「戦略的思考」というと、何やら難しそうですが、実はそうでもありません。
「何のために、どうするの?」
ということですから。
何のために=ゴール
どうやって=手段
です。
ゴールを決めて
そのための手段を考えましょうよ
ということです。
しつこいですか?
でも、我々日本人は、これが苦手です。
そのことによるメリットもあるにはあるのですが、それは後ほど。
そもそも、ゴールも決まってい状態で何かをやったところで、それをどこまで、どのようにやったら良いかなんて分からないし決められないのです。
でも、そういうケース、多くないですか?
なんで大学に来たの?
夢は何?
という問いに、どれだけが明確に答えられるでしょうか?
これは、そもそも日本人はそういう気質を持っていた…
わけではないでしょう。
いくら周囲を海に囲まれた島国だと言っても。
そもそも、海洋国家が戦略的な思考が不要なのかというと、決してそんなことはありません。
海洋国家は、多くのリソースを輸入に頼っているため、シーレーンを封鎖されると即死します。
なので、戦略的思考が無いと、お先真っ暗です。
では、なぜ現在のような戦略無し状態になっているのか?
これには原因があります。
まず一つは戦後の日本の状態。
それと学校教育。
戦後、我が国は日米安保条約によって、戦力を捨て、アメリカに守ってもらうことになりました。
お陰で経済、産業に注力することができて大成功!となりました。
自らを守ることを考えなくても良いなんて、普通はあり得ない状態です。
国にとって、もっとも大きなリスクについて考えなくても良いのですから。
でも、それが実現したわけです。
自らの国を守る必要は無くなって、それについて考える必要も無くなり、戦略について語ることすらタブーとなりました。
お陰で、何かに忠誠を誓うようなことはもちろん、何か一つのことに向かって皆で…
というようなことは軍国主義を思い起こさせるのか、同じくタブーになっています。
特に学校では。
企業なんかだと、一つの目標に向かって皆で力を合わせないと仕事になりませんし、戦略的に考えないと大したことはできません。
なので、学校とのギャップは巨大です。
でも、会社に入ったら目が覚めるから大丈夫!
とはいきません。
これは年々強化されてきました。自然に、自動的に。
そりゃそうです。
同じやり方で教育を継続していけば、それは世代を重ねて強化されていきます。
学校と社会のギャップはどんどん大きくなって行く。
破綻するまでは。
この状態について、他国の陰謀がとか、そんなことを言うつもりはありません。
誰かのせいにしても、なにも変わらないからです。
この状態を認識して、「ではどうするか?」
それがこれから考えるべき事です。
その前に「どうしたいか?」ですけどね。
