低成長の裏側で 2

低成長と引き替えに、我々は何を得たのだろうか?
そもそも、そんなものはあるのだろうか?

あります。

低調な状況に陥ると、人は守りに入ります。
アクティブにリスクを取らなくなる。
つまり、楽になるのです。

もちろん、楽をすれば対価は得られません。
その結果として、じわじわと苦しくなっていく。

緊縮財政になったり、重い税を課されたりして、生活や社会活動の原資が減少すれば、当然ながら余裕は失われます。
余裕がなければ、人も社会も守りに入る。
金銭面でも、精神面でも、チャレンジする余地がなくなります。

企業で言えば研究開発は停滞し
学校で言えば元気がなくなる。
そして決まり文句のように
「失敗は許されない」
「前例が無いから」
となる。

許されないのであれば、やらない方が安全です。
安全を選び続ければ、ますますチャレンジはできなくなる。
チャレンジしなければ、新しいものは生まれない。
つまり新しい価値が生み出せないということです。

そうこうしているうちに、ヨソの国は発展し、成長していきます。

守りに入るというのは
自分から価値を発信するアクティブな状態から
与えられるものを受け取るパッシブな状態へと移行することでもあります。

自ら価値を生み出すのではなく、
入ってくるものを溜め込む状態になる。

出すものが増えないのであれば
入ってくるものも増えない。
リスクを取って自己投資ができない状態。

すると、経済は回らなくなるし、
知識や経験も活用されずに発展できなくなる。

とまぁ、簡単に言うとこういうことではないでしょうか。
私は経済とか政治とかには極めて弱いので、何となくそんな感じがする、というレベルなのですけどね。

でも、ハラスメントとかセーフティーネットとか、そういう「守り系」のワードばかりが目に付くのは、単に全体が守りに入っているからということもあるでしょう。
もちろん、弱者保護とかは大事なことですが、アクティブ側のワードが見当たらないと思いませんか?

さてさて、この私の見当がどれだけ合っているかはともかく、人も社会も「成長曲線」に従って、上がったり下がったりするわけで、我が国は間違いなく下がった状態です。

なので、ここから再度、成長のサイクルに乗せなければなりません。
ただ、それは過去にあったような「成長」では無いでしょうけど。

で、それは多くが望むこと。
チャンスを渡す相手を探している人もいるでしょう。

なので
「オレがやる!」
と、リスクを取ってチャレンジするなら今だ!
と思っています。


オーストラリア遠征 Day 3 準備日その2

今日は現地で我々を受け入れてくれているホンダオーストラリアでの準備作業。
彼らの作業エリアの一角をお借りしての整備です。

マシンはこんな木箱に工具や備品と共に梱包されています。

一通りは組まれた状態で輸送したのですが、改修作業や変更が必要な箇所があり、、一度バラします。

本日、ここでの作業は、一通り細かい部分の回収作業をやって、エンジンをかけるところで終了。
残りはホテルの駐車場で継続。

そういえばこのホテル、オーストラリアが受け入れた難民の滞在に利用されているようです。
いろんな人種の人がいます。イスラムの人が多いかな。アラビア語なんかも聞こえてくるし。
子供達は日中からずっと駐車で遊んでます。学校へは行ってないようですね。

とはいえ、特に危険などはありません。
ホテルでは、夜中に叫んでいる人がいたり、音楽がガンガン聞こえてくる部屋はあるし、大きな通りとハイウェイが交差する付近なので、クルマはうるさいですが。
そういえば、クルマはうるさいのが増えましたね。
2年前にいた気のいいホームレスが今年はいないのが少々寂しいです。
彼は元気でやってるだろうか。

明日は、午後に施設に隣接するバイクのトレーニングコースを走行させていただく予定です。

戦争から学ぶ 戦略的思考の構造の一例

私みたいに暗記が苦手というか嫌いな人は、ビジュアル的に考えると良いのです。
ものごとの順番とか強弱とか大小とかの関係を、です。

なぜ戦争を例に考えるかというと
考え方の「構造」が分かりやすいからです。

以下、素人の私がが分かりやすく解説してみます。

戦闘における攻撃手段は、鉄砲やらミサイルやらがあります。
ですが、あくまでこれらは「手段」です。
何も鉄砲やらミサイルやらをぶっ放すことが目的ではありません。

目の前の的を沈黙させるためなのか、相手の国力を低下させて戦闘できなくするのかなど、相対的に有利となるために、適切と思われる手段を選択して使用します。

実際にドンパチやるのは戦闘で、その他にも情報戦、経済戦などがあって、それらは戦争の一部です。
有利な状態で戦争を終結させることが目的であれば、なにも戦闘で有利にならなくても良いのです。

さて、戦闘における「手段」の話です。
飛行機による戦闘の歴史を簡単に紹介してみましょう。

昔々、飛行機が実用化されるようになった時の役割は、戦場における偵察です。
ライト兄弟などの飛行機野郎達が、ヨーロッパの軍隊に売り込みに行っていました。
飛行機は、見晴らしの良い高いところを飛べるし、鉄砲の弾にも当たりにくいので好都合です。

あるとき、偵察のついでに飛行機から攻撃することを考えた人がいました。
その時に取った手段は「敵兵めがけてレンガを落とす」です。

飛行機の利便性が各国に認められると、戦場の空には飛行機が増えてきます。
しかし、そう易々と偵察をされたくないので、敵国の飛行機を排除したくなります。
その時にパイロットが取った手段は「相手を拳銃で撃つ」です。

飛行機はどんどん増えてきますので、攻撃力を強化したくなります。
そこで、飛行機に機関銃を搭載します。
こうして空中でのドッグファイトが行われるようになります。

速いスピードで重いものを運べるようにして、爆弾を落としたり、ミサイルを発射ししたりできるようになって、能力を拡大していきます。
より遠くまで行くために、空中で給油すらできるようになります。

さて、このような進化の過程には何があったのでしょうか?

初期の頃の「レンガを落とす」とか「拳銃で撃つ」は、簡単に思い付きそうなものだし、ハードウェアには特段の工夫は必要ありません。

しかし、その後の発展は、たまたま既存のものを利用してみた…ではできません。
目的を思い付き、そのための手段であるハードウェアを開発する必要があります。

ゴールを設定し、そのための手段を考えたはずです。

例えば、飛行機に機関銃を搭載して、ドッグファイトの機動に耐える機体にする、なんてのも、たまたまではできません。

そもそも、飛行機には強度的な余裕を過剰に持たせるはずはないので、重い機関銃を搭載したり、激しい機動に耐える丈夫な機体であったはずはありません。

なので
「飛行機を作ったら、機関銃を搭載できちゃって、ドッグファイトもできちゃった」
なんてことはないはずです。

「こんなことできる飛行機があったらいいなぁ」
という「想像」をゴールとしているはずなのです。
そして
「そのためにはどうしたらいいのかなぁ」
と手段を考えて、チャレンジしたはずです。

手段ありきで考えていたら、既存の結果しか出ませんから。