やりまくれ

昨日の記事では
考える
決める
やる

のサイクルを回すために
「決める」というところにフォーカスしてお話ししました。

今回は
「決める」

「やる」
のお話しです。

大学に来るような若者は
考えるのが好きなのでしょうか。

「考える」
の部分が長くなりがちです。

まあ、大学に来るくらいですから
考えるのが好きな学生も多いのだと思いますが

考え方が分からない
というケースも多いと思っています。

というのも
目的が明確化できなかったりするからです。

そもそも、目的を持って何かをする
という経験が少なすぎるのではないかな。

ゴールを決めて
そこから必要な要素に落とし込んでいく
という経験がほとんど無いのでしょう。

目の前に単発の課題を出されて
それを解いていく
そんな経験ばかりなのではないかな。

なので、考えるときは
最小の要素からスタートしたりしがちですが…

そもそも、「何のため?」というのが
考えられていないので
落としどころが無いのです。

これ、何度も似たような記事を書いていますが
ものをつくるとき
そのために考えるときに
最小単位からなんてスタートしちゃイカンのですよ。

製品を作るために
構成する最小単位から
例えば
まずはボルトから
なんて設計しません。

そんなことをしてしまったら
製品の最終形態なんて
完成するまで分かりませんよね。

「やってみたら、こんなんなっちゃいました」

そんなのはありえません。
逆です。
最終的な「ありたい姿」から
そのために必要な小さなことに落とし込んでいきます。

けど、それを知らなければ仕方ないとも思います。

「基本」とか「基礎」とかいって
小さいことからやる経験しかしていなければ
そりゃぁ仕方ないでしょう。

もちろん、基本・基礎は大事ですよ。
でも、その使い方は知らないままではないかな。

全体を成立させるために
基本・基礎を使うのです。
言ってみればそれらは
製品を構成する最小単位のようなもので
何もそれを使わなきゃいけないわけでもない。

全体を形づくるために必要なら使えばいいし
他のやり方に変えてもいいし
不要なら使わなくてもいいのです。
自由です。
自分で決めていいのです。

長くなってしまいましたが
そもそも考え方が逆なので
どうしたらいいか分からない
なんてことがよく起きます。

なので「決める」というプロセスに行けない。
そりゃそうでしょう。

失敗を恐れるから
なんてのもあるかもしれませんがね。

ものごとの上流、全体から判断して
そのために必要なことを決めてしまいましょう。

さて、その後はやるだけです。

ただ、スピードを重視しましょう。
時間を軽視すると
経験の数が最低限になってしまうのはもちろん
ヘタすると、やっている事自体に意味が無くなって
そもそもなんでやってるのか?
なんてことになってしまったり
やる事自体に飽きてしまったりすることもありますので。

もちろんそれは
考える
決める
やる

の全てのプロセスにおいても同様です。

個人的には
やりもしないことをいつまでも考えていても
分からないものは分からなかったりするので
「やる」
を最優先に
ものごとを組み立てていくことをお勧めします。

どうしたらいいかよく分からなかったら
まず何かやってみる
というのもアリです。

その結果から分かったことをベースにして考える
そういうやり方は決して間違ってはいません。

授業の「実験」なんてのは
本来そういうプロセスの一部のはずなのですが
どうも実践には役立てられる気がしないでしょう?
現実と教育が乖離しちゃってるのでしょうね。

決めまくれ

オープンキャンパスなどでも見られる傾向ですが
どうやら最近は、親が子供に介入しすぎるようです。

もちろん、親は子のためを思って…です。
それは分かっています。

そな偉そうなこと言う私の世代だって
しょうもない問題や特徴があったわけで
別に偉そうに批判したいわけではないのです。

それぞれの世代には
それぞれの特徴があって
ダメなところを修正するのではなく
ダメなところを理解した上で
ひっくり返せば武器になるよね
という話なのです。

さて、今回の
「親が子に介入しすぎる」
ですが
「過保護」
とか言っちゃえばそれまでで
その先に展開しません。
「そこで何が起きているか」
が重要なのです。

さて、オープンキャンパスなどで
よく見かける光景は
親子で来訪して
親御さんの方が本人より熱心に見て聞いている
という感じなのです。

個人的には
説明に食い付いてきてくれる親御さんと話すのは
大変楽しいのです。

でも、その後にどうなるかというと
たぶん、親御さんが強大な決定権を持つのでしょう。

もちろん我が子を思ってのことです。
我が子に成長して欲しくて
失敗して欲しくないのでしょう。
当然でしょうね。

これは、見ようによっては
間違った選択をするよりマズイことです。
ぶっちゃけ、良い選択をしてあげて
失敗しないよりマズイことです。

なぜか?
それによって何が起きるか?

