学生がものを作るということ

夢工房の学生達はもちろん、恐らく日本には90チームくらいのレーシングカーを作る学生達がいて、Formula SAE(日本では学生フォーミュラ大会という呼称)というイベントにチャレンジしています。
頼もしいですね。

このFormula SAEというイベント、恐らく学生のものづくり関連のイベントとしては、世界最大規模ではないのかな。

基本的な知識やスキルはもちろんですが、社会に出る上で大事な色々なことが手に入ります。

チームで仕事をするということを通して、人間関係やコミュニケーション、発想力、行動力、勇気、リスクマネージメントや自主性、自律性などなど、数え上げたらキリがないし、言葉や文字にできない実践知など、貴重な経験がが山ほど手に入ります。
海外大会に出れば、他国の文化にも触れることができるし、世界中に仲間ができる。

こんな経験、普通は一生に一度もできませんよ。

自動車メーカーや関連企業など、多くの人達が理解を示してくれているのも当然でしょう。
こんな経験をした学生達は、就職活動でも困ることが無いのは当然です。
「どこに行こうかな」と、迷うことはあるでしょうけどね。

さて、こういった活動は大変です。
夢工房の学生達は、朝から晩まで頑張ってます。
そりゃぁクルマを作るのですから当然ですね。
でもまぁ、楽しそうですけどね。
逆を言うと、大変でも無いことなんて、大して楽しくなったりしないのですが。

ついこの間やってきた1年生、入学してからわずか2ヶ月弱ですが、客観的に彼らを見てみると、凄まじい成長を遂げています。

ものづくりの威力は凄いなぁ、と思います。

でも、彼らの4年間は、あっという間に終わります。
こんな活動していればすぐです。

その後はいよいよ待ちに待った本番です。
職場では重宝されて、仕事が楽しくなるのですから素晴らしいです。

今回言いたかったのは、こういった日々頑張ってものを作るような活動がもっと増えたら良いのに、ってことです。
それがコンペティションならベターですね。

だって、良いものを作ろうとしたら、自分が成長するしかないのですよ。
作ったものは自分そのものですから。

モチベーションの源はこれだろう

気付いちゃいました。

学生がやる気になってくれれば全てはうまくいくし、楽しい未来が待ってます。
当然です。彼らが未来を作るのだから。

で、そのやる気、モチベーションの源泉となるものは何だろう?というのが今回のお題。

で、今朝気付いたのですよ。

それは想像力です。

スタートからうまくいくまではこんなシーケンスになっていると思います。

まずはゴール設定。
続いて現状と理想のギャップを認識する。
次に、これを埋めたいと思う気持ちが発動。
これがないと行動に繋がりません。
そして具体的な行動をしたら
うまくいくまで諦めないこと

こんな感じでしょう。

最初に来るのがゴール設定ですが、ここで未来を想像しない限りは何も始まりませんし、仮に始まったとしても失速します。

しかし、日頃の行動が「言われたから」「ルールだから」といった外的な動機ばかりだと、想像する必要は無いのですよ。
そんなのばかりだと想像しないことが習慣化します。

皮肉なことに、便利なこと、快適なことに囲まれて暮らしていて、何不自由のない日々を過ごしていれば、別に未来なんて想像しなくても問題は起きません。

そして、外的な動機によって動いていると、自ら設定したゴールに対して云々という考え方ではなく、言われたことをやって、その結果は「なるようになる」といったような「こうなっちゃった」のようになる。

このブログでも何度か記事にしましたが…

「よく勉強して良い成績(学歴)を取れば、将来の選択肢が広がる」
という話をたまに耳にしますが、私はこれには賛同できないというか、それは嘘っぱちだとすら思ってます。

だって、目的無しに広範な知識を獲得すると、時間という最も貴重なリソースを使った末に何かに特化した武器がない状態。だって特化してないのだもの。
それでどうやって選択肢を広げるのですか?
その後の十分に時間が無い状態で、どうやって特定の能力を納得いくまで伸ばすのですか?

我々が柔軟な思考を持ち、フィジカル面でも充実した状態でパフォーマンスを伸ばし、自分の価値観ややり方を確立できる時期は限定されています。
それは二十歳くらいまで、せいぜい二十代の前半だと思います。
人生100年時代とか悠長なことを言っている場合では無いのです。

なので、遅くとも十代の後半には実践的なチャレンジの経験から価値観の確立と強みの獲得を開始しないと、後になってからでは手遅れになると思っています。
人の土台となる人間力は、勉学による知識量によって作られるのでは無く、価値観によって形づくられると思います。

知識やスキルは価値観によって使われるツールです。
理想的なのは、それらを同時に高いレベルにプッシュすることでしょうけど、なかなかそんな理想通りにはいきません。

なので私は、理想のゴールを想像し、チャレンジするサイクルの中で価値観を構築することを優先すべきだと思っています。
これをやらずしてモチベーションを上げることはできないのではないかな。
そのチャレンジの中でもゴール達成に要する知識やスキルは獲得できますし、社会に出てから実戦のフィールドで本格的なレベルにプッシュすることもできます。

ただ、その逆は大変難しい。
社会に出た者なら誰もが分かっていますが、基本的な価値観はそう簡単に変わるものでは無いし、仕事をしていたらそんなヒマも機会もありません。

というわけで、十代後半から二十代の前半には、沢山妄想してジタバタするのが何よりも貴重な経験になる、と断言しておきます。

ルールに従うということは

世の中発展していくに伴って、色々ルールが増えていきますね。
まぁ、ルールだけじゃないんだけど。
ここでは分かりやすいようにルールだけに絞ってみます。

これ、いつまで増えていくのでしょうね。
ルールを設定することによって得られるメリットがあったり、デメリットの発生を防ぐためなのでしょうけど、無限に増えていくルールに無限に対応していくのは無理でしょう。

本当なら、明文化された縛りなどに頼らずに、皆が楽しく快適にやっていければ良いのでしょうけど、そうもいかないってことなのでしょうね。

でも、ルールが行動の基準というか、出発点になったりすると、ルールに適合するか否かという選択作業と、それに伴う行動をしているだけで、考えずに済んじゃったりして。

まさかそんな
と思いますか?

ルールと言っても色々あって
やるべきことを定めるルールと
やっちゃいけないことを定めたルールがありますね。

で、やるべきことを定めたルールに従えば、考える必要無いのですよ。
これはなにも法律とかにかぎったことではなく、日常生活においても色々ルールがあったりしますよね。
捉え方によっては「常識」とか「トレンド」なんかも、それに追従すべきと思っている人にとってはルールのようなものです。

まぁ、そういうのもあって良いとは思うのだけど、そういうのに従わないことも大事で、面白かったりするのです。
多様性とか独自性とかが無いと同じことの繰り返しになっちゃって、つまらないでしょう。

そうじゃないと、新しいものや価値あるものは生まれませんよね。
もちろん守るべきものは守るという前提ですが。
カオスになっちゃうと、それはそれで困っちゃうので。

ともかく、ルールを守ることも大事なのだけど、そこで「なぜ?」「何のために?」と考えて、そのうえで独自性のある行動をするってのも大事なのですよ。