思い・考えとアウトプット

それらは密接に関連している、というお話しです。
正しくはアウトプットスキルと、かな。

この場合の「アウトプット」とは、話す、書く、など、自分が出力するもの全てを指します。

多くの学生は真面目なので、正しいアウトプットをしようとします。
…変なこと言って恥かきたくないだけかもしれませんが。
まぁ、気持ちは分かります。

なので、正しいアウトプットのための材料が揃ってからアウトプットしようとします。

しかし…ですよ。

思いとか考えをアウトプットする形にまとめるのは、スキルが必要です。
「今思ってることを言ってみな」
と急に言われても困りませんか?
けっこう難しいものです。

ところが、そのための手法やプロセスは具体的に示せません。
定型的にするのが難しいので、教科書などで学べないのですね。

では、どうしたらいいのか?

やるしかない
です。

ダメだろうがレベルが低かろうが、やってみて、その結果をブラッシュアップするしか無い。
そのへんは、AIの機械学習と一緒ですね。

そしてそれは、設計や製作なども同様です。
レベルを上げるにはやるしかない。

ただ、ブラッシュアップするには評価者が必要です。
別にテストの採点のようなことをしてもらう必要はありません。
アウトプットに対する反応から感じ取れば良いのです。
そして、それを元に改善していく。

その評価者は、時として友人だったり、先生だったり、家族だったりするでしょう。
大事なのは、色んな人に対してアウトプットしてみることが一つ。
そして、やはりメンター的な人との関係を構築すること。
社会経験豊富な年長者が良いですね。「人生の師」といったところでしょうか。

振り返ってみれば、私は多くの「人生の師」に恵まれてきたと感じます。
お陰で沢山の気付きを得ることができました。

それにしちゃパフォーマンス低い?

すみませんね。
これでも、かなりマトモになったんですよ。


グレーゾーンを突っ走れ

ルールを破るのは論外だけど、ダメと言われていないことなら、やる。
考えないのは論外だけど、考えた末に迷ったら、やる。
やるかやらないかの選択肢があったら、やる。
そういうのは大事です。

チャンスはそこにあるから。

これもレースに教わったことのような気がします。
ただ、モラルに反することはいけません。
レースもスポーツマンシップが重視されます。

グレーじゃなく、明確なものなら、できて当然。
希少性や優位性、ワクワクする何かはありません。
そこに価値は無いのです。

もちろんグレーな領域なら、失敗もするでしょうし、勇気も要るでしょう。
でも、チャレンジとはそういうものです。

「あぁ、あの時やっときゃよかった」
という後悔はしないように。

もし成果に満足いかなくても
「ま、やるだけやったし、しょうがねぇか」
と思えるように。
その経験は、必ず再利用できるから大丈夫。

「やらなきゃよかった」
と後悔するのが怖いですか?

大丈夫。
やり切ってしまえば、そんな後悔はしませんから。
多くの後悔は、やらないこと諦めることから発生するのです。

「考える」って何だ?

最近は、そんなことを考えています。
考えるについて考えてるんですよ。

学生に問題を出して
「よーく考えなさい」
と言いますが、どうも違うぞ、と。
それが全てじゃ無いぞ、と。
まぁ、そりゃそうなんですけどね。

問題を解くのも「考える」なのでしょうけどね。
でもそれは「すでにある解き方を適用する作業」だと思うのですよ。
言ってみれば、手持ちの工具でネジを締めるようなもの
誰かが作ったパズルを解くようなもの
そいういうのが苦手だから負け惜しみを言ってるのかもしれませんけどね。

でも、そこに必要なのは、過去の知識やパターン認識でしょう。
だったら、あながち外れてはいないでしょう。

じゃ、学者さんは単に沢山ものごとを覚えているだけなの?
というと、ちょっと違う。

学者さんは、そういった知識を元に新しい何かを生み出すわけで、想像力が働いているのです。
それができないと学者さんにはなれません。そしてそれを言語化する。
想像力は、今無いものを思い付く力です。

対して、エンジニアも想像力ベースで考えますが、ゴールが違います。
形にするのがエンジニアのゴール。

実は私、肩書きは学者なのですけど、マインドはエンジニアなんですよね。
なので、価値の置き所がちょっと違う。

学者さんは、「まだ誰も知らないこと」を見つける人です。
対してエンジニアは、「まだ誰も実現していないこと」を形にする人です。

学者は「なぜ?」を追求し、エンジニアは「どうやって?」に取り組みます。
もちろん、学者にとっても「どうやって?」は大事だし、エンジニアにとっても「なぜ?」は大事ですけどね。
でも、重心の置き方が違うってことです。

さてさて、二者の違いはこのくらいにして。
重要なのは、与えられた問いについて考えることではなく、自ら問いを立てられるか否かってところだよな、と思います。

与えられた問いについて答えられなければ、留年したりしちゃいますので、そっちも大事なのですけどね。

「自ら問いを立てる」って、別に自分で問題を作れってことではなく、色々想像して「で、どうする?」と考えることです。

「もし、こんなふうになったら?」とか
「他の立場だったら、どう感じるだろう?」とか
そんな想像をして
「で、どうする?」
と。

その先には、あらかじめ決められた正解はありません。
正解が無いと落ち着かない?
正解が無いから面白い?

そしてその「どうする?」の先が、明文化や言語化なら、キミは学者さんになったら良いんじゃないかな。
物体とは限らないけど「もの」であれば、キミはエンジニアになったら良いでしょう。

キミはどっちの考え方が好き?というのが決め手でしょう。