文明が発達したところで基本は同じ

ウクライナとロシアの紛争
というより戦争ですが
多くの情報が得られるので
当然色々考えるわけで

文明が発達したところで
争いは無くならないのだなぁ
なんて日々実感しているのです。

今日はそんなお話しです。

争いが無いのが理想なのであれば
大変参考になりそうな文明があるのを知っていますか?
皆さん知っているはずです。

その名は
縄文時代

遺跡を発掘すると人骨があったりするのですが
ほとんど争った形跡が無いのだそうです。
骨に鏃(やじり)が刺さった痕があるとか無いとか
そういうのを見ると分かるのですね。

そして、それが約1万年以上続いたのです。
驚きの長さです。

狩猟や採集が食生活を支えていて
集落で集団生活をしていたけど
この頃は大規模な農耕はありませんでした。

小さな集団が孤立して生きていたかというと
どうやらそんなことはなくて
多くの遺跡からは遠方の産物が発掘されていて
全国的に広範囲な交易があったことが確認されています。

争いは無いし
意外と色んなものを食べていて
食生活は豊かだったのではないかと見られていますし
土器や土偶を見ても
かなり頑張っているというか
クリエイティブというか
結構レベルが高いのです。

でも良いことばかりではありません。

当然ながら
小さな集団の単位で生活しているので
あまり余裕はなかったでしょう。

その証拠に
後の時代に比べると人口は少ないのです。

この時代の余裕は何かというと
主に食料ですね。

食料の余裕は人口に直結します。
食べないと生きられないので当然です。
特に出生率とか乳幼児の生存に効いてきます。

その後の弥生時代になると
大規模な水田が発掘されることから分かるように
米を作るようになって余裕が生まれます。
人口は爆発的に増加します。
食糧不足による命の心配もせずに済みます。

なんで米で余裕ができるかというと
備蓄が効くからです。
それがある間は飢える心配をする必要がなくて
食料以外のことに労力を割くこともできます。

水田には
広い土地と大量の水が必要なので
争いも起きるでしょう。
何せ食料が増えて人口が増えて
それを維持するために
もっとリソースが必要になって
争うだけの余裕もあるわけですから。

この争いは
「彼ら」と「我ら」の戦いです。
自分の部族ために
他の部族を屈服させて利を得るわけです。

戦わなければ自分達の存続が危ういということもあったでしょうが
「(自分達が)もっと欲しい」から戦ったこともあったでしょう。

人口が増えれば
より大きなものが必要になったり
大きなものを守る必要が生じて
戦いの規模も大きくなるでしょう。

そんなことを考えていると
いくら文明が発達したところで
いや、発達するからこそ
争いが起きるのだよな

とか

人の欲は恐ろしいな
なんて思ったりするのです。

余裕が無くても余裕があっても
問題は無くならないのですね。

時代が変わると
価値の重心点が動いて
得るものと失うものが変わるだけで
結局は何かしらのトレードオフをしているに過ぎない
そんな感じでしょうか。

こんなことを繰り返すだけでなく
いずれは変革の時が来るのでしょうか。
来るかもしれませんね。

人の世は難解

あちこちで戦争、紛争、もしくはその予兆があって
心配したり怒りや不安を感じたり

世の中悪いことばかりじゃないはずなのに
ネガティブな情報の威力は強力で
易々と明るい側面を覆い隠してしまいます。

どうしてこんなに悲惨なことが起きるのだろう

そんな疑問を持つ前に

「どうして彼らはこんなにひどいことをするのだろう」

そんなことを考えたりしますね。

そんなとき我々は
善悪の二元論で判断しがちです。

「彼らは悪い奴だ」

そうですね。
そう思う人から見たら悪い奴なのでしょう。

でも、善だの悪だのというのは
個人の持っている価値観からの単一的な見方に過ぎません。
大抵の場合は。

武力をもって他国に侵攻する

そんなことはもちろん起きて欲しくありません。

しかし、責める方にも理由があります。
その価値観からすると自己を正当化できるのです。
決して悪いことをしているとは思っていない。

例えば「テロリスト」と呼ばれる人達にしても
それは異なる価値観を持つ側からの見方に基づいているわけで
当人からすると命を賭しても守るべきものがあって
身を挺して行動しているにすぎない。

独裁政権が成立している国は
国民全てが奴隷になっているわけではなく
そこに何かしらのメリットがあって
一定の支持があるのは事実でしょう。
カオスな状況で人々は秩序を求める
そのために強権が現れる
そんなことを聞いたことがあります。
生存に厳しい環境では
独裁的な力を持った者による
コントロールを求める傾向になるとも。
そう考えるなら
独裁政権が存在する理由も分かります。

そういう大きいスケールの話ではなく
我々の身近で起きる事件なども
当人は自らの正義を実行しているに過ぎないのかもしれません。
正義とは言わないまでも
自らの価値観に沿って
許容できることをしているだけでしょう。

だからといって
自らに掛かる脅威に対して許容しよう
なんて気は起きないし
そうしましょうなんて言うつもりもありません。

人は皆、自分らの正義を貫いていたり
自らの価値観に沿って行動している

それによって悲劇的なことが起きるのであれば
皆の価値観を統一してしまえば良い

…わけないでしょう!

不幸も幸福も
違いの中から生まれることは多いのでしょう。

とすれば争いは決して無くなることはない。

人間って難しいですね。