優秀な者の条件

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の業式スピーチで語ったことよって有名になった言葉

Stay hungry, Stay foolish.

これは、同スピーチの中で紹介されたヒッピーのバイブル的な雑誌”Whole Earth Catalog”の最終号”Whole Earth Epilog”の裏表紙に掲載されていた言葉で、アメリカの思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人である、バックミンスター・フラーにより贈られたそうです。

このフラー自身、かなり興味深い人生を歩んだ人なのですが、とりあえずWikipediaにあるWhole Earth Catalogの記事を見てみましょう。

以下Wikipediaから引用

なんとドラマチックでロマンのある話でしょう。
Whole Earth Catalogがどんな雑誌だったかは、アーカイブから確認できます。

さて
Stay hungry, stay foolish.
の解釈ですが、Wikipediaにあるように、そのまま訳せば
貪欲であれ、愚かであれ
となるでしょう。
格言っぽくて良いですよね。

その本質にあるのは
求め続ける心と行動する勇気
それらを持ち続けることが重要であるということでしょう。

しかし、それだけでは不十分な気がするので
バカで結構だよ!
という、開き直りというか、腹を決めた状態というか、勢いというか、そういったニュアンスを含めれば、より適切である気がします。

そもそも
貪欲であれ、愚かであれ
という言い回し自体が、貪欲さや愚かさを感じられません。

おとなしく、言われたことに従順であるとか、単にものをたくさん知っているとか、勉強ができるとか、そんなのが優秀だとは思えません。

一見不可能そうなこと、他人から見れば意味の無さそうなことでも、信じていることにどれだけパッションを投入できるか。
それを継続するのは馬鹿げたことに見えたりするのだけど、そこに投入される熱意が、やがて人の心を動かすことになる。
それが可能な人が優秀な人だと思うのです。

実際に手に入れたWhole Earth Catalogは、あまり読み込まれた形跡は無いものの、半世紀も前の本なので、ハードな読書には耐えられそうもありません。

表紙は、アポロ計画で撮影された月から昇る地球(Earthrise)
創刊したスチュアート・ブランドがNASAに対して、当時公開されていなかった「地球の全体像(Earth from Space)」の写真を一般に公開せよ、という運動を起こした結果入手可能となった。
ブランドはサンフランシスコ近郊で活動するカウンターカルチャーの人物で、「人々が地球全体を一つの存在として意識すれば、環境問題や人類のつながりに対する意識が変わる」と考えていた。
裏表紙には、ジョブズが講演で言っていたとおりの典型的なアメリカの田舎の風景写真と、Stay hungry, Stay foolish.の一文

自分の足で、好きな方向へ

高市さんが「馬車馬のように働く」と言ったとかで、早速メディアが揚げ足を取っていますね。
お勤めご苦労さまです。

対して、賢明な国民は
「いや、それ、議員のことでしょ?」
という冷静かつ真っ当な切り返しをしていたりするわけですが。

やりたい人にはやらせたらいいのです。
やりたくない人に無理にやらせるから、うまくいかない。

そもそも、やりたくない人とやりたい人を、同じリミットで縛るのは不合理です。
やりたい人はやる気を失い、やりたくない人はストレスに曝される。

やりたい人に「もうその辺で…」と言うと、低い天井に慣れてしまい、限界を上げられなくなる。
限られた時間でやりたいことをやろうとしても、結局は時間というリミットを超えることはできないから。

「継続的にやりたい」と思っている人は、自分でやり方をコントロールします。
続けられないやり方で走り続けても、ゴールに到達できない。
だから、続ける人は自分のペースを自分で作ろうとする。

やりたくない人にやらせたら…
結果はたかが知れています。
だって、やりたくないのだから。

両者が満足するルールなんて存在しない。

ワークライフバランスとか言うけど、それって、自分で決めちゃいけないの?
「ライフ」、つまり人生とか生き方に関することなのだろうけど、
それすら他人が決めたことに従わないといけないの?

やるだけやってダメならしょうがねぇ、って生き方をしてはイカンのだろうか?
他人から押しつけられる“ワークライフバランス”のようなものが、
チャレンジを抑制する空気を作っているのではなかろうか?
なんて思ったりします。

さて、では「やりたくない人」はダメ人間なのでしょうか?

多分違う。
そもそも「楽したい」という本能的なものがあることに加えて、恐らく多くは…
やりたいことをやらなかった、
あるいは、やっていることを「やりたいこと」に変換しなかった。

それを続けているうちに、「やりたいこと」って何なのかが分からなくなってしまったのではないか。

さらに、やりたくもないことに乗っけられてしまう環境があるのは確かでしょう。
自分がやりたいことよりも、誰かが言った「良い学校」「良い会社」に属するのが幸せなのだ、と。
むしろ今や、それが普通なのだろうか。

でも、本当は、誰だって「やりたいこと」のかけらは持っている。
それを掘り出せる環境や仲間がいれば、
もう一度、自分の速度で走り出せるはず。

「馬車馬のように」というより、「自分の足で、好きな方向へ」。
そんな走り方ができる人が増えたら、世の中もっとハッピーになるのではないかと思います。

「やる」から学ぶ

やったことから分かること
それは、やったヤツにしか分からない。
やってみて分かったことを使って、また「やる」。
そしてまた、もう一歩先の「やったヤツにしか分からないこと」を知る。

書籍を始めとした既存の知識から、自分がやっていないことを知ることもできる。
でも実は、そこには限界がある。
文字に起こせない情報があるから。
いわゆる経験知、実践知などと呼ばれるものがそう。

経験があれば、知識を知ったときでも得られるものが違ってくる。
今までやった経験をベースに想像ができるから。
経験が不十分だと想像ができない。
想像ができなければ、創造はできない。

つまり実践の経験が限界を決めるということ。

早くやるヤツ、すぐやるヤツには叶わないというのは、そういうこと。