「idea(アイデア)」
古代ギリシャ語のイデアに由来します。
これは「姿」「形」「見え方」といった意味で、後にプラトンが「本質的な理念(イデア論)」として哲学的に発展させました。
とか難しい話は置いておいて。
一般的にアイデアと言えば、思いつきとか、ひらめきですね。
その元になるのは、知識とか経験による「引き出し」です。
だからお勉強が必要なんですよ。
が!
お勉強とはなんぞや?というのもあります。
単に学校で教科書から得た知識のみを指すのか?
もちろん、そんなことはありません。
と、それも置いておいて。
「引き出し」からアイデアをひねり出すために必要なものがあります。
それは、モチベーション(目的や動機)です。
ただ、モチベーションとはいえ、それも高かったり低かったりしますね。
では、その高低を決めるのは何か?
…というところまで掘っていくと、やはり行き着く先は「心」ということになってしまうのです。
どう思いますか?
「もの」を生み出す元となるもの。
それはアイデアだったり知識やスキルだったり
そういったものはもちろん大事なのですが
そもそもの「心」が原点にある。
学ぶのも、スキルを向上させるのも
そしてそれらの質を向上させて、形にするレベルも
全てモチベーションや心にかかっている
そう思うのです。
そして今、何を思ったかというと…
縄文人って凄えな
です。
何だそりゃ?
まぁ、そうで思うしょう。
たまたま、ふと思っちゃっただけなのですけどね。
一度、縄文土器や土偶を良く見て下さいな。
一体どんな心が、あの形を作るのか?
そこから現代に至る道の延長線上に未来があるわけで、我々がこの先どうしていくべきなのかというヒントが、そこにありそうな気がしてなりません。
と、そんなことも考えたりする今日この頃。