「考える」

一口に「考える」と言っても
色々あるんじゃないかと思います。

いわゆる机の上のお勉強だけではなく
ものを作っているとき
何かを想像している時などなど
たぶん、脳の使っている部位も
それぞれ違ったりしているのではないでしょうか?

お勉強で「考える」とき
特にやらされているときって
全く創造的ではないでしょう?

あ、こんな切り口で描いちゃう書いちゃうのは
学校の成績にコンプレックスがある証拠なのですけどね。

まぁ、それはそれとして

言いたいことは…
もっと色々やろうよ!
ってことなのです。

だって、学校で色んな科目を学ぶにせよ
何か似たようなことばかりやってませんか?

問題を解くんでしょう?

それ、答えが隠されてるんですよね。
どうなったら正解か、あらかじめ決められてる訳でしょう?

学校には実験とかもありますが
大抵は、あらかじめどうなるか分かっていて
それをやってみる
みたいなことばかりですよ。

そんなことばかりやっていたら
何が起きるかやってみないと分からない
という世界に対応できないじゃないですか。
一番面白いヤツに。

脳ミソの使い方を確定してしまったら
変えられないことだらけになっちゃうでしょう。
可能性がもの凄く限定されてしまうと思うのです。

よく
「学力を向上して選択の幅を広げる」
みたいなことを言いますが
そもそもそれって
学力だけで何とかなるという
ほとんどあり得ない仮想の世界に領域を限定した上で
その中での選択肢を広げるという話であって

学力だけじゃ何ともならない
という実社会に適応した考え方ではないでしょう。

そんなことを考えていると
イチローさんとか大谷選手とか佐藤琢磨選手とか
バイクの世界GPで活躍した日本人選手達とか
本当に凄いな、と思うのです。

「これができればいいんだよ」
なんていうセオリーが無い
何が起きるか分からない世界で
極みに到達しているのですから。

彼らにできたのだから
ウチの学生達にだってできないはずはない。

プライオリティの話

自分にとって一番(とは言わないまでも)大事なのは何ですか?
一番力を入れるべきことは何でしょう?

何でしょうね。
パッと答えられないかもしれませんね。

そういうのって、その時々によって変わってくるかもしれませんが
常にパッと出るようだと強いのでしょうね。

学生なら「学業」でしょうか?

でも、本当にそう思ってるのかな?
いわゆる外発的なのもで
建前上、そう意識しているだけだったりしないかな?

なぜ学業をがんばるの?
そもそも、それは最終的なゴールではなく
何かのために必要な手段の一部ではないのかな?
では、それは何のため?

何か一つだけやっていれば良いなんてことは無いでしょうけど
優先順位(プライオリティ)が定まっていれば
何かをやるにしても
やり方が変わってきます。

たまに
「勉強ができれば将来の選択肢が広がる」
なんて話を聞いたりしますが
それはある意味本当ですが
ある意味嘘です。

何でもかんでもまんべんなくやって
色んなものを、そこそこのレベルにするのは大変でしょうけど
特に突出したものは得られません。
人には限界がありますから。

中には限界が高い人もいますが
そんなのは稀でしょう。

何かを取ると何かを失うトレードオフがある
という大事なことが見えていない場合
抽象的な表現ですが
「バランスは取れているけど光ってない」
というようなことになりがちです。

そうなった場合、最終的には
一般的かつ常識的な選択肢のうちから
消去法で選択する
なんていう消極的なことをやる羽目になります。

特に何か狙うものが無いなら
これは確かに
「選択肢が広がった」
と言えるのかもしれません。

そういうのがお好みなら良いですが
あまりエキサイティングではありませんね。

でも、狙いが明確なら
自身のゴールが設定されているなら
早い時期に優先順位の高いことに注力する必要があります。

何かを一所懸命やって
それなりのレベルになるには経験の数が重要で
そのための時間が必要ですから。

さて
そもそもすでにバランスが
大きく崩れてしまっている場合はどうしましょうか。

それはもう、プライオリティを決めて
腹を括るしかないでしょうね。

そうやって何かに特化することができれば
相当な強みを手に入れることもできます。

…まぁ、勇気が必要ですけどね。
理解者も少ないでしょうし。
でも、だからこそ、それができたら強いです。

裏を返せば、勇気で勝負ができる
という言い方もできます。