人はなりたいようになる

適性とか資質とかありますよね。
宿命とか運命とかもありますね。
性格なども同様だと思うのですが…

今の自分の現状は
なんか仕方なく決まっちゃったような
いつの間にかそうなっちゃってるような
そんな気がしませんか?

恐らく、こういったものは
大抵の場合
本人が意識せずに
自然と形づくられているはずです。

確かに先天的なようなもの
生まれながらにして
すでに決定づけられているようなものは
あると思います。

そしてそれは結構強力です。
ちょっと逃れがたい。

でも
もし現状に満足いかないとしたら
どうしたら良いでしょう?

何かやりたいことができちゃったけど
自分の考え方や、やり方では無理だぞ
となった場合などです。

現状の自分が
なぜ今のようになっているのか
と考えると…

もちろん満足いっていないことや
気に入らない所もあると思うのですけど

結局は好きでそうなってるのだな
と思っています。

何かを変えようとしても
他の「ある何か」を優先して得ようとすると
そうならざるを得ない
そういうことなんだろうな、と。

分かりやすいところでいくと

得たい何か

それを実行するには障害となる何か
それらを天秤に掛けて
障害となる方を選んでいる
…というか、障害となる習慣や考え方をやめられない
とういうことなのだと思います。

もちろんそれは
無意識だったりして
自動的にそうなっている。
なのでますます手強い。

というわけで
満足いかない現状は
無意識の自分が選んでいる結果だ
ということです。

ある意味
なりたいようになっている
ということですよね。

たぶん、これに気付かなければ
何も変えられない気がします。

だって無意識だから
気付きようが無い。

なんか凄い矛盾のような気がしますが
無意識の存在を認めれば
それを発見することは不可能ではありません。
自分の行動を確認して
「何でだ?」
と考えれば良いのです。

ただ、ここで
「何でだ?」
の結果に対して執着しすぎて
悩んではいけません。

過去は変えられないので
それをやると自信を喪失して
モチベーションが下がります。

なので
「じゃ、こうしよう!」
と次のチャレンジを決めましょう。
それをやってみて欲しい結果が得られなくても
また変えるなり
継続してみるなりすれば良いのです。

これ、意識的な行動ですね。
繰り返すと無意識となって
習慣が上書きされます。

ということは
意識的に
なりたいようになれるわけです。

これが今日のネタの結論です。

これを
どのようなレベルまで適用するか
それは自分次第です。

うまくいくためのポイントは分かっています。

好きなことをやることです。
もしくは
やっていることを好きになることです。

好きなことのためなら頑張れますから。

言うほど簡単ではありません。
私も分かっていながら
ジタバタやってる修行僧ですから。

でも、簡単じゃないから価値があるのですよ。

設立当初の精神の大切さ

大学に勤務して早20年が経ちました。
勤務早々、夢工房で学生達の面倒を見始まったので
これまたおおよそ20年。

学生が自分達の力でレーシングカーを作り始めて
20年が経ったということです。

まぁ良く続いたもんだ
と感心してます。

組織がスタートする時って
色んな形があると思うのですが
当初に崇高な精神があると
継続できるのだなぁ
と思ったりしています。

夢工房でレーシングカーを作る
プロジェクトチームが結成されて
動き始まったときに
何か立派な、文字にできるようなものが
あったわけではありませんでしたが
そこに学生達の純粋な精神があったのは間違いありません。

そもそも、経験のない学生達が
自分達でクルマを作って
海外で戦おうと思うことすら勇気が必要ですが
それを実行に移して、諦めずにやり遂げる
それを支えた精神はパワフルで純粋なものでした。

こんな大変なこと
我欲だけではできませんし続きません。

私利私欲って
結構小さい欲望だったりして
困難があると簡単に諦めることができるのです。

立ち上がり当初に、そういったものがあったからこそ
20年も続いたのでしょう
そう思っています。
もちろん環境や、周囲の理解や応援があったことも
継続できた大きな要因です。

1907年創立の我が東京電機大学が
1世紀以上も存続しているのは
やはり崇高な精神があったからでしょう。

技術は人なり
実学尊重

シンプルですが実に本質的。
何かに迷ったら
すぐにここに立ち返れば良い。

私は本学の卒業生ではありませんが
これはシビレます。

組織の風土が人をつくるというのは確かです。

なので
「そこにいる」
「そこでやる」
というのは結構重要なことなんですね。

今年は海外のイベントには出られませんでしたが
学生達は、ちっともしょぼくれていないどころか
ますますパワフルに活動しています。

来年が楽しみです。

習慣の積極的利用法

人は繰り返しの行動によって
習慣が形づくられます。

これは当たり前のことで
誰でも知ってます。

意識的にやっていれば
それはトレーニングと呼ばれたり

無意識で、すでに定着しているものなら
習慣と呼ばれたりします。

自動車の運転は分かりやすい例かもしれません。

経験のないドライバーは
何をどうすると何が起きるか分からない
というのが前提です。
それがビギナーってヤツです。

教習所で初めて運転したときは
コースのこの辺でハンドルをこのくらい切って…
なんてやりますよね。

この時、タイヤは見えていなくて
どれくらい切れているかなんて分かりません。
唯一見えるのはステアリングホイール
ハンドルですね。

なので、走っているコースの形と
唯一見えているハンドルを操作するタイミングと
操作量(切る角度やスピード)を目安として運転しています。

で、どのタイミングで何をするとどうなるか
というトライを何度もして経験を積みます。

慣れてくると
どういうタイミングで何をすべきかを
一々考えなくてもできるようになります。

これは経験を積むことによって
やるべき事が無意識化されているのですね。
習慣化しているとも言えます。

あることが習慣化してしまうと
その分、意識の領域に空きができます。
なのでその分、余計なことができます。

歌を歌ったり、ご飯を食べたり、スマホいじったり…いや、それはダメだ(笑)

運転操作なら
より高度なことができるようになります。

ある程度運転ができるようになると
いかにも色々分かっているような気になってきますが
ところがどっこい!

「じゃ、あのカーブ曲がるときに
どれくらいハンドル切ってるか言ってみ?」
と言われて答えられる人はほとんどいません。
まして、その時にどれくらい前輪が切れているかなんて分かりません。

でも、運転出来ちゃう。

結局、よく分かってないけど
「こうするとこうなるはずだ」
というのが経験上身に付いて
勘で運転しているようなものです。

ヘタをすると何も考えずに運転していることすらある。

そう、トレーニングしててきるようになる
ということは
考えなくてもできるようになる
ということなのです。

もちろんこれは
自動車の運転に限らず
多くのことに適用できます。

日常生活や仕事もしかり。

「こうなるといいなー」
のためのことを
意識的に繰り返して習慣化してしまうのです。
習慣化してしまえば
あとは考えなくても自動実行できるので
勝手にうまくいっちゃうし
意識は次のレベルのことに向けられます。

この時
理想に向けて考えて習慣化する
というのがポイントです。
心配なことやネガティブな何かを回避するため
なんてのダメですよ。
そっちに向かって行ってしまうから。

今回の内容は
ごく当然のことかもしれません。
習慣は大事だよ
ってことです。

でも、これを積極的に利用しようとする人は
意外と少なかったりします。
こんなことを書いている自分自身
十分に活用できているとは言えません。

でもまぁ、十分には活用出来ていないけど
色々試して、それなりの結果は出ています。
なので、今後もこの調子で行ってみますよ。