無意識を意識して…いじる

何か特別な成果が欲しいと思ったら
そのために必要なことを
実行する必要がありますね。
当然ですが。

でも、なかなかうまくいかないことも多いです。

学生を見ていると
「あ~、こういうのが難しいのか」
って感じで気付きが多いです。

夢工房の場合は
私が
「ああせい!こうせい!」
という指示をしているわけではないので
学生自身が、色々考えて、やってみて
私のところにアドバイスを求めてきます。
「こんなんなったんですけど、どうですか?」
って感じですね。

具体例を挙げてみましょう。

何か特定の部品を作ろう
と考えていたとします。

場数を踏んだ設計者なら
その部品が使われる環境や要件から
「そういうときは
こんな感じだよね~」
って決めていけますが
学生だとそうはいきませんよね。

なので、最初はアイデアを出すところからスタートです。
まずは、その部品に求められるものを明確化して
次に、概念的なボヤーッとしたとこと
「こんな風にしたいなぁ」
「こんなのはどうかなぁ」
というアイデアを出していきます。

そんなのをベースとして
徐々に明確化していくのですが

この最初の段階は
異なる原理を使ったアプローチとか
異なる材質とか形状とか
できるだけ多種多様なアイデアが欲しいのです。

というのも
最初のステップは
方向性を定めるための
「選択」をしたいから。

そして、「こうすると、こうなる」という
引き出しを増やして欲しいから。

ここでやってはいけないのは
最初から一つの方向性だけで進めることです。

アイデアが1コだと
本当にそれが「良い」のかは分かりません。

だって「良い」って相対的なものだから。

まぁ、簡単に言っちゃうと
「最初は色んな方向性で
たくさんアイデアを出すといいよ」
ってことですよね。

…とまぁ、こいうことを
あらかじめ学生に伝えたとしましょうか。
「なかなかうまくいかないんです」
という 者に対するアドバイスとして。

もちろん
この程度のことは理解できます。
決して難しいことではありませんから。

でも、実際にやってみると
最初からアイデアは1コしか出さずに
いきなり具体的に部品の形状を決め始めたりします。

当然ながら、そういうやり方をすると
「なぜそういう形になっているのか?」
という根拠は薄いですし
「それで良いのか?」「それは良いのか?」
ということに関しては説明できないでしょうね。

もちろん、それによって作られる部品は
大したものではなくて
本人も納得できないでしょう。

その辺を指摘すると
本人も理解します。

でも、なかなかやり方は変わりません。
なので、結果は変わりません。
頭では分かってます。
でも、実際にやると大して変化しなかったりします。

これ、能力の問題ではなく
やり方の問題なのですが

何かをやるとき
考えるとき
最小限にしてスタートする癖が付いてるんですね。

はい。これは「癖」なので「無意識」です。
コイツが勝手に発動します。

できるだけ余計なことをしないで
効率的に正解を出したい
そんなやり方が癖になっているのでしょう。

ちなみに設計に正解なんて
そもそも無いんですけどね。

結果として
せっかくアイデアを出しても
「振り出しに戻る」
となってしまって
残念ながら全く効率良くなりません。

でもこれは「癖」で
「普通」このとですよ。

さらに言うなら
この学生が劣っているわけではなく
「普通」なんです。

勝つためのレーシングカーを設計していて
「普通」のやり方をしていたら
「普通」の成果しか出ないわけで
(普通って何だ?というのありますが)
いくらやっても希望は叶いません。

頑張って力強く全力で
「普通」のやり方をしても
悲しいくらい結果は変わりません。

むしろ時間の無駄遣いになって
時間切れで諦めることが増えていくかもしれません。

普通じゃないことをやるのであれば
それはどちらかというと
一般的な見方からすると非常時に近いわけで
そういうときには
日頃のやり方、考え方から
離れなければならないはず。

でも、日頃自分がどうしているかなんてのは
ほとんど無意識なわけで
それを理解するところから
スタートする必要があるかもしれません。

あたかも幽体離脱して
自分の周囲も含めて俯瞰するように。

「あ~、自分はこんな環境で
こんな風にやっているよなぁ」
みたいに。

そこから
「じゃぁ、こんな風にやってみよう!」
となれば上出来です。

そういうものの見方や考え方ができれば
うまく行かなくても次の手が打てます。

とまぁ、こんな風に言うのは簡単ですが
やるのは意外と難しいかもしれません。

だって、無意識を意識できるようにして
その領域をいじるわけですから。

でも、できるようになると結構楽しいし
他にも色々できるようになっちゃうんですけどね。

パッションで解決だ!

そもそも受験などというシステムありきで
教育をしていることが間違いではないか
と思うことがあります。

塾に行って
良い学校に行って
良い会社に入って…

で、将来何すんの?

