できるってどういうこと?

学校で勉強していて
できるだのできないだの
という話になりますが
一体「できる」というのは
どんな状態になれば良いのでしょう。

勉強が「できる」
高校生までなら
それでもいいかも。

でも、大学ともなると
その先は社会に出るわけで
そうなると
世のお役に経つための最終準備段階なわけです。

え?
自分は世の中の役に立とうなんて思ってないって?

いやいや
何かしら仕事するって
自分以外の誰かのためにやる
ってことですから。
じゃないとお金もらえないでしょう?

というわけで大学では
他のために価値を生み出す
その準備ができるかどうかってことでしょう。

社会が安定していて
余裕があるなら
学校で勉強だけやって
その後は会社にお任せ!
でも良かったのかもしれませんが
これからは、そうはいかんでしょう。

テクノロジーてんこ盛りの昨今では
基礎的なことに加えて
膨大な応用的な知識が必要ですから。

大学にいるうちに
社会に出て通用するような価値を
生み出せるようになれれば
それが一番なんでしょうけど
なかなかそうはいきません。

とはいえ
何かしら価値に繋がりそうなものを
得られると良いですよね。

学校では仕事に必要な「要素」
としての勉強をしています。

授業で得た知識を使って
そのまま仕事として成立するかというと
そんなことはない訳です。

そんなことは先生はもちろん知ってるでしょうし
社会に出て仕事している人にとっては当たり前です。

例えば
材料とか力学の成績が優秀で
製図の授業で良い点数を取っていたら
良い製品を設計できるでしょうか?

そんなことありえない。

そうだなぁ、例えば
ガチャガチャのカプセルみたいな
容器ひとつ設計できませんよ。
たぶん。

100円ショップの製品だって
自分で買ったら馬鹿にするかもしれないけど
設計はできない。

まして実用的なメカとか
乗りものなんて無理です。

だから授業のレベルを上げろ!
ったって多分無理。

レベルの話ではなくて
どのように本人に「入力されるか」だと思うのです。

必要な知識や技術は膨大ですし
以前にも投稿した
実践知(暗黙知)などは教科書では学べません。

外部からの入力では
すぐ限界が来るでしょう。
そりゃぁ、教える方も教わる方も。
時間的な限界もあるし。

恐らくその先の世界は
自分が執着心を持って取り組まないと
身に付かないと思います。

要は動機です。
外発的な動機(やらされる)なのか
内発的な動機(自らやる)なのか
そこが最重要で
外発的動機で
無理矢理突っ込もうとしても無理でしょう。
入りきらない。

内発的動機があるなら
自らどんどん取りに行こうとします。

本当は、そういうテーマが学校にあると良いのでしょうけど
色々としがらみがあって難しいようですね。

それに、学生に
「好きなことやっていいから、ガンガン行こうぜ!」
と言うと
恐らく半数くらいは(ヘタすると半数以上は)
「え~、めんどくせー」
と言うし
できるだけ手を抜いて楽なことをやろうとします。
もちろん、教員側も
「めんどくせー」
って言うでしょうね。

だって本当にめんどくさいもん。

なので、今現在は
授業で内発的動機を刺激して
何か面白いことをやろう!
本格的なことをやってみよう!
みたいなのは成立しないかもしれません。

多分、「授業」という形で教えることの限界は
こんなもんでしょう。

でも、そんな現状を何とかしたいんですよね。
面白くなるように。
面白くなかったら無理ですもん。

なので、最初は
「めんどくせー」
とか言われたりするんですけど
ボチボチやっていきますよ。

もっとも夢工房の活動はそういう世界じゃないので
なかなかエキサイティングです。

授業で車の作り方を教えるなんて無理です。
設計から製作、運用まで
そんなの無理。

でも、ヤツら教えなくても自分で学んで
やっちゃいますからね。

自分たちから進んで海外遠征行きたがるし。
あんなの超めんどくさいのに。

なので、「良い形」を作れれば
できることは分かってるんですよ。

まだまだ工夫が必要です。

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