戦略的に武器を取れ

人は色々な能力を持っています。

しかし、学校で評価されるのは知識だけと言っても良いでしょう。
そして、色々な科目でバランス良く点数を取ることを求められたりします。
そうしないと進級したり卒業したりできませんから。

しかし、世に出て仕事をすると、知識だけではどうにもなりません。
問題は、それをどう使うかです。

なので

思考力
スキル
想像力
行動力

などに、どのように力を配分するか。
まんべんなく、バランス良くできればいいというものでもありません。

それによって、どのように特色を出したり、強みにしたりするか
ということですね。
その辺を戦略的に構成することによって武器になるわけです。

強みにする重心点は、一般的なもの、無難なものより
意外なもの、多くの人が取りたくないもの、気付きにくいもの
なんかが良いかもしれません。

もちろん、どうすべきかは実際にやってみないと分からないものです。
試行錯誤しながら色々チャレンジして、作り上げていくものですから。

夢工房は、日夜そんなことばかりやってます。

二宮尊徳も言っている

200年くらい前に二宮尊徳が言っています。

行ひて教へ学んで行ふ
今の教ふる者、言うて教へ書きて教ふ、故に効なし

江戸時代に尊徳がそのように嘆くような状態になっていたのが意外ではあります。
が、この頃はすでに
町人層は識字率が高く、寺子屋が普及し、「往来物(おうらいもの)」と呼ばれる教科書が大量に流通して、貸本屋も増加している
という状態だったようです。

尊徳は、農村の再興を手がけたことで有名ですが、その手法は
田畑を実際に耕し、村人と共に働き、その中で指導する
というものです。

そんな状態で、彼が問題にしたのは

  • 知識だけで完結する学び
  • 行動に接続しない教え
  • 体験を伴わない道徳講話

です。
もちろんそれは、経験に基づいて実感したということでしょう。

時代は繰り返すってことですかね。

夢工房の現状を振り返ってみると…

夢工房では何をやっているのか?
その辺をちょっと客観的かつ大雑把に見てみると…

異なる年齢層が一所に集まって、一つのゴールに向けて力を合わせて、主体的に努力している
より高い成果を得るために
継続するために

そんなことをやっています。
これは、彼らが社会に出た後に、絶対に必要になることです。

「学校で」という枠を外して見てみると、会社で仕事をするうえで必要となることそのまんまです。
彼らは、それを日常としてやっています。

やりたいこと

やるべきこと
が一致しているからこそ、日々頑張れるのでしょうね。

やりたいことを気が済むまでできる環境というのは、なかなか無いので貴重でしょうし、そもそも、そういう風にやりたい学生達も貴重です。
そういう環境を許容している学校自体も貴重です。
それらが融合している現状は、奇跡のようだと思います。

私は、こんな学生達の面倒をずーっと見てきました。
気付けば4分の1世紀です。
お陰で色々なことが分かったのですが、問題はそれをうまく言語化できないのです。

もちろんそれは、能力の問題もあるでしょうけど、どうも大事なことは言語や形式の外にある気がしてなりません。
とはいえ、頑張ってそれらを見えるようにしなければ、とも思っています。