持ったり
自分のこだわりや感性に従うのもアリですよ
ってことなのです。

これは自分の生きる上での戦略ということになるでしょう。
でも、そうなってはじめて自分の人生になる気がします。

だって、人の評価指針だけに沿って行動していたら
それのどこが自分の人生なのでしょうね。

そうなると
多くの人が当たり前のようにやっていることではなく
自分が信じていることを自分が信じているやり方でやる
ということになるのでしょうけど

これは程度によって
どういうフィールドで動くべきかが決まると思います。

徹底的に行くなら組織ではやっていけないかもしれません。

でも、やりたいことに大きなリソースが必要なら
その方向性にあった組織を探して
その中で動く必要があるでしょうね。
言ってみれば妥協でしょうけど
カッコイイ言い方をするなら
トレードオフってことになります。

また、すでに組織に属しているなら
仕事を自分のモノにしていくのがいいでしょうね。
努力や工夫によって価値を高めていく
といったようなことになるでしょう。

もちろんどんなフィールドで
どんなやり方をするにせよ
自分のものさしを持って(作って)
仕事は自己満足にならずに外に向いている
その辺は大事でしょうね。

皆が同じようなことをやる

学校ではそれでもいいのかもしれません。
(全く面白くないけど)
でも、社会でそれをやっちゃったら
一体誰が喜ぶのでしょうね。

…ということは
社会に出る準備としての学校だって
同じ事ばかりじゃダメなわけですけどね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です