学びのカタチ

学校では
色々知って、色々やって
でも、「色々」があまりに多くて
しかも、動機が無いままなので必要性も感じられず
せっかく覚えた四職やスキルを、どう使うかも知らないし
そもそもテストをクリアするために覚えたわけだから
喉元過ぎればなんとやらで
結果として、すぐ忘れちゃうし、あまり役に立たない。

そういうやり方のほうが安心する人はいるでしょう。
というか、そういう人の方が多いのかもしれない。

お金(授業料)払ってるのだから、その分(知識などを)もらわないと
って感じで。
うん、それは分かる気がする。
ビジネスのカタチとしては、凄く説得力がありそうに見えます。

が!

確かにお金を払った分、何かをもらったとしても、それの使い方が分からなくて、必要性が感じられなかったらどうでしょうか?

例えば…

自動車が好きで、自動車の開発者になりたくて、機械系の大学に入って勉強したら、果たして自動車の開発者になれるでしょうか?

もっと端的に言うと

果たして在学中に、自動車の開発に関する何かしらのスキルが身に付くでしょうか?

授業だけでは無理です。
これは絶対と言っても良いかもしれない。

目的が無いまま基本を学んで、沢山学んで…
それらを寄せ集めれば、きっと何とか…
…なりません。

いくら技術的な計算ができても、いくら綺麗な図面が描けるスキルがあっても
それらをどう使うか分からなければ、何も起きません。

いくら切れ味の素晴らしい包丁を持っていても、最高の調理方法を知っていても
実際に料理をした経験や、最終的にどうしたいかというビジョンや内的動機が無ければ料理はできません。
それと一緒です。

目的が無いものに熱意が発動されるわけがない
熱意も無いのに本当に必要なものが身に付くはずはない。

こういった状態に対する解決方法はすでにあります。
Formula SAEなどの、ものづくりのコンペティションです。

どうしても勝ちたい!
から始まって、まずはやってみれば良いのです。

すると、足りないものが見えてくる。
それがどうしても手に入れたければ、手に入れればいい。
それでグイグイレベルを上げていけば良いと思います。

ほら、そこには明確で健全な動機があるでしょう?
そうやって学んだものは決して忘れませんから。

夢工房では、ずっと昔からそうやってきました。
人材育成としては、上々の成果が出ていると思っていますが、何せこういったことは定量化できません。

でも、こういう選択肢がもっとあってしかるべきと思うのですが、どうでしょうか?

ちなみに、この場合
教員は知識を押し込む役割ではなく
相手を信じて、待つ
そして、アドバイスや評価などなど
環境の一部ということになりますね。

知識と知性

現在の学校は、知識を伝授する場所になっています。
ですが、本来は知性を伝授すべきところではなかろうか?と思うのです。
それが今日のネタ。

知識と知性がどう違うか?
生成AIに、知性についての説明を求めたら、色々と解説してくれましたが、最後にこんなことを言ってきました。
これを見ると分かりやすいかもしれませんね。

知性 = 知識 × 思考プロセス × 動機・態度 × 感情制御 × 社会性 × 内省

どれか一つが欠けると

  • 知識だけ多くても「使えない」
  • 論理的でも「考えようとしない」
  • 熱意があっても「暴走する」

という状態になります。

ですって。
ああ、なるほど。確かにそうかもしれませんね。
単に問題に対する回答を出す能力では無いということは分かるでしょう。
より実践的な…社会に出ると当然のように必要とされるものです。

式に「態度」が入っていたりするのが興味深い。
まぁ確かに、他の諸々が優れていても、態度が最悪ならぶち壊しですね。
知性を感じなくなるどころか、知性を役に立てることができなくなります。

生成AIが提示したものなので、100%鵜呑みにするとか、そういった使い方はどうかな、ということを前提はあるのですが…。

この一見もっともらしい知性の式を構成する要素は掛け算ですね。
ということは、いずれかの要素が2倍になったら、結果として知性は2倍になる?
どうでしょうね。
まあ、それも置いておきましょうか。

構成要素は以下のようになっています。

  • 知識
  • 思考プロセス
  • 動機・態度
  • 感情制御
  • 社会性
  • 内省

「動機」と「態度」がひとまとめになっているのが気になったりしますが、一つづつ見てみると、結構納得するものばかりですね。

知識は、知性を構成する一部なのですよ。
その他を見ても、普通なら学校で手に入れることは難しそうですね。

でも、その点を何とかしないと教育は前進できない気がします。
そして、それらを内的動機で何とかできたら最高なのですが…。

と思っていたら、Formula SAEって良くできてるなぁ、と改めて思うのでした。
うえを目指すなら、これら全部が必要になりますもの。
寝二を目指して、どう取り組むかは自分次第ですけどね

学校でやるべきこと

端的に言うとこれだ
夢を実現するためのトレーニング

もっと簡単にいうならこうだ
好きなことをやれ

今の子供達は、塾に始まり、スポーツやら音楽やら、色々と習いごとをしていたりするでしょう。
そういったことは良いとは思うのですが、ボリュームが多すぎるということはないでしょうか?

そして大事なこと。
仮に好きな習いごとをしていたとしても、その内容は「習い事」であって…つまり、外的動機が働く環境ばかり、ということはないでしょうか?
ここが大変気になるところ。

つまり、スキル的には色々できるようになるかもしれないけど、それらを駆動するマインドの成長とバランスが取れず、内的動機が発動する状態になっていなかったりしないでしょうか。

どうも教育のフィールドでは、外的動機による行動が先行して、なおかつそのボリュームが大きくて、内的動機が発動する機会が少なすぎるように思います。

知識やスキルをふんだんに持ち合わせていても、気持ちがしぼんでいたら何もできないし、やることがうまく行くはずは無いのでは?
そして、外的動機によって獲得したものには、大抵「正解」があるので、不正解である「失敗」を回避するようになる。

チャレンジは、内的動機によって発動して、失敗を糧として前進する必要があります。
気持ちが前に進んでいれば、足りないものは自ら手に入れようとするし、意図しなかった結果も利用しようとする。

とはいえ、どうやって自らをそのように変えていきたいと思うような環境を作るか。
それが大問題。

ま、正解は無いわけで、色々試すしかないでしょう。
しかし、そのチャレンジこそがリスクだったりするわけで、それがジレンマ。

やはり、リスクを取りたくない人は、その方向性の中で可能性を見出す。
やりたいヤツがやりたいことをやって成果を出す。

最初はそういった極端な実験のようなフィールドが必要なのかもしれません。

夢工房は、それでそこそこうまく行っているのですけどね。
夢を実現するためのトレーニングとして。
これを「そこそこ」ではなく、もっと明確な成果を出すところまでプッシュする必要があるのです。
誰の目から見ても分かるように。