好きなことをやるための方法

多くの学生が目標に対して頑張っている
そんな学校になっていくと
もっと楽しくなると思うのです。

ただし、それに伴う弊害も
もちろん出てくると思いますが
それはそれ。
トレードオフなのでしょうがない。

みんなが特に目標も持たずに
言われたことを淡々とやってる
そんな世の中面白くないよね。

じゃぁどうしたらいいのか?
ということになるのだけど
それが簡単に分かったら苦労しないわけで
ここでは触れません。

でも、最も大事なのは
将来のビジョンのはずです。

学生が勉強するのだって
理由が必要です。

「何ためにやってるの?」
って聞かれて
もし答えられなかったとしたら
それは意味が無いってことになりませんか?

「特に何のためでもないけど
勉強が好きだから」
そういうのもアリでしょうね。
それはそれで面白い。
頑張って欲しい。

でも、何のためでもないけど
やらないとマズイと思っている
とか
やっていれば何とかなるのでは
とかってのは
ちょっともったいないな
という気がします。

今回言いたいのは
考え方のロジックの話しです。

学校で学んでいる
ということは
どういうことかというと
学び終わるまでに時間がある
ということです。

この時間というリソースの使い方は自由です。
そりゃぁ、授業受けたり課題やったり
そういうある程度の拘束はあると思いますが
他は自由に使えます。

で、特定の学校を選んで学んでいる
ということは
自分の志向があるということです。
恐らく気になる業界とか
好きなものとかは
その志向の延長上にあるのでしょう。

ということは
その「好きなもの」を掴めれば
ハッピーなわけです。

ここで大事なことがあって

自分の好きな世界に行きたい
と思うなら
そのために何が必要かを
真剣に調べるのが大切だということです。

調べても良く分からなければ
その世界にいる人
その世界に近い人に
何が必要か聞いてみましょう。

それをせずに
資格があれば
とか
勉強ができれば
なんて考えないことです。

というのも
そりゃぁ勉強ができるに越したことはありませんが
それで何でもできるわけではありません。

例えば
クリエイティブな仕事をしたいのに
言われたことをやる経験しか無ければ
どうにもなりません。

なので
好きな世界に行くために
必要なことを
ブレークダウンして
ゴール側から逆算するのです。

で、そのために必要なことをやりましょう。

目を開いて
視野を広げれば
きっと何かあるはず。

たぶんそれは
チャレンジになるでしょう。

学校にいる間に持っている
貴重なリソース「時間」を
そのチャレンジに使いましょう。

そんなことをしても
うまくいく保証なんて
全くありません。

そもそも
保証なんて無いからチャレンジなわけで
だからこそ価値があるのです。

ところで
「好きな世界に行くために」
を勘違いしないようにしましょうね。

お客さんとして
レースを見るのが好き
というのと
当事者として
レースをやるのが好き
というのは
全く違います。

お客さんとして
おいしいものを食べるのが好き
というのと
当事者として
おいしい料理を提供したい
というのは
全く違います。

そのフィールドで
どういう意思を持って
どんなことをやりたいのか
その辺のビジョンが持てないなら
その世界には行かない方が良いかもしれません。

お客さんの立場から
提供する側に回って
頑張ってうまくいくケースももちろんありますが
それは提供する側のマインドを持てるなら
という前提条件が付きます。

その辺が理解できるなら
こういうやり方をしてみるのも
面白いと思いますよ。

まぁ、私はこんなやり方しか知らないので
他にどんな方法があるんだ?
とも思いますが。

喜びが欲しいか安心が欲しいか

元気があれば何でもできる
という記事を以前投降しましたが
これはその通りだな
と日々痛感しています。

元気でポジティブにやっていれば
視野も広がるし
大抵の事象を前向きに捉えられます。
当たり前ですが。

元気なちびっ子なんて
凄く可能性を感じますよね。
こいつら、何でもできちゃうんだろうな
と。

そういう意味では
ヘタに知恵が付いて
色々と諦めることを知った年齢は
なかなか苦しいものがあるのかもしれません。
賢くなるのも考え物です(笑)

実際問題
経験を積んでくると
向き不向きとか
過去の事例とか
一般論とか
色々ノイズが見えてきて
子供の頃のような
純粋なパッションを失いがち。

そういう状態って
色々知っているのでしょうけど
逆に視野が狭まって
見えなくなっているものが
意外と多いのかもしれませんね。

年齢が若くて
色々知ってそうでも
何か若さを感じない
そういうケースありますよね。

気持ちを若く保つって
何も年配者にのみ重要なことではなく
あらゆる年齢にとって重要なのではないか
そんなことを思ったりしてます。

そのためには一体何が必要なのか?

それが簡単に分かったら苦労しませんが
少なくとも価値観は大きく影響している
そんな気がします。

その人が一体どのような感情を求めているか
こういう根源的な価値観が
効いているのではないかと思います。

喜びなのか

安心なのか

これら二つは
一見似ているように見えますが
実はかなり違います。

それぞれを得るためには
どのような行動が必要になるか
それを考えると見えてくると思います。

学生を見ていて
あぁ、なるほどな!
と気付きました。

とはいえ
これは他人が簡単に
どうこうできることではない
そこが難しくて面白いところ。

反抗期が無いたって無くなっちゃうわけではないのでは?

最近の若者は、反抗期が無い
なんて聞きます。
皆ではないでしょうけど。

これ、人の寿命が伸びて
労働寿命が延びて
それに伴って
教育機関が伸びて
という現状を考えれば
まんざら不思議でもないのかな?
なんてことを考えていました。

全く関係ないかもしれませんけどね。

こんなふうに
寿命が延びるのに伴って
人生のイベントも延びていけば
反抗期も先送りになるのかな
なんてね。

なので、無くなっちゃうわけではなくて
今までは10代で経験していたものを
20代で発現するようになってたりして。

でも、20代だと
社会での立ち位置が
ボチボチ固まりはじめているので
10代の反抗期みたいにはできなくて
代わりに何かが起きているのかな。
それで会社辞めちゃうのか?
どうなのだろう?

その辺は良く分かりませんが
もしそういうことなら

反抗期によって形成される
とされる様々なものも先送りになっている
ってこと?

反抗期って
理想と現実のギャップに苦しんだり
依存から独立への変化を求めたり
色んな希望とか不安に挟まれて
それによって
自分自身を構築していく時期ですよね。

そういうのが
先送りにされちゃってるのでしょうか。

とか考えると
何となく納得出来てしまう気がします。

夢工房での活動をやっていると
理想やら現実やらに揉まれまくって
チームでの人間関係に悩んで
自分を構築していくのが日常です。

なので
反抗期がどうとか
というのは興味深いのですが
まぁ何とかなってるかな
というのが実感です。

各人、良い感じに成長しているな
というのが日々実感出来ますから。

ただし
やはり反抗期のような経験があって
アイデンティティが確立されていたほうが
その後の成長は早いのだろうとは思います。

大学は
一般的には学問するところ
とされていますが
今はそれだけじゃ全然足りなくて
アイデンティティの形成も含めて
やっていかないとダメなんだろうな
でも、それも面白いかもな
なんて考えていました。

そういうのを悲観して
何かのせいにして文句言っても
なーんにも良くなりませんから。

今日も卒業生と話ができました。
皆、元気で頑張っているなぁ。
良かった良かった。