維新に思う

「維新」って、たまに聞いたりしますが
その意味を理解している人は意外と少ないのではないでしょうか。

辞書で引くと

すべてのことが改められて、すっかり新しくなること

と出ていたりしますが、ピーター・ドラッカーは
明治維新は日本における奇跡だとした上で

目的と方法のどちらか一方を維持し、他方を変えるやり方

と紹介しています。

革命は、目的と方法の両方を一新するが
その後には混乱しかない
と。

さて、その明治維新は何をやったのか?

簡単に言うと
幕府を倒して
それまでの武家社会をやめて
近代化をして
天皇を国民を総べる中心とした
そんなところでしょうか。

学生時分、私はまったくと言って良いほどは歴史に興味がなかったので
社会人になってから本を読んで勉強してるのですが
自分の興味に従って知識を得るってのは楽しいものです。
まぁ、必要なものを得るってのは往々にして楽しいのでしょうけどね。

さて、明治維新では王政復古が行われて
その際に「五箇条の御誓文」が公布されました。

この内容は、聖徳太子によって施行された日本初の憲法
「十七条憲法」に似てるなぁなんて思うのです。

特に冒頭

十七条憲法 の
「和を以て貴しと為し」
が、何となく
五箇条の御誓文 の
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」
「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし」
に通じるところがあるなぁ
なんて思ったりするのです。

これらは冒頭にあるのですから
もっとも重要なところなのでしょう。

で、これは以前にも触れている神武天皇の建国の詔に通じるところがありますよね。
とすると、維新は日本建国のコンセプトに立ち返っているということになるのでしょう。
目的は変えずに、手段をガラッと変えたってことですね。

そういう意味では、日本は本質的なところはブレずに
ずーっとやってこられたわけで
それはこの建国の詔が
いかに当を得ていて素晴らしいかったか
ということでしょう。

さてさて
行くところまで行って
このやり方じゃ、もう続かんぞ
ということになれば
色々変えざるを得なくなるのですが
日本のスタイルとしては
革命じゃなくて維新ということになるのでしょう。

そうなっても、コンセプトが良いので
原点に立ち返れば、きっと道は見えるでしょう。

そんなことを考える日曜日でした。

「楽しい」のために

やはりね
楽しくないと何事も上達しませんし
良い結果は出せません。

じゃ、どうすんの?
というのが重要になるんですが

一体どうしたら良いのでしょうね。

楽しいことをやる

そうですね。
楽しいことをやるのは大事です。
そもそも楽しいわけですから健全な動機です。

楽しいって前もって分かっているってことは
すでに経験があることで
それは、この際はどうでも良いのです。

では、初めてやることを
これからやることをうまくいくようにしたい
そんな時はどうするの?

自ら「面白くする」のです。

面白いって、一体どういうことか
というのは難しいですが
面白い時ってどういう状態になっているかというのは
想像が付くと思います。

主体的にものごとを「やっている」ときです。

「やらされている」ときは、あまり面白くなりません。

「やってる感」が重要です。

なので、自ら工夫したり努力したり
そういうことは重要でしょうね。

よく
「面白くないから工夫できない(努力できない)」
みたいなことを言うケースがありますが
あれは逆です。

やらないから面白くならないのです。

そもそも入り口から
「これは違う」
と思うものには
無理に取り組む必要はありませんけどね。

やってみて面白くないし
うまくいかないから辞める
そういうこと、ありますよね。

夢工房でももちろんありますし
会社組織でもありますね。

自分の好きな仕事を選んでも
起こりますよ、もちろん。

例えば、自動車が好きな人が
自動車開発の仕事をしても
好きなことばかりできるわけじゃありません。

恐らく、日々の仕事のうち
70%くらいは、その仕事をする前には
望んでいなかった内容です。
経験上そう思います。

なもんで、大手自動車会社に新卒で入っても
3年後には4割近くが辞めます。
学歴とか成績なんて関係ありません。

例えばね、スポーツカーの開発がしたかったのに
軽トラックの開発をすることになったらどうします?
そもそも、車じゃなくてシミュレーターの開発だったら?

私は実際にそういうことがありました。何度も。
が!
別にどうってことは無かったですね。

10年くらいのキャリアのうちで
本当に色々やらせてもらいました。
でも、楽しくなかったことは無かったですね。

それは、車の開発をやる前の仕事でも同じでした。

仕事がつまらないって思わないんですよ。
細かいことを言えば、ごくたまにはありますよ。人間ですから。

ただ基本的に
やらされるのが嫌なんですよ。
同じことを繰り返すとか。

でも、仕事ですから
業務命令もあるし、お客さんからのオーダーもあるわけで
それらに従うシーンがあるのは否定できません。

そんな状況でも、単に従うだけじゃなく
工夫して自分のものにしてしまえば楽しめます。

真面目な人って「 自分のもの にする」とか言うと
凄く難しいことを高いレベルでやって
マスターする
みたいなイメージを持ってませんか?

