創造性やら想像力やら

創造性と想像力、それらが無ければ、それを持っている人の指示に従うしかありません。

「それは楽で良いよね」
という人もいれば
「そんなんだったら自分がやらなくてもいいじゃん」
という人もいるでしょう。

開発の仕事は新しいものを作るわけで、やはり求められるのは創造性でしょう。

以前にも似たような事を記事にした気もしますが、開発とは、言ってみれば夢を形にする仕事。
なので、夢が無い、夢をつくれないと仕事にならない。
スタート地点は想像であり、プロセスは創造による。

じゃぁそれ、どう鍛えるの?というのが問題。
でもこれ、心の問題だからなぁ。
学校には創造性を育むための授業は無いでしょうし。

個人的に思うのは、心の中にある小さな夢に対して、「正解」「不正解」という尺度でとらえたり、可能か不可能かでとらえると、恐らく夢は萎んでいくのではないかと思います。

そもそも夢に正解も不正解も無いと思う。

そして、可能か不可能で考え始めると…
今の自分にはできないから夢なのであって、今この瞬間を切り取って考えるなら不可能に決まってます。
なので、「どうしたら可能になるだろうか」と考えるのがポイント。

あとは小さなことでもチャレンジしていくことではないかな。
「あとでやろう」とか思わないで。

人間関係も大事です。
皆と仲良くするのは大事だけど、夢を否定する人とは距離を置くべきだと思う。
必ず影響を受けるから。

「夢なんて叶わないよ」
と言う人にとっては、それが現実です。
なので、説得は無駄でしょう。

一方
「夢はきっと叶う」
と思う人にとって、それは現実です。
そんな人が集まる環境が、夢を叶えられる環境です。

で、夢を現実にするのが夢工房の現実です。
常にそうありたいと思っています。

今日はオープンキャンパスで、夢工房には夢を持つ高校生がたくさん来てくれました。
ありがたい限り。

夢工房の環境に「完成」は無いので、彼らが夢を叶えられるよう成長を続けないとね。

コミュニケーション力

この記事

先生の言うことを聞いたり、友達と楽しくおしゃべりをするのがコミュニケーション力ではないことは分かっているのだろうか。

と言ったので、今回はこのお題でいってみましょう。

近年、大学生には「コミュニケーション力」が求められている、と言われています。
どこから求められているかというと、社会(というか会社)からです。
なぜかというと、業務遂行に欠かせないからです。

では、それはどういったものを指すのか?
業務の基本で言うなら

いわゆる「報連相」
報告・連絡・相談
ですね。
これを例に挙げましょう。

今、これをやってますよ
現状はこうなってますよ
これからこれをこんなふうにやりますよ
やった結果はこうなりましたよ
こんな問題が起きてます
うまくいっちゃいました
などなど

そんな感じです。
まぁ、アウトプットですよね。

アウトプットの対象は、管理・監督者だったり共同作業者だったり。

円滑な業務遂行のための現状把握が必要だし
リスクコントロールができたり
本人の成長のための材料ともなるし
仲間を守るためでもある。

もちろんそれは、組織としての力を発揮するためには欠かせないことなのですよ。

学校では、聞かれたら答える
聞かれなければ言わない
情報の発信源からはできるだけ距離を置く
なんてことになりがちですが、それはその方がメリットが大きいからでしょう。
言わなくて済むし、やらなくて済む。

もちろん仕事においても、同じような価値観で遂行することは可能です。
全くうまくいかないだろうけど。
それじゃ可能と言っちゃダメか。

学校だろうが仕事だろうが、恐らく「やらされる」という姿勢でいるかぎり、実のあるコミュニケーションは難しいでしょうね。
まぁそういうわけで、一般的な授業ではコミュニケーション力を養うのは難しいので、やらされる環境ではなく、やりたいことをやって、チーム力を発揮して成果を出すような経験の中で磨くのがベストでしょうね。

夢工房でも、入ってきた新人君が苦労することの一つだったりします。
「言われたこと」を「一人でやる」という訓練を延々してきたらそうなりますよね。

問題解決能力

昨日の記事で

勉強を頑張れば、問題を解くような能力は身に付くだろうけど、それは世間一般で言われる「問題解決能力」では無いことは分かっているのだろうか。

と言ったので、今日のお題はこれにしてみました。

「え?問題解決なんだから、単に問題を解決する能力だろ?」

そうなんだけど、それだけじゃない。

まずは問題を問題として発見したり認識したりできるか?
これが大事。

例えば、現状を俯瞰して確認できるとか。
「そもそもこの状態で大丈夫なのか?」
とセンシングできないと問題を認識することはできない。

学校の授業で与えられたような課題を解く
なんて経験ばかりだと、チェックするのは常に他人なので、こういう能力は身に付きませんし、ついでに言うと、そういうのは単なる作業です。

分かりやすい例として、カンニングペーパーがあれば何とかなるようなことのほとんどは作業であって、問題の解決ではありません。
あらかじめ決まったやり方に従ってやるだけ。それは作業です。

まずはなにをもって「問題」とするか
というのもあって、それがまた重要。

「問題」とは言っても、それは目の前で発生したネガティブなこととは限りません。

例えば
レーシングカーを作るのだけど、要求性能を満たさねばならん
なんてのも問題。

このままで良いのか?
と思ったら、それも問題。

というわけで、自ら問題を作ったり発見することができるのかというのが大事なのです。
他から課されたタスクを受け取るだけでは不十分なのですね。

学校では問題など発見したくないでしょう。
できれば発見しちゃっても見なかったことにしたいでしょうし、まして自分で作り出すなんてとんでもない!

これは好む好まざるに関わらず、常に他からタスクを課されて処理しなければならない状態に疲弊しているのかもしれませんね。それが続けば習慣化してしまう。

さて、では解決についてはどうでしょう?

この解決については、何も今まで習った理論を使わなければならないということはありませんし、むしろそういうもので何とかできるケースは希かもしれません。

分からなかったら調べれば良いし、どうにもならなかったら人に聞いてもいい。
やったことが無いなら、試しに何かやってみればいい。
それこそが学びです。

一人でどうにもならなかったら仲間と力を合わせてもいい。
それがチームワークで、そこで必要になるのがコミュニケーションです。
学校では、仲間と力を合わせて回答したらカンニングと言われて罰せられますが。

というわけで、問題解決能力を磨きたければ、そういう能力が必要とされることをやるしかないのです。
いわゆるプロジェクト的な活動は最適でしょう。
残念ながら、いくら授業で頑張って勉強しても、本を読んでも不十分で、実践するしか無いでしょうね。

近年では、PBL(Project Based Learning)というのが良く言われるようになってきました。
そういうのも大事で、やらないよりは良いのですが、そもそもそういったあらかじめ用意されたものに取り組む時点で、外部からタスクを課されているわけで…。
なかなか難しいですなぁ。