今後の教育のあるべき姿は? その3

もちろん今回も私感です。
でも、私ごときでも考えつくことなので、この程度は誰でも考えていることなのかもしれません。
まぁ、あまり気にせず思いのままに書いてみましょう。

未来に向けて変化が求められるのは当然。

しかし、守るべきものは守る必要があるでしょう。
それは何だ?

恐らく我々の民族としての過去の中にある
…はずなのだけど、実は良く分からない。

自分の持っている特性って、実は良く分からないものです。
なぜって、習慣化したものは気付きにくいし、そういうのは相対的なものだったりするから。

良いとか悪いとかだってそうです。
何に対してどれくらい良いのか悪いのか
比較する相手によって決まるもの。

では、それらはどうやったら分かるのか。
それは、アウトプットして、その反射というか、反応というか、評価というか
そういったものから、間接的に判断するしかない。

そしてその結果から、守るべきものを、強みを活かした武器とする。

そして、その上で変えるべきものを考える必要があります。
そういったものを考慮せず、誰でもできることを頑張る、という方向では、やる前から結果は分かっています。
だって、今がその延長線上だから。

無国籍な、単に知識に依存したやり方では、人数が多かったり、勢いがあったりする相手には敵わず、存在意義とか価値が無くなってしまいます。

なので、すでに持っている文化とか歴史の中から、「良いもの」を根っ子として、そこから伸びる幹、つまり歴史や実績を必要なところまで利用し、そこからは、まるで接ぎ木のように、新しい幹をを新しい方向性、新しいやり方として伸ばしていく。
そういうイメージで行くことになるのではないかな。

恐らく活かすべき根っ子と幹の判断は、静的に考えていても分からないと思います。
そのためには、積極的な外に向かう行動によって、その結果から「良いもの」を探って、それを活かす。「変えるべきもの」を探って、それを変える必要があるでしょう。
何をどうするかというのは、考えて、やってみるしかない。

座して考えて分かることなら、もうすでに分かっているはずで、それができないから現状があるのです。
それに、考えるだけならヨソの国でもできる人はいくらでもいるし、頭の中に考えが収納されていても、それだけでは何も起きません。

だから「やる」をもっと重視する必要がある。
そして、その結果をアウトプットして、自分の外側の世界で何が起きるかを知って、それを次のループにフィードバックして、どんどん良くしていく。
考えて正解を出す、ではなく。

当たり前のことなのだけど、今はそうなっていないでしょう。
「考える」ばかりが重視されていて、正解が出たら「やる」にシフトするようなロジックです。
そうなっていると、やらないと分からない事は、いつになってもできません。
そして「やる」ための勇気は、時間が経てば経つほど、どんどん先細りになっていきます。
それは、考えれば考えるほどできなくなるという皮肉。

というわけで、これからは
「考える」と「やる」のバランスを変える必要があるのではないか
というのが今回言いたかったことです。