そんなの面白くないですよ。
うまく言えませんが
気の持ちよう一つで
楽しみながらチャレンジできると思うのです。

仕事って、辛いことを耐えながらやるもんだ
みたいな先入観を持ってると
思考が硬直化して
アイデアは出ないですよね。

奴隷じゃないんだから
そんな風に考える必要はありません。

「失敗したくない」
とか思っちゃうから
うまくいかないのでしょうね。
そっちを見るのではなく
「面白くしたい」
「自分の力で回したい」
と思うのが良いですよ。

両方は無理です。
失敗しないから面白いわけでもないですしね。

今の仕事…
そもそもは「呼ばれて」大学に来たわけで
自分の意思ではありません。

でも、任された環境で
面白くなるようにやってたら
今の夢工房になっちゃった
って感じです。

まだまだまだ満足はしていませんが
面白いですよ。かなり。

良い子のロジック 悪い子のロジック

学生を観察していると
色々分かるわけですが
今日の発見。

結構高いモチベーションを保っている
明るくて現張るタイプの学生が
何で斬新なことができないのか
何で同じことを繰り返しちゃうのか
(この場合は、もちろん繰り返すべきでないことです
同じ失敗を繰り返すと言ったようなことです)

この辺が分かりました。
というか、ロジックが見えました。

彼らはいわゆる良い子です。嫌みではなく。
明るくて人当たりも良い。
元気もあるし
恐らく勉強だってボチボチできるのではないかな。

問題は
「良い子」だということです。

何と!
「良い子」なのが問題!?

「良い子」って何でしょうね。

一般的には、評価者(学校の先生や親)
にとっての「良い子」です。

つまり、学校とか家庭での物差しで
レベルが高い
ということでしょう。

問題を起こさないとか
言われたことをちゃんとやるとか
頑張り屋さんだったり
その辺が評価内容でしょう。

ここで何が起きているかというと
良い子は、評価者を安心させるために行動して
良い評価を得ることによって自身が安心したいわけですよ。

欲求が「安心」であれば
そのための行動をします。
そうやって生活してきたなら
それは無意識に発動します。

この、家庭とか学校で褒められるための「物差し」に従って
自動的に行動してしまうから
その物差しに適合するように無意識で動いてしまうから
うまくいかんのです。

目の前のこと、手元のとことだけに集中して
周囲なんて見渡しちゃダメ。
今やっていることが終わるまで
先のことなんて見ちゃダメで
そういうのは集中力が足りないとか
余計なことをしているとか言われちゃう。
言われてもいないことをやるなんて論外!

真面目に言われたことに集中していれば
学校では褒められます。
安心ですから。
それがゴールです。

視野を広く持って
先のことまで考えながら
言われてもいないことをやる
これはダメな子。

キョロキョロしながら
今やっていることも終わっていないのに
「次は何?次は?次は?」
なんて言いながら
言われてもいないことをやり始める子供は
学校や家庭では、大抵は怒られますよね。
目に浮かぶようだ。

レーシングカーを設計していたりすると良く分かりますよ。

速く走ることが命題であるレーシングカーは
可能な限り軽くしたい。

構成する、あらゆる部品は力を受けるので
使用する環境において掛かる力を想定して
軽量でありながら壊れないような設計をします。

でも、使用中にイレギュラーなことも起きたりするので
ちょっと余裕を持った設計にしておくのです。

この余裕を「安全率」と言います。
この値が性能のカギだと言っても良いと思います。

この安全率が「1」だと
余裕がゼロということで
想定を超える力が掛かると壊れます。
が、部品は最も軽くなりますので
高性能と言えます。

もちろん安全率が大きくなると
想定を超える力が掛かっても
壊れにくいのですが
重くなって性能は低下します。

こういう矛盾を高い次元でバランスさせる
(と言えば聞こえは良いですが妥協とも言います)
のがレーシングカーの設計です。
こういうのは人の本質が出ます。

良い子は無意識に安全率を大きく取りたがります。
安心したいから

悪い子は最初からギリギリを狙ってきます。
勝ちたいから

多くの人は言います。

「まずはちゃんと動くものにしてから性能を上げなさい!」

でも無理です。

安心なものを設計して
ちゃんと動くことを確認してから
安全ではない方向に変えていくことなんて
言うほど簡単じゃありませんし
果てしなく時間が掛かります。

安心を求める心が邪魔をします。
「これで良いじゃないか」と。
楽をしたい心が邪魔をします
「この辺にしとけよ」と。

他にもありますよ。

良い子はレギュレーション(規則書)の隙を突いて
性能を上げるようなことはできません。

言われたことをやる彼らにとっては
「それは卑怯なこと」で「悪いことだ」
という先入観があるからです。
なので、彼らにはルールの隙間は見えません。
書いてある条文しか見えない。

他人と同じ土俵で戦わないと卑怯だ
とも思っているでしょうね。

レーシングカーは
「禁止されていないなら何やっても良いじゃん!」
で性能を上げます。
アイデア勝負です。

「言われたこと」は斬新ではないので
それをやっても創造性は育まれないし
そのやり方で、どんなにハードにプッシュしても
良い成果は得られません。

「良い子」ってのは、家庭とか学校の物差しでの評価あって
そんなの社会に出たら通用すんの?誰か喜ぶの?
と思っちゃいます。

まぁ、それで良い世界もあるのかもしれませんが。

そもそも彼らが欲しいのは
「安心」ではなく「喜び」でしょう。
その辺は勘違いしちゃいけませんね。

なので
目的を達成したい
欲しいものは欲しい
そういう彼らには
「キミら、こうなってるよ」
とロジックを説明して
日々の成長を楽しんでます。

悪い先生ですみませんね。

注意:
何も考えずに、むやみに安全率を低くするのは危険です。
設計時に、どこを壊すか、壊れたときにどうなるようにするかを考えておき、安全確保をしましょう。
できれば、前もって実走行で各部の負荷を計測しておき、その値を元に設計できると良いですね。そういうことをやるなら、安全率の高いマシンが最初に必要になるという考え方もあるかもしれません。