我々は成長したい。
これは現状に対する否定…かもしれない。
少なくとも、現状に満足していないから。
なので、成長するということは、現状からの変化に他ならない。
「今どうなのか」は大事かもしれない。
これは基準になるから。
でも、「今どうなのか」によって、未来が確定するわけではない。
未来は不確定で、「どうするか」によって「どうなるか」が決まる。
それは自分次第だから。
「どうするか」は自分で決められるはずなのだけど、意外なことにそれを放棄していたり、他に委ねてしまうことが多い。意外なほど多い。
これは無意識で行われているので、それこそ自動的にそうなっていることが多い。
それに、生きる上で必要になること全てに対して「どうするか」を自分で決めるというのも面倒で大変。
これを他が自動的にやってくれるのが、進んだ文明とか技術の進歩ということなのでしょうね。
ただ、全てを手放してしまうと生きる意味がなくなってしまう。
なので、何かにフォーカスして「どうするか」を考えたら良いでしょう。
さて、この「どうするか」ですが、それは「どうしたいか」によって決まるわけで、それはもう理屈ではなく、感情とか気持ちとか思いとか、そういったことになるわけです。
なので、この「どうしたいか」を磨くというか、発動するというか、それは思いのほか大事で、それによって未来が決まるというのに、そのための「場」が無かったりするのです。
これは大変です。
学校なんかだと、どうしたいかなんて関係なくて、正解とか不正解とかそういう話になるので、そもそも自分で考えて決める必要なんて無いわけですよ。そういうのが必要無い環境です。
「どうしたいか」なんてのは、考えて「分かる」ものでは無いでしょうし。
でも、知識や技術は思いを遂げるためにあるわけで、そもそも思いが無ければ、そんなものは必要無いのです。
どうしたら良いか分からなくなっちゃうことってたまにあるでしょうけど、そこで迷走しちゃうのは、「どうしたいか」が無くなっちゃっていたり、それが変な方向に向いちゃっていたり、そういうことなんじゃないかな?なんて思うのです。