そもそも、「良い」学校とか会社って何?
という疑問もあるんですけどね。

多くの学生は
「楽に暮らしたい」
とか言うんでしょうね。
私も、かつてはそんなことを考えていた気がします。

とにかく何もやらなくて済むのが良いのであれば
植物状態になっちゃうとか
死んでしまうのが一番
ということになります。
極端な話ですが。

若いうちは経験が少ないわけで
にもかかわらず
色々できるようにならなければならないんですよね。
つまり、成長しなきゃいかんということですが。

でももちろん
経験が少ないから
うまく行かなかったりするわけです。

それはまぁ仕方ないことなんですが
それは一体何をやった末に起きてるかというと
大抵は
「やらされたこと」
です。

小さいうちは
いろいろやらされるのも
仕方ないかもしれません。

でも、成長するに従って
「やらされる」
から
「やる」
にシフトしていって
やる事自体が他に対する価値になっていったり

もしくは、自分のやりたいことと
他が求めることをマッチさせていって
仕事になるわけですよね。

で、仕事の価値を高めるためには
その内容のレベルを上げる必要があるわけですが

そんなこと
人から言われて仕方なくやってることで
うまくいくのかい?

無理です。

ちなみに
恐らく学生の多くは
「仕事ってのは、言われたことを我慢してやるもんだ」
と思ってます。
多分、60%以上はそう思ってます。

ということは
学校で勉強するというのは
社会に出た後にすることになる
我慢の負荷を軽減するための材料
ということになるのかな。

それなら 「楽に暮らしたい」 という気持ちも理解できるかも。

で、そのために一所懸命勉強する?

でも、勉強できるけどパッションが無い人に仕事をさせるには
しっかり作り込んだ業務指示と
それを伝達する労力が必要になりますが
そんなことを一々やってたら自分の仕事をする時間はありません。

業務量に対応するために人を増やしたのに
そんなことしてたら、できる仕事の量は増えませんね。

というわけで
日本は先進国の中でも生産性が低い
と言われていますが
その原因は
知識とかスキルじゃないと思うのです。

じゃぁ何かというと

じゃないですか?
パッションですよ。

というのも、何かをやって
できるようになるために必要なものは
学力という能力に限定されないからです。

そういうのって
偉人伝とか
昔の人のストーリーで明らかになっているはずなんですけど
大抵は苦労を伴う展開だから真似したくないのかな?
大変そうだもんね。

もしかして
「そんなの古いぜ!
勉強だけして、チャレンジせずに、失敗せずに
成功しちゃうぜ!」
と?

いや~、それは無理だわ。

というわけで
夢工房ではパッション重視です。

もちろん、簡単にはうまく行かないことも多いですけど
それらは全て成長に必要なことだからOKなのです。

オリンピック終了~学生達のオリンピック

東京オリンピックが終わりましたね。

コロナ禍の中での開催ということで
色々と議論がありしましたし
困難もあったかと思いますが
いざ始まってみれば
やはり世界のトップアスリート達の
レベルの高い闘いは見応えがあったし
日本選手の活躍にもエキサイトしました。

私は、開会式や競技はあまり見られなかったけど
閉会式はネットのライブ中継で見ることができました。

当初の計画通りに行かなかった部分も
多かったのではないかと思うのだけど
「さすがトーキョーだな」
って感じにまとめたのではないでしょうか。

やり切った選手達を見るのは気持ちが良いものです。
やはり何かを一所懸命やって極めるというのは凄いことで
人の心を動かすだけのパワーがある。

オリンピックの商業的な効果などは
もちろん大事なことの一つなのでしょうけど
最も重要なのは、この
人の心を動かす
というところなのではないかと思います。

平常時のオリンピックでも
自分の競技が終了した時点で帰国してしまう選手はいますので
今大会の閉会式はどうなることかと思っていましたが
多くの選手が参加してくれて良かったですね。
改めてこれだけの選手達が一堂に会しているのを見ると
理屈抜きで嬉しくなりますが
やはり自国でのオリンピックは特別なのだ
と感じました。

開催できて良かったなぁ。

今回は海外からの観客が来られなかったのは本当に残念です。
その分、閉会式が終わった後に
各国の選手達が日本を充分に
楽しんでから帰国してくれれば
と思うのですが
そうもいかなさそうなのは残念です。

さて、オリンピックのこの雰囲気ですが
我々にとっては
そうそう遠い世界という感じはしないのです。

と言うのも
Formula SAEのイベントは
アメリカ大会やドイツ大会が世界最大規模で
1大会で80チームくらいが世界中から集まります。
人数で言ったらかなりのものだし
会場の雰囲気や盛り上がりで言ったら相当なものです。

近年、我々が参戦しているオーストラリア大会だって
参加数は30チーム強といったところですが
色々な国からの参加があるワールドシリーズの一つなので
レベルが高く
それなりに国際色豊かなイベントです。

もちろん
単純にオリンピックと比べるのは
色んな意味でおかしいのかもしれませんが
参加している学生達にしてみれば
間違いなく
彼らにとってのオリンピックです。

学生が国際的な大会で一番を目指して頑張っている訳ですが
一生のうちに、こんな経験をできる人がどれだけいるでしょうか。

その貴重な機会を大事にして
悔いのないよう頑張って欲しいと願ってます。