アイデアのお話し

何か新しいことをやるには
アイデアが必要です。

目的に合わせて
自由自在にアイデアが出てくれば苦労しないのですが
そうもいきませんね。

まぁ、そんなに簡単にアイデアが出てきちゃったら
そもそも価値が無いのでしょうね。

さて、学生を見ていても
アイデアを出せる者と出せない者がいます。

どうやったらアイデアが出せるのか
なぜ出せないのかは
大変興味があるところではあります。

ただ、全体的な傾向で言うと
近年はアイデアがあまり出ない傾向です。
ちょっと残念ではありますが
これを何とかしたい。
たぶん、本人も何とかしたいと思っているでしょう。

アイデアが出ない理由は色々あると思いますが
比較的多くに当てはまるケースについて考えてみました。

近年、本学は偏差値が少しずつ上がってきたことが関係しているのか
それとも時代の流れなのか
真面目な学生が多いです。

真面目というと
良いことじゃないか!
となりそうですが
何というか
無駄な経験が少ない
と言うべきでしょうか。

そもそもアイデアの元には何かがあります。
情報とか経験とかですね。
何も無いところから生み出すわけではありません。

元になる何か
それを利用する発想です。
元になる何かを、足したり引いたり、ひっくり返したり…

なので、元になる何かを
あらかじめ取り込んでおく必要があるのです。

大抵の場合、その元になる何かは
今、手元にあるアイデアを投入する対象から
離れたところにあります。
関係ない世界です。

車に関するアイデアであれば
航空宇宙や船舶のネタだったり
無線通信のネタだったり
技術的なことなら何でもネタになりそうですね。

私の場合なら
縄文の土器とか土偶とか竪穴式住居…
なわけはないか。
いや、まんざらでも無いかもしれません。

とにかく
一見「余計なこと」を沢山持っていると
スタートしやすいですね。
というか、それらからしかスタートできません。

だって、余計なこと以外と言えば
今そこにあることなので
それを元にしたところで
何ら変わりませんから。

余計なことを沢山手に入れようとする者は
落ち着きが無い
とか
集中力が無い
なんて言われちゃうことが多いのではないでしょうか。
一般的にはダメな子かもしれません。

ここまではネタを集めるプロセスです。
今そこにあるものとは
関係ないものが沢山あった方が良いですね。

ところが
真面目な良い子は
余計なものには手を出しません。

このプロセスでヘタに集中力が高いと
それは単に視野の狭さに繋がっているわけで
ネタが集まらないのです。

余計なことは
すでにフィルタリングされて除外されてますから。

さて、その「余計なこと」は
単品で、そのままでは利用価値がないことが多いです。
なので
足したり引いたり、ひっくり返したり
いじり回すことが必要です。

こういう行為は
ひょっとすると
変なこと
なのかもしれません。

こういうのが得意なコは
学校の科学部で
先生から「それだけはやっちゃダメだ」と言われた薬品を混合して
爆弾を作っちゃうようなヤツかもしれません。
私の同級生にはいました。
それはもう激しく先生に叱責されていました。

でもきっと、元をたどれば
先生が調子に乗って爆薬の作り方を教えたに違いありません。
「でも、やるなよ」
とか言って。
当時はネットありませんから、きっとそうです。
私はそんな先生が大好きでしたけど。
昔はそういうしょうもないのが沢山いましたね。
今ならきっと大問題でしょうけど。

さて
良い子は
余計なことをせずに
言われたとおりに
与えられたものを使います。

でもそれでは
新しいアイデアは出せません。

馬鹿野郎は、そんなの知ったことではありません。
我慢できないのです。

先生に怒られることを避けるより
己の興味を満たすことの方が
はるかに優先度が高かったりします。
平気で
怒られるけどやる
というトレードオフをします。

今は情報の伝達速度が速くて広範囲だから
ヘタなことできませんよね。怖くて。

あ、なんか話が脱線気味ですね。

こんなふうに余計なことをいじり回して
「あ!そうか!」
がやってくるわけなのですが
そういうタイミングは
多くの人が共通しています。

考えて考えて考えて…
ふっと気が抜けた時が多い。

私の場合は
通勤で車を運転している時とか
トイレや風呂に入っている時とか
寝床に付いた時とか
そんな時が多いのです。

頭の中の意識が無意識に移行する時かな。

しかしこれがまた困ったもので
そういう時のアイデアは忘れがちなんですよね。

思い付いた時は
「こんな凄いアイデア、忘れるわけない!」
と思うのですが
大抵は忘れちゃう。

なので、手元にメモを用意したり
スマホに入力したり
何も無い時は
ひたすらアイデアを唱え続けて覚えます。

はい、まとめです。

世の中、平和で安全になって
みんな良い子になると…
つまんなくなっちゃうよね。

あれ?
こんなんでいいのかな?
あながち外れていない気もするんですが。

アイデアによって良い世の中がつくられたら
アイデアが要らなくなる。
皮肉ですが必然のような気もします。

ボチボチそんな状況から移行する時かもしれませんね。

できるヤツってなんですか?

