経験と想像力の重要性

今年はいよいよ学生の活動が本格的に再起動しそうな気配です。

夢工房では、以下の3つのイベントに参加予定です。
惑星探査機のイベントが9月にアメリカのネバダ州で
燃費競技のイベントが10月に栃木県の茂木で
レーシングカーのイベントが12月にオーストラリアのビクトリア州で

あら、9月のアメリカなんてすぐじゃないですか!

そうです。
もう飛行機から宿、レンタカーなど
全て予約済みで準備完了です。

こういうイベントに参加するに当たっては
往々にして直前が慌ただしくなるものですが

我々の場合は、ものを考えて作るところからやっているので
全ての工程のしわ寄せがイベント直前にやってきます。

本当は、そんな事態にならないように
計画を進めるべきなのですけどね
いかんせん学生の活動なので
色々やって、現実の厳しさを味わいながら進めるもので
どうしても土壇場で慌ただしくなりがちです。

特に今回はコロナ禍があったもので
なかなか厳しい状態です。

何が厳しいかって
”もの”が思った通りにできないのです。

欲しい品質、性能が
欲しい時期に間に合わなくなりがち
ということです。

何せ経験者が少ないのですね。
今の4年生は1年生の時にそこそこ経験があるのですが
3年生以下は実体験があまりに少ない。

我々のようなプロジェクト活動を進める場合
ゴールを考えて
到達のための計画を立てて
それに沿って進めるわけですが

そもそも当事者の経験が少ない場合
ゴールを決めても
そのために必要なことの見積りが立たないのです。
先の想像ができないのですね。

まず想像の範囲が狭い
そして思った通りにならない

だって経験が不十分なんだから当たり前です。

別にここで泣きを入れたいわけでも
言い訳をしたいわけでもなくて

こういう状態になって改めて
経験と想像力、そして風土の重要性を実感しています。

継続的に活動していると
ある程度の経験は自然と身に付いてしまうものですが

それは環境が保たれていたからこそ
自然と起きていることで

それが当たり前になっている状態で
風土が変化すると
重要性に気付けないのですね。

経験者にとっては当たり前なことでも
新人にとっては全く理解できない
そいれは当然です。

今までは部屋の風土がそれを支えていたのですが
経験者はそれに気付けなかったりします。

あと、想像力の重要性も
改めて実感したことの一つです。

チームとして未来に何を見ているかとか
各人が一つ一つの作業の先に何を想像しているかとか
そういうのって対面で経験を積んでおかないと
うまくいかないですね。

オンラインだと視覚的に提供できる情報が中心になるので
ビジョンとか想像力とか
頭の中でモヤモヤするようなことはカバーできないのですね。

これは大変勉強になりました。

コロナで大変になっていた時期は
オンラインで頑張っていて
それはそれで成果が上がっていたのですが
やはり対面じゃないとできないことはあるわけで
オンラインで代替ってわけにはいかないですね。

恐らく企業の皆さんもご苦労されていることと思います。
本当の苦労はこれからだと思いますが
頑張って下さい。


仕事も世の中も良くしましょう

どうしたら日本はもっと良い国になるのかな
なんてことを
たまに考えたりします。
みんなするでしょ?

そういうのって別に政治家の専売特許じゃなくて
国民が頑張って変えていくことですものね。

偉い人に
「やれ」
って言われれば
そりゃぁやるかもしれないけど
そんなの面白くないですし
専制の独裁国家じゃないのですから。

たぶん
どうしたら良くなるかという
答えは実は出ているというか
実は皆が分かっているけど
なかなかできない
ってところではないかと思っています。

個人の能力に偏重している
というのは
分かりやすく言ってしまえば
自分のことばかり考えている
ってことでしょう?

そうすると問題が起きます。

他との関係で悩むのですね。

だって、自分のことばかり考えているのだから
周囲との関係が難しくなるのは当然でしょう。

で、守りに入って
ますます自分のことばかり考えるようになって
最終的には行き場がなくなる。

これ、今の国際関係を見ていても明らかですよね。

それに加えて
自分のことばかり考えているのだから
組織力を活かした成果を出せなくなります。

これは、最近の職場事情を見ればお分かりでしょう。

自分の能力は
自分にアサインされた狭い範囲のことを処理するために使うものだとお思いでしょうが
そればかりじゃ組織はうまくいかんでしょう。

この「能力」は
教科書に載っている形式的な学力のような「知識」も含みますが
色々な経験から得られる「知恵」のようなものも含みます。

組織力を活かせないなら
個人の力で勝負
となるわけで

そうなると規模の大きいことはできなくなります。

自分のことばかり考えて
自分のためのことだけやる

これって
我欲とか恐れとか
本能的なところに根ざしていると思うのです。

なので
その調子でやっていくと
最終的に自分のためにすらならないのですけどね。

以前に記事にしましたが
犯罪者の心理は
「今、自分だけが良ければいいのだ!」
です。

「自分だけがリッチになれれば良いのだ!」
は、あまり異常ではないように見えますが
犯罪者の心理の時間軸が変わっただけです。

なので、そういう価値観でやっていると
せっかく一所懸命勉強したところで…
ということになるかもしれませんね。

そうそう!
冒頭で言った
「実は皆が分かっているけど」
ですが

いわゆる道徳とか
そういうのが世の中を良くしていくために
基本的かつ致命的に大事なこと
だったりすると思っているのです。

そういうのって
昔からの我が国のストーリーには沢山出てきますものね。
だから皆が知っているはず。

でも、シンプルなだけに難しかったりするのかな。
ホントにそんなんで良くなるの?
と。

でもまぁ、若いうちなんてのは
多くが自分のことばかり考えているもので
色々経験しながら、そこからどうしていくか
というのが成長なので
ジタバタやればいいと思うのです。

こんな偉そうなことを書いている自分だって
まだまだ未熟で
日々、「いかんいかん!」
と修行しているわけですよ。

仕事のビジョン

将来、どのように仕事をしている自分を想像しますか?

例えば、設計者だったらPCの前で一人でコツコツと?

うん、そんな想像をしても仕方ないとは思う。

でも、いろんな部品で構成される
大きな製品の開発をするのであれば
そんなふうにはなりませんよ。

例えば、自動車の開発だったら
車体を構成する各パートの設計者だけでも相当な数がいます。
そもそもパートそのものもいっぱいありますしね。

テスト部門や試作部門も
それぞれ相当な人数です。

で、設計者は
考えて図面を描いて
下流工程に流せばいいって思ってませんか?

甘い。

周辺のパートとの調整はもちろん
試作現場やテストのフィールドからの
フィードバックの反映なんかはあるし
事務系の人にもお世話になります。

今回は
車の設計に限らず
大抵の仕事は一人では成立しないんだよ
ってことが言いたいのです。

「自分のパートさえ良ければ」
「言われた通りに仕事を流せば」
なんて思いがちだったりしますが
そんな自己満足な仕事で
果たして良い製品が作れますかね。

最低限のものはできるかもしれませんが
最低限の成果では面白いことは起きません
面白くないのに良い仕事はできません

やり甲斐を持って楽しく良い仕事をするなら
関連部署と密に連携を取りながら
周囲の仕事の中身を見ながら
彼らのやりやすいように
自らの仕事を進める必要があります。
で、お客さんに喜んでもらうのがゴール。

どの部署に行っても、どの段階や工程でも
そこには人がいるわけですよ。
仕事を回しているのは人ですから。

仮に設計だからといっても
別に数字や形状と向き合ってれば良いというわけではなく
人対人が基本なんですよね。

なので
共通の目標を持ったチームの中で
自分がどんなふうに立ち回りたいのか
そんなのが将来の仕事のビジョンになると良いのではないかと思います。

とはいえ
学生って意外なほど仕事の中身を知る機会が無かったりするのですよね。

夢工房でやっているのは
開発現場の縮図なので
レベルや規模の違いこそあれ
かなりリアルな経験を得られるのではないか
と思っています。

というか
そうせねばならん
と思っています。