
何となく日々思うのは、勉学していればなんとかなるというのはすでに終わっているということ。
この場合の「勉学」とは、定型的な知識を頭に入れることや、問題を解くようなことを指します。
要は、目的無しにそういったテストの問題の解答を導き出すようなスキルを高めたところで、あまり役に立たないよね、ってこと。
いいところ、受験をクリアしたり、学校を卒業するところまででしょう。
実際のところ、そういったいわゆる勉学のスキルに要する能力に、実社会で要求されるような頭の使い方が必要とされるかというと、そんなことは無いです。
どうも同じ「考える」といっても…
問題を解くのは、一つの答えを導き出すといったことをします。
これと
想像力を用いてクリエイティブに考えるってのは、どうも違う。全く違う。
両方とも「考える」なのですけどね。
問題を解くスキルが高いからといっても、創造性や想像力が高いわけではないのですよ。
頭の使い方がかなり違う。
なので、クリエイティブなデキる人って、問題を解くようなお勉強の結果、そうなったような気がするかもしれませんが、違います。
うーん、うまく言えません。
恐らく決定的に違うのは学びの姿勢であって、目的が無いままに言われたことをやったり覚えたりするのって、やはり単なる作業的なスキルになっちゃう。
それは当然だと思う。
対して、興味を持ったことに対する追求などでは、得られるものが全く違うのです。
興味を持ったことの裏側には、それこそ無数の理論や学問があるのですが、それを能動的かつ自発的に取りに行こうとする中で得られるものがあるのであって…それは受動的な勉学とは頭の使い方が全く違う。
なので、興味を持ってから学ぶべきだと思うのです。
乱暴なことを言わせてもらうなら、何に使うか分からない知識を沢山詰め込もうとすると、自発的にやるためのリソースを圧迫するだけであって、まさに百害あって一利なしの状態になりやすいのではないでしょうか。
そんなことを思ったのでした。