人に教えるのって難しいです。

例えば、A君に
「これを見なさい。この部分はこうなっているんだよ。
これは重要だよ」
と教えたとします。

真面目なA君は、言われたことを覚えます。
これを「知った」と言います。

いっぱい知っていれば優秀だと言われます。
できるヤツだと言われます。

でもA君は、言われたことをやっただけです。
他人に重要だと言われたから、重要だと覚えただけです。
なぜ重要なのかは分かりませんし
それを使って何ができるかは分かりません。

こんな状況があったとして
これ、本当に優秀で、できるヤツなのでしょうか。

本当に優秀で、できるヤツは
「何だ、これは!?」
「これはどうなるんだ!?」
という気持ちが抑えられないヤツだと思うんです。

で、やりたくて仕方なくて
やっちゃう。
その結果をいっぱい知っている。

うまくいったら
「もっとだ!」
もしうまくいかなくても
「何でだ!?」
と前進できる。

そんなこと分かっていますよね。
言われるまでも無いことです。

でも、なかなかそうはいかない。

その根底には何があるのでしょうね。

成長過程で形作られた性格とか
そんな所だと思うのですけどね。

だとしたら、不可抗力ですね。
若者であれば。

だって、子供が自力で成長過程の環境なんて作れませんもの。

じゃぁ仮に
成長過程の環境を「良いもの」にしたらどうか?
という話なんですが
この場合の「良い」って何?ということになります。

衛生環境とか、成熟した社会とか、豊富な情報のリソースとか
色んな尺度の色んな内容が考えられると思うのですが
我々が考えつく限り、最高のものを用意したらどうでしょうか。
最高の環境になるのでしょうか。

レオナルド・ダ・ヴィンチは
1452年のイタリア生まれです。
今から500年以上前の人です。

当時のイタリアに比べて
今の日本はどうなのでしょう?

教育環境に関して言えば
圧倒的に優れた状態ではないのでしょうか?

ではなぜ
今の日本は大量のダ・ヴィンチを生み出せないのでしょうか。

環境を当時のイタリアにしたところで
問題は解決しないでしょう(笑)

今も昔も
高度な知識とか技術が発達する土台には
好奇心とか熱意が欠かせないのは言うまでも無いことでしょうけど
多くの教育環境では
そこには手を付けられていないと思います。
学校で「やる気」は評価されません。
1点にもなりません。

じゃぁ、それに点数が付けば良いのか?
というと、そうとも限らないと思いますが。
そもそも、点数で評価するシステム自体どうなんだ?
と思います。
それは若者の琴線に触れるのか?とか。
こういうことを考えはじめたらきりがないですが。

飛ぼうとしない鳥に強制的に餌を与えても
フォアグラができるだけですね。

さて、いったい誰が美味しく召し上がるのでしょうね。

と、そんなことを考えていると
必死に飛ぼうとする学生達が集まっている
夢工房と言う環境は恵まれているなぁ
と思うのです。

そんな環境に身を置かせていただいているのは
本当にありがたいことです。

技術は人なり

ひさびさのリアルイベント

今日は手作り車両による燃費競技
Honda エコ マイレッジ チャレンジの
もてぎ大会に参加してきました。

この大会の全国大会は、日本中から凄まじい数の参加者が集まります。
恐らく日本最大規模の技術系コンペティションではないかと思います。

今回参加したもてぎ大会は、地方大会です。
言ってみれば北日本大会のようなものですね。

昨年は、地方大会、全国大会ともに中止となってしまい
フォーミュラSAEのオーストラリア大会はオンライン大会だったので
今回は久々の本格的なイベント参加となりました。

今日は終日雨が降り続いてサバイバルの様相を呈しており
リタイヤが続出する中
何とか2位と3位を獲得できました。

昨年はオンライン環境で
できるだけ色々やってみたのですが
やはりリアルのイベントの威力には敵いませんね。
チームワークの重要性も身をもって実感できたようで良かった良かった。

とりあえず数字としての結果は良かったとはいえ
内容は多くの反省点を含んでいたわけで
それはそれで学生達は大きく成長できそうです。

チャレンジしたその結果に対して
素直に受け止めて次のゴールを設定できる学生は伸びます。
やはり素直さは大きな武器になりますね。

方や明確なチャレンジができなかった者は
次の機会までをどう過ごすか
次のチャレンジをどうするか
お手並み拝見と言ったところ。

私はサラリーマン時代に社内チームでこのイベントに参加していて
今や教え子達と参加を開始して20年になります。
会場に行けば、いまだに頑張っている昔の同僚がいたり
卒業生も別チームで参加していたりして
元気そうにやっている彼らの顔を見られるのも楽しみです。

こういった学生がチャレンジできるイベントを
長年開催している主催者は、さぞや大変だと思います。
今回参加した大会は、40年近く継続しているのです。

大会は下は中学生から、上は社会人まで
多くのクラス分けがなされており
学校、会社、家族など
様々なチームが参加しています。

こういう層の厚さが未来を形作る一部になっているんだろうなぁ
と実感する一日でした。

あぁ、今回も疲れました。
次は優勝してくれると嬉しいなぁ。
全国大会で。