政治家とか芸能界のスキャンダルが世を賑わせたりしていますね。
詳細は知りません。
そんなニュース、あまり興味が無いので。
だって、今やってることの役に立たないし、時間の無駄ですから。
でも、気になるのは、そういうスキャンダル系のニュースって、当事者はいわゆる「吊し上げ」状態になるわけですよね。
まぁ、それなりのことをやっているのだから仕方ないのかもしれませんが、そういう情報に触れると心が守りに入っちゃいませんか?
そうならないなら良いですけどね。
そういうニュースは、「良くないこと」つまり「失敗」をネタにして吊し上げるわけですが、その報道によって、見ている側がより失敗を恐れて無難なことをするようになるのではないかな?というのが気になるところ。
無難なら結構なことじゃないか
と思うかもしれません。
でも、成長過程の若者だけに限らず、皆が無難を追求して守りに入ってしまったら、実につまらない世の中になります。
一応言っておきますが、悪いことは悪いわけで、行為自体を正当化するつもりはありません。
気持ちが萎縮してしまうことを懸念しているのです。
失敗しないことが成功じゃ無いので、いくら無難なことを積み重ねても、成功しないし面白くならないのですよ。
夢工房で学生達が作るレーシングカーなんかを例に取ると分かりやすいですよ。
とにかく壊れない無難なものを作ろう!
とかやっちゃうとするでしょう。
最初はそういうのをやりがちだと思いますが。
それ、何回繰り返したら勝てるクルマになるのでしょう?
なるわけありませんよね。
性能面だけでなく、気持ちの面も重要です。
守りに入った無難なところからスタートするのは、そうしたい気持ちがあるからです。
守る気持ちは、どれだけ強化したら攻める気持ちに変わるのでしょう?
そうなっちゃう理由はともかく…
そう、「ともかく」です。
原因は大事なのかもしれないけど、それが何であれという話だから。
勝つためのクルマを作るのは、それに必要なマインドがセットされていないと無理なのです。
そこに向かうわけ無いから。
方向が違うのです。
「無難」の先に「勝利」があるわけではない。
それらは同じ軸線上に乗っていないのです。
学校にいると勘違いしがちだと思います。
「できるコ」は「良い子」でしょう?
周囲の手を煩わせないという前提の先に「できる」があったりしますから。
でも、凄いことを思い付いて実行するヤツは、変態の馬鹿野郎だったりするわけですよ。
失敗を恐れずリスクを取って突き進む
勇気が必要です。パワーとスピードも。
親や先生からは嫌われそうですねぇ。
勇気とパワーとスピードを兼ね備えた変態の馬鹿野郎、手に負えませんもの。
ま、キミは何が欲しいんだい?って話なんですけどね。
おっと、キミの正義は何なんだい?ってのも大事ですよ。