同じじゃない方がいいのです

昨日の記事
別に自分をジャッジする人のために生きているわけではないでしょう?
と書きました。

でもこれ、結構難しいかもしれませんよね。

学校の成績や組織における評価など
自分に対する評価は外的なものです。

これを無視すると
学校を卒業できないとか
会社で昇給しないとか
そんなことになりかねません。

極端なことを言うとそんな感じですが
学校でも会社でも
最低限やるべき事はやる必要があるわけで
それはやりましょう。

ここで言いたいのは
評価のものさしを100%まで満たすことに全力を使い切っちゃうのではなく
何か尖ったものや振り切ったものを持ったり
自分のこだわりや感性に従うのもアリですよ
ってことなのです。

これは自分の生きる上での戦略ということになるでしょう。
でも、そうなってはじめて自分の人生になる気がします。

だって、人の評価指針だけに沿って行動していたら
それのどこが自分の人生なのでしょうね。

そうなると
多くの人が当たり前のようにやっていることではなく
自分が信じていることを自分が信じているやり方でやる
ということになるのでしょうけど

これは程度によって
どういうフィールドで動くべきかが決まると思います。

徹底的に行くなら組織ではやっていけないかもしれません。

でも、やりたいことに大きなリソースが必要なら
その方向性にあった組織を探して
その中で動く必要があるでしょうね。
言ってみれば妥協でしょうけど
カッコイイ言い方をするなら
トレードオフってことになります。

また、すでに組織に属しているなら
仕事を自分のモノにしていくのがいいでしょうね。
努力や工夫によって価値を高めていく
といったようなことになるでしょう。

もちろんどんなフィールドで
どんなやり方をするにせよ
自分のものさしを持って(作って)
仕事は自己満足にならずに外に向いている
その辺は大事でしょうね。

皆が同じようなことをやる

学校ではそれでもいいのかもしれません。
(全く面白くないけど)
でも、社会でそれをやっちゃったら
一体誰が喜ぶのでしょうね。

…ということは
社会に出る準備としての学校だって
同じ事ばかりじゃダメなわけですけどね。

変化こそが成長だ

ダーウィンの進化論には諸説あって
生き残るのは強い者ではなく変化できる者だ
なんて言われてましたけど
今ではそうじゃないとか

まぁ、それはそれとして
人の成長は「変化」ですよね。

過去のまま、現在のままで
何も変化が無ければ
それは成長しているとは言えないでしょう。

多くの場合は
一般的に「大人である」と見られるような変化を遂げたりすると
「成長したねぇ」なんて言われたりしますね。
まぁこれは、いわゆる普通の物差しで測った結果でしょうけど。

でも、この成長の方向は
別にどこを向いていてもいいのかもしれません。
別に多くの人が持っている尺度じゃなくてもいいんじゃないでしょうか。

また、尺度を目標にするのではなく
「目的を達するために必要な変化を遂げる
一般的な尺度なんてどうでもいい」
というのもアリだと思います。

たった一回しかない人生なのに
別に自分をジャッジする人のために生きているわけではないでしょう?

常識的なことがちゃんとできる
それはとてもいいことだと思います。

そして言われたこともちゃんとできて…

あれもこれもできたら、それは凄いことです。
立派です。

でも、それが無理だと思ったらどうしますか?

多くの人は、ダメなこと、足りないことに目が行ってしまって
そこを何とかしようとしますけど

それを何とかしようとしてもいいと思いますが
何とかしようとしないで
何かに特化してもいいと思いますよ。

人の手のひらに載るものには限りがあって
人の持てる力には限りがあるわけですから。

誰にも負けない何か人並み外れたものを持つことなんか簡単じゃない!

と言う人もいるでしょうけど
簡単じゃないから価値があるのだし
それを目指して頑張ることができたら
それはまさに過去の自分からは変化しているわけで
成長しているということですよね。

何をもって成功とするか

学生は何のために学校に行っているかというと
将来のためなわけで
そのためには何が得られればいいのでしょうね。

一般的には
学校には知識を得るために行っている
という認識でしょう。
もちろんそれは重要です。

言われたことを覚える
言われたことをやる
ということですね。

こと技術系の世界では
基本は重要だったりします。

じゃ、点数が、成績が重要?

確かにそれも大事かもしれませんが
それが学生の成果として全てではないでしょう。

点数や成績は
将来の成果や成功を保証するものではありません。

技術系だったら
将来、新しい技術と対峙しなければならないことは自明です。

その時にどうする?

自分で調べたり学んだりする必要がありますね。

で、新しいことをやるのだから
もちろん困難に遭遇しますね。

その時にどうする?

自分で乗り越える必要がありますね。

この「で、どうする?」という経験を
学生のうちにしておければ
社会に出てからかなり違います。

というか
学生のうちにこそ
そういう経験をすべきなのです。

一所懸命勉強して良い会社に入っても
業務上の困難に遭遇したり
失敗して怒られただけで折れてしまう
そんな例は多いでしょう。

むしろそういう思いをしたくないから
困難やリスクに対して距離を置く傾向でしょうか。

難しい仕事や面倒な仕事ほど
そこに潜む価値は大きくて面白いのに
なんてもったいない!

じゃぁ、何のために一所懸命勉強したんだい?
って思ってしまいますが。

乱暴な言い方をしてしまえば
学生のうちにやったことがことごとくうまくいく
なんてのはあまり良いことではなくて

むしろ失敗したときのリカバリーとか
困難に遭遇したときの対応を
身をもって経験しておくべきだと思います。

実践的な教育や経験というのは
実際に手を使ってものをつくる
という以外に
実践のフィールドで起こりえる事態に
いかに対処するか
という点を重視するべきかと思っています。
プロセス重視ってことですね。

皆と同じようなことをやって
皆と同じように良い点を取ろう!
それが学生としての成功だ!

のような感じに
他人と同じ成功が自分の成功だ
みたいなことをやるから
他と比べちゃって辛くなったりするんじゃないかな
なんて思ったりもするのですが
まぁ少なくとも、そんなのは面白くはないですね。