理由は色々ありますが

考える-決める-やる-失敗して行き詰まる-頑張って乗り越える(以降繰り返し)

の成長のループを自分の力で回せなくなることです。
自分で成長できなくなるということです。

本人は考えなくて良い、決めなくて良い
ということになると
自分が自分の人生の主役でなくなります。

以前ある方から
「親は子供を教育できないんだよ」
と聞いたことがあります。

その時は
「そんなことはないだろう」
と思いましたが
親が子のためを思う行動
今回のような過保護な行動を考えると
納得できます。
皮肉な話です。

かなり極端な表現をしてみましたが
簡単に言うとそういうことになると思います。

これは親子関係に限った話ではありません。

先生と学生の感性も同様です。
先生が学生のためを思って考えてあげる・決めてあげる
というようなことをしても同じ事が起きます。

いずれの場合も
言われたことを素直に聞いて従えば
「良い子」
という評価を得られるので
一見、誰も損していないように見えますね。
でもそれ、本当ですかね?

まだまだ類例は挙げられますが
それはこの辺にしておいて本題です。

自分で決める力が十分でないな
と思ったなら

決めまくればいいのだ

という話です。

ただし、そんな自分に気付いていることが前提となりますが。

とにかく小さな事からでも良いのです。
日常生活のことでも何でも良いので

考える
決める
やる

を意識的にやりましょう。
今まで何となくやっていたことを再確認して
とにかく意識的に

考える
決める
やる

その結果を自己評価して
次はどうするか考えて決めて…

そうするだけです。
それだけで
自分で決断できるようになります。

その決断の質とか内容とか
そういうのは経験によってしか磨かれないので
経験の数を稼ぐために
サイクルを構成するそれぞれのプロセスは
できるだけ短くするようにしましょう。

知識によって判断する
というようなことは
これとは別な話で
それだけになってしまうと
価値は最小限になります。

ここで言っているのは
答えのない世界の話です。
新しいことにチャレンジするとか
そういう話です。

簡単に言うと
腹を決められるようになる
ということなのですが
これができれば強いです。
後悔はしなくなります。
経験がないとヘビーかもしれませんが
やるだけの価値はありますよ。

好きなことをやったらいいよ

学生から就活の相談を受けて思ったことがあります。
夢工房の学生ではないのですけどね。

親や先生からは
「今まで学んだことを活かして無難な就職先を選ぶべき」
と言われるそうです。

まぁ、ウチは工科系の大学なので
それを活かすのが良いのは当然でしょうし
時期も時期ですからね。

それでも本来自分が好きだったものとか
やってみたかったことがある
というのが今回のケース。

まぁ、もっと早くから
そういうのを表に出して
好きなことに着手しておけば
何も問題無かったのでしょうけど

「良い子」には難しいのですよ、そういうの。
周囲の期待に応えようとするし
変なチャレンジしたりすると
みんながビックリしちゃうでしょう。

小さい頃からそういうやり方をしていたなら
成長して変なチャレンジしても
周囲は驚かないでしょうけどね。

で、「良い子」でやってきて
そのままで行ける場合と行けない場合があります。

我慢してやってきたけど
本当の自分を抑えてうまいことやろうとしても
どうにもならない時が来てしまう場合があるんですね。

本人は一所懸命やってるつもりでも
結局は自分のやり方、自分の価値観じゃないもんで
無理が来ちゃう。

就活の時期になって
そういう状態になっちゃうのは
なかなか厳しいものがありますが
しょうがないですよ。

なので
「悔いが残らないように
好きなことやったらいいよ」
というのが結論。

もちろん当人に話したのは
それだけじゃなくて
もっと深い話もしたのですが
その辺は後日、色んなネタに織り込んでいきましょう。