結局「心」が作るのだ

当方は工科系大学なので
「良いもの」を作れる学生を育成したい。
もちろん、我が夢工房もしかり。

学生達は、クルマとか惑星探査機とかを作っているわけですが
よく頑張ってますよ。

クルマにせよ惑星探査機にせよ
何のためかというと
人のためなのですよね。
人のための良いものです。

レーシングカーであれば
ドライバーにとって扱いやすく性能を発揮できるように。
惑星探査機であれば
…なんだろう(笑)
惑星探査機の場合は、目的が非常に広範囲に及ぶので
表現するのが難しいのですが
望む機能を発揮するように、ってところでしょう。
もちろん「人が」望む機能です。

そういったことのために
学生は色々学んでいます。
工学をはじめ、それはもう色々。

卒業すれば
彼らは、お客さんのために力を発揮するのです。
良いものを作ってお客さんを喜ばせるために。

もちろん、そこには個人としての欲求もあるでしょうね。
「こんなものを作ってみたい!」
そういうパッションは大事です。
が!
それが組織とお客さんの利益に繋がらないと意味がありません。
エンジニアのパッションは
組織のパッションと合致しないと意味はありません。

個人的な欲求を果たしたいだけなら
趣味でやるべきです。
おっと、話が脱線しそうだ。

良いものを作るには
高い技術が必要なのは当然ですが
それだけで良いものになるかというと話は別です。

ものは理論とか数式でできているわけではないからです。

誰にどんな風に使ってもらうの?
どう感じて欲しいの?

そういうのって凄く大事です。
近年に言われ始めた
ユーザ・エクスペリエンス(ユーザー体験)
ってヤツですね。
これが価値の本質でしょう。

でも、こういうのは学校では教わる機会が無いのではないかな。
仮に教わったなら、それを実践して磨きたいとことです。
そこが学びとして一番面白いところだと思うのです。

作り手側が、使い手側の視点を持って考えるという
最も重要なところでもあります。

で、この辺を考え始めると
作り手側の人となりが大事になってきます。

理論とチェックリストがあれば
良いものが作れるってわけじゃないよ
ということですね。

東京オリンピックのキャッチフレーズでしたっけ?
「おもてなし」
とか、しきりに言われるようになって
なんか言葉が上滑りしてるんじゃないか?
とか思っていたのですが
やはりその辺は重要なのだと
今更ながら感じでおります。

日本の製品に対する評価って
その辺が効いてきてるのでしょうね。

やはり、作り手側の心が大事だってことです。

そんなことを言うと
「なに言ってんだ!心だけで作れたら苦労しないぞ!」
とか言われそうですが
パッション(心)があれば
欲しい技術を手に入れようとしますから大丈夫。

逆に、知能が高くても心が無ければ
良いものは作れませんよ。

うん。「技術は人なり」だな。

勇気で解決…してみるかい?

人生、色んな勝負の仕方があって良いと思います。
最近じゃ、それが単一化しているというか
道筋やら行き先のバリエーションが
少なくなってきている気がします。
なんか寂しいというか
面白くないですよね。

でも、色々な事情で将来の行き先が不透明で
チャレンジできない、したくない
そんな感じなのかな。
まぁ仕方ないとは思いますが
そんな時だからこそチャンスなのではないかな。

大学生ともなると
次は就職なわけで
「将来どうしよう?」
が大きなテーマでしょうね。

就活するにしても
その先、仕事をしていくにしても
何かしら強みが欲しいですよね。

強みって、何かしら独自性だったり
優位性だったりするのでしょうけど
そこに何を据えるかってのが問題なのでしょうけど
これがまた難しい。

なぜかというと
往々にして確実性(正解)が欲しかったりするわけです。
それを強みにしたい。

でも、確実とか正解とか言うと
それは多くが知っていたり、すでにやっていたり
先行者や、すでに優位性を持っている者がいるわけで
彼らに対して優位に立てるのか?というと
「ダメだこりゃ」
なわけですよ。
で、困っちゃう。

もちろん、就活でなくとも
何かしら迷って悩んで
足が止まってしまうこともあるでしょう。

逆説的ですが
どうしたら良いか分からなかったら
とにかく何かやってみることです。

そうしたら、どうしたら良いか分かるし
そこでヘマやっても
足を止めているより100倍マシです。

最初の一歩をどう踏み出して良いか分からない
だから歩き始めることができないんだ

だったら、滑ろうと転ぼうと
とにかく一歩目を踏み出してしまえ
ってことです。

そうしたら
そこがぬかるみなのか凍っているのか分かるでしょう
ってことです。
そうしたら、次の一歩をどうしたら良いか分かる。
仮にそこに崖があっても
人生が終わってしまうわけではないですよ。

あなたが、どのように最初の一歩を踏み出すべきか
その答えを導き出せる人なら
そうすれば良いと思います。

でも、そんなの考えても分からないなら
勇気を持って進んでしまうことです。

勇気で何とかしちゃうってのは
意外と有効なやり方だったりします。

そんなやり方バカバカしい?

だとしたら独自性や優位性があるってことです。
だって普通はやりたがらないってことでしょう?

正解が出せなければ
勇気で解決するってのもアリってことです。
そうそう、スピードも合わせ技としては有効ですね。

え?
そんなやり方をしたけど失敗したって?

良かったじゃないですか。
それ、「暗黙知」って言うんですよ。
やらないと分からないヤツです。

ノーリスクの幻想

最少のリスクで最大のゲインを得る
なんてことはあり得ない。

そんなことは百も承知だとは思いますが
取るべきリスクと
取らざるべきリスク
その線引きをどこにするのか
そこが難しいところでしょうね。

恐らく大事なのは
「何のために?」
でしょう。
時間軸上の「先のこと」ですね。
「何のために」「何をするの?」
という考え方です。
この時点では実にシンプルです。

ですが

そこに色々と欲や恐れが入ってくるから始末が悪い。

楽にできないかな?
恥かかないかな?
怒られないかな?
などなど
アレも欲しいし、コレも欲しい
で、そのうち何が大事なのか分からなくなってくる。
加えて周囲が色々言ってたり
ネットを検索して、色んな情報を入手しちゃったりすると
自分の価値観なんてぶっ飛んじゃう。

ふと気付くと
今、何に力を入れるべきかが分からなくて
片っ端から頑張ろうとするものの
「そんなの無理だ」
と気付いて自信を失う。

難しく考えて答えが出せるなら、それでも良いですが。
それが無理だと思ったら簡単に考えましょう。

短期的なものや
重要度の低いものを
犠牲にしてしまいましょう。

先にある重要度の高いものを取るのです。

自分の持っている熱意の総量には限界があります。
(「限界は無い」と思えば
一時的にリミッターが解除されるようなこともありますが)
それを細々と分割して、色んなことに使うと
実に普通のことしか起きません。

それを一点集中で使えば
普通じゃないことができそうな気がするでしょう?
そういう簡単な理屈です。

とはいうものの、その過程では
失敗したり悩んだり
多くの人が持っているものを持てなかったり
色々起きることでしょう。

でも、そんなことは気にしないことです。
最初は無理でも続けていれば慣れてきますから大丈夫。
それに、そういう経験が後々効いてくるんですよ。
社会に出たら分かります…たぶん。

どうせ人生を良いことばかりで構成することなんてできないんですよ。

禍福はあざなえる縄のごとし
とか
人間万事塞翁が馬
と言うじゃないですか。

だったら、ある程度自分で
「どうするか」
を決められた方が楽しくないですか?

え?
そんなの面倒くさい?
うん、じゃぁしょうがないですね。
それも一つの